●薩摩切子【さつまきりこ】
デジタル大辞泉プラス
薩摩切子
出典:小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
さつまきりこ【薩摩切子】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
薩摩切子
さつまきりこ
江戸時代のガラス器の一種。切子とはカットの意。1846年(弘化3)秋、薩摩(鹿児島県)の藩主島津斉興(なりおき)が、製薬のためにガラス器、ガラス瓶などの製造を必要とし、江戸からガラス職人、四本(しもと)亀次郎を招いて工場を開いたのに始まる。島津斉彬(なりあきら)の代になって藩の生産振興のために集成館が建てられ、西欧の技術をもとに諸工業の近代化が進められたが、その一環としてヨーロッパのガラス製法が導入され、薩摩切子が生まれた。ガラスは鉛ガラスで、銅赤ガラスの場合、比重は3.5前後。透明なガラス層に、赤紅色あるいは青、紫などのガラスをかぶせ、表層からカットして模様を表す場合が多い。製品は、皿、鉢、碗(わん)、杯、瓶などで、藩主をはじめとする上流階級の需要にこたえる一方、諸国の藩への贈答品として使われ、諸藩からの注文も増加した。薩英戦争(1863)の際に集成館が被災し、また斉彬が早逝したために短命に終わったが、その芸術性は高く評価されている。
[友部 直]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
事典 日本の地域ブランド・名産品
薩摩切子[ガラス]
さつまきりこ
鹿児島市・南さつま市・薩摩郡さつま町で製作されている。透明なガラスに色ガラスを被せてカットしたクリスタルガラス。ぼかしと呼ばれる高度なカット技法による美しいグラデーションが特徴。幕末、薩摩藩主・島津斉彬が磯の集成館に工場を建設して本格的なガラス製造が始まった。紅・藍・金をまぜた鮮赤色の切子は評判となったが、1863(文久3)年の薩英戦争で集成館が焼失し、以来幻のガラスといわれていた。1985(昭和60)年、鹿児島市磯で復活。色は紅・藍・金赤に緑・黄・紫・瑠璃を加え7色となっている。鹿児島県伝統工芸品。
出典:日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
さつま‐きりこ【薩摩切子】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
薩摩切子
さつまきりこ
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「薩摩切子」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●薩摩切子の関連情報