●蕉風【しょうふう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
蕉風
しょうふう
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デジタル大辞泉
しょう‐ふう〔セウ‐〕【×蕉風】
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世界大百科事典 第2版
しょうふう【蕉風】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
蕉風
しょうふう
俳諧(はいかい)史用語。芭蕉(ばしょう)によって主導された蕉門の俳風をいう。芭蕉以前の俳諧は、ことばのうえの洒落(しゃれ)やおかしみを主とした貞門(ていもん)風や、素材・表現の奇抜さに知的な興味を示した談林(だんりん)風のように、遊戯的な傾向が強かったが、芭蕉によってその文芸としての質が一変し、真に芸術的意義を確立するに至った。
蕉風発生の兆しは、天和(てんな)年間(1681~84)の漢詩文調俳諧流行を背景にした『次韻(じいん)』『虚栗(みなしぐり)』にうかがえるが、1684年(貞享1)に成った『冬の日』においてほぼ確立された。絶えず新しい境地を開拓し続けた芭蕉は、その後『阿羅野(あらの)』『ひさご』を経て、1691年(元禄4)刊の『猿蓑(さるみの)』においてもっとも円熟期を示し、さらに最晩年の『炭俵(すみだわら)』『続猿蓑(ぞくさるみの)』に至ると平明な「軽み」の風調をよしとするようになった。蕉風のあり方は、芭蕉没後門下にさまざまに論じられ、また18世紀後半(安永(あんえい)・天明(てんめい)期)には、蕪村(ぶそん)らによる蕉風復興運動において再認識され、さらに幕末から近代にあっても、いろいろな態度で引き継がれていった。
蕉風の特色は、発句に言外の余情(しをり)を説き、連句に余韻(にほひ)の映発による高次の付合(つけあい)を案出したことにある。具体的には、表現におけるイメージの形象性を重視した描写型の表現を確立し、そのイメージとイメージの映発のうちに生ずる微妙な情調を「さび」と称して尊重し、また、そうした「景」と「情」の融合した表現を導くものとして、主(作者)と客(対象)との一体化による「まこと」の精神が提唱された。晩年の「軽み」は、これをいっそう徹底したものといえる。
[堀切 實]
『宮本三郎著『蕉風俳諧論考』(1974・笠間書院)』▽『堀切實著『蕉風俳論の研究』(1982・明治書院)』
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精選版 日本国語大辞典
しょう‐ふう セウ‥【蕉風】
(2)芭蕉回帰・蕉門復興のなかで蕉風こそ不易の俳風であると考えられて、音読みの一致とあいまって、蕉風=正風の価値観が作り上げられていった。
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旺文社日本史事典 三訂版
蕉風
しょうふう
「正風」とも書く。松永貞徳の貞門,西山宗因の談林派を経て,元禄期(1688〜1704)は蕉風の全盛であった。「わび」「さび」「しおり」「軽み」などの芸術美を求め,門弟も多く,その余風は明治時代までも続いた。
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