●薬師寺【やくしじ】
薬師寺
やくしじ
(1)
奈良市西ノ京にある
法相宗の
大本山。
南都七大寺の一つ。天武9 (680) 年,
天武天皇が
皇后の
病気平癒を祈念して
創建。
養老2 (718) 年,平城京造営に伴い
現在地に移転。
火災などによってその
全容は失われたが,奈良時代初期の三重塔 (
東塔,
国宝) をはじめ,『薬師三尊像』『聖観音像』など
白鳳・天平時代の国宝
指定の
仏像を蔵する。 1976年4月,100万巻写経運動などの
勧進により,長く仮堂であった
金堂が創建当初の
様式で
再建され,1980年には
西塔も再建をみている。 (2) 栃木県
下野市にあった寺。寺跡は国指定史跡 (→
下野薬師寺跡 ) 。天武天皇の創建という。
戒壇が設けられ,東国における
僧尼の
受戒所となり,日本
三戒壇の一つとして重んじられた。のちに衰微し,
足利尊氏が全国に安国寺を創建した際,当寺の跡に下野の安国寺を建てたと伝えられる。
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薬師寺
奈良市にある法相
宗の大本山。天武天皇が680年、皇后(後の
持統天皇)の病気が治るよう祈って
建立を
発願した。8世紀前半に建てられた東塔は国宝で、2019年まで解体修理中。西塔は1528年の
兵火で焼失したが、1981年に再建された。98年、「古都奈良の
文化財」として
ユネスコの
世界文化遺産に登録。
(2015-05-18 朝日新聞 朝刊 鹿児島全県・1地方)
出典:朝日新聞掲載「キーワード」
やくし‐じ【薬師寺】

奈良市にある
法相(ほっそう)宗の大本山。
南都七大寺の一。
天武天皇が皇后の病気平癒を祈願し、天皇没後の文武天皇2年(698)
藤原京に完成。平城遷都に伴い、現在の地に移転。たびたび火災などで諸堂を失ったが、昭和51年(1976)に金堂、昭和55年(1980)に西塔が再建された。東塔は創建当時の
遺構、東院堂は鎌倉時代の再建で、それぞれ国宝。また、薬師三尊像・聖観音菩薩立像・吉祥天画像・仏足石および仏足石歌碑(いずれも
国宝)などを蔵する。平成10年(1998)「古都奈良の文化財」の一つとして
世界遺産(文化遺産)に登録された。

栃木県下野市にあった寺。
天智天皇の時の創建と伝える。天平宝字5年(761)
勅命によって
戒壇を設け、日本三戒壇の一となった。のち、荒廃したあとに
足利尊氏が
安国寺を建立。
出典:小学館
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薬師寺
奈良県奈良市にある
寺院。法相(ほっそう)宗大本山。天武天皇の発願により、698年藤原京に開創。平城遷都に伴い現在地に移転。創建時に建てられた東塔は国宝に指定。金堂の
本尊の薬師三尊像(国宝)はじめ、数多くの文化財を
保有。「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録。南都
七大寺のひとつ。
出典:小学館
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やくしじ【薬師寺】
栃木県河内郡南河内町にあった寺。創建年次は
諸説あるが,天武天皇のときとする
説が有力である。761年(天平宝字5)に
戒壇院が設置され,東大寺戒壇院,筑前国観世音寺と並んで,三戒壇の一つとして坂東10ヵ国の
僧侶の
受戒に大きな役割を担った。754年(天平勝宝6)に大和国薬師寺僧行信が当寺に
配流,770年(
宝亀1)には
道鏡が造薬師寺別当として左遷された。9世紀中ごろには七大寺に比すべき伽藍の
形態をそなえ,大きな経済力を有していたが,以後徐々に衰退して
廃寺となった。
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やくしじ【薬師寺】
奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。南都七大寺・
十五大寺の一つ。680年(天武9)天武天皇が皇后の病全快を祈って建立を発願し,持統天皇を経て698年(文武2)藤原京に創建を終わったが,710年(和銅3)の平城遷都にともない,718年(養老2)に平城右京六条二坊に移建された。これが現在の薬師寺であり,
旧地(現,奈良県橿原市)を本(もと)薬師寺という。移転後の伽藍地は東西3町,南北4町にわたり,金堂,東西両塔,講堂をはじめ,三面僧坊,
経楼,食堂(じきどう)や大炊院,
温室院,苑院があり,いわゆる
薬師寺式伽藍配置の
典型を示していた。
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薬師寺
出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
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薬師寺
(奈良県奈良市西ノ京町457)
「
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。
出典:日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」
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やくし‐じ【薬師寺】
[一] 栃木県河内郡南河内町にあった寺。天武天皇の創建と伝えられる。戒壇院が置かれ、坂東一〇か国の僧を得度し、東大寺・観世音寺と並んで日本三戒壇の一つといわれた。行信・道鏡が配流。のち荒廃し、弘長二年(一二六二)良賢が中興。暦応二年(一三三九)足利尊氏が安国寺と改称。明治一三年(一八八〇)以来、真言宗智山派の寺。下野薬師寺。
[二] 奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。天武天皇九年(六八〇)皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈って造立起願され、文武天皇二年(六九八)にできた。初め飛鳥に建てられたが、のち藤原京に移され、平城京遷都に伴い養老二年(七一八)現在地に移転。もとのものを本薬師寺と呼ぶ。創建当時の伽藍は龍宮を模したといわれ、その配置を薬師寺式と呼ぶ。天祿四年(九七三)金堂・塔のほかは焼失し、間もなく再建されたが、度重なる災禍により東塔と東院堂のみが残る。東塔は三層裳階(もこし)付きで、本尊の薬師如来および両脇士像(薬師三尊)・観音菩薩立像、麻布著色吉祥天像、仏足石などとともに国宝。なお金堂は昭和五一年(一九七六)に、西塔は同五五年に当初の形にもとづいて再建された。
出典:精選版 日本国語大辞典
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薬師寺
やくしじ
①奈良市西ノ京にある法相宗の大本山。南都七大寺の一つ
②奈良時代,下野 (しもつけ) 国(栃木県)にあった寺で,東大寺,九州の観世音寺と並んで,三戒壇の一つ
白鳳時代,天武天皇の発願で飛鳥の木殿 (きどの) に創建。平城遷都により718年現在地に移建された。東塔・西塔のある薬師寺式伽藍 (がらん) 配置で,金堂の本尊『薬師三尊像』と東塔について,白鳳時代とする説と天平時代とする説とがある。その他本尊台座の文様,東院堂『聖観音像』(白鳳時代),『吉祥天画像』(天平時代),『仏足石』など多くの文化財を有する。
坂東10カ国の
得度を行った。道鏡は失脚後,この寺に配流された。現在は土塁の一部が残るだけである。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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