●蔣介石【しょうかいせき】
世界大百科事典 第2版
しょうかいせき【蔣介石 Jiǎng Jiè shí】
中国の政治家。孫文死後の国民党(右派)の最高指導者。1928年から49年までの時期の中華民国の独裁的支配者であり,中華人民共和国成立後,台湾省に本拠を置く亡命政権の指導者としてその生涯を送った。蔣経国の実父。字は中正。原名瑞元。学名志清。浙江省奉化県の人。商人の出身。1907年(光緒33)保定振武学校(軍官学校)を卒業後,日本の陸軍士官学校に留学,同年,陳其美の紹介で中国同盟会に加入した。11年,武昌蜂起を知って帰国し,上海の滬軍都督陳其美のもとで活躍した。
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旺文社世界史事典 三訂版
蔣介石
しょうかいせき
Jiǎng Jiè-Shí
中国の政治家・軍人
字は中正。浙江 (せつこう) 省の塩商の子。1908年日本の陸軍士官学校に入学。留学当初,孫文の中国同盟会に加入し,帰国して1911年の辛亥革命に参加,23年孫文の知遇を受けて24年には黄埔軍官学校長となった。孫文の死後,中国国民党の実権を握り,1926年国民革命軍総司令として北伐を進めた。翌年上海クーデタを起こして反共を宣言し,南京国民政府を樹立,28年には宋美齢と結婚し,孫文の後継者となった。1928年北京を陥落させて北伐を完成。アメリカ・イギリスに接近し,浙江財閥を背景に国民政府主席となり,以後10年にわたり反共独裁の立場にたち,広西討伐・福建革命政府攻撃など内戦を続けた。1931年の満州事変当時には江西・福建のソヴィエト区を攻囲し,34年には共産勢力を延安に追った。1936年の西安事件を契機に国共合作を受諾。日中戦争が始まると抗日民族統一戦線を指導し,第二次世界大戦中は連合国側の一員となった。戦後共産党と対立,1948年中華民国総統となったが,翌年国共内戦に敗れて本土を追われ,以後台湾で国民政府を統率し,特例として事実上の終身総統となった。
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旺文社日本史事典 三訂版
蔣介石
しょうかいせき
台湾(中華民国)の軍人・政治家。中国国民政府総統
浙江省出身。日本陸軍士官学校卒。辛亥革命で活躍し,孫文死後右派の立場で国民党を指導。1926年国民革命軍総司令として北伐を進め,'27年の4・12クーデタ後,南京に国民政府を樹立した。その際共産党を弾圧。日本の中国進出が進むと,西安事件('36)を機に,国共合作による抗日にふみきり,日中戦争にあたる。抗日戦後,中国共産党との内戦に敗れ,'49年に台湾に退き,国民政府を維持した。
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