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藤原明衡【ふじわらのあきひら】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

藤原明衡
ふじわらのあきひら
[生]永祚1(989)
[没]治暦2(1066).10.18.
平安時代中期の学者,漢詩人。山城守敦信の子で,長く紀伝道を学び,その学識才能を自負していたが,儒家の出身でないため不遇であった。のちに出雲守や東宮学士文章博士,大学頭などに任じられ,後冷泉天皇の頃の碩学として文壇に君臨した。『本朝文粋』を編纂し,詩賦秀句を選んで『本朝秀句』をつくった。日本で最初に書簡文を集めて『明衡 (めいこう) 往来』をつくり,当時流行した猿楽の実態について『新猿楽記』を書いた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ふじわら‐の‐あきひら〔ふぢはら‐〕【藤原明衡】

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

藤原明衡 ふじわらの-あきひら
989-1066 平安時代中期の官吏,漢詩人。
永祚(えいそ)元年生まれ。藤原敦信(あつのぶ)の子。四十余歳でようやく対策(官吏登用試験)に及第,晩年に文章博士(もんじょうはかせ),大学頭(かみ)となった。従四位下。後冷泉(ごれいぜい)朝の代表的文人で,「本朝文粋(もんずい)」の編者。書簡文集「明衡(めいごう)往来」,風俗集「新猿楽記」など異色の著作をのこした。治暦(じりゃく)2年10月18日死去。78歳。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ふじわらのあきひら【藤原明衡】
989‐1066(永祚1‐治暦2)
平安中期の漢文学者,受領階級の文人。藤原四家のうちの式家宇合(うまかい)の後裔。父の敦信は,道長の子頼通の侍講をつとめた文章博士。母は良岑英材の娘,また子の敦基,敦光はともに文章博士となる。明衡は父の業を継ぎ漢学に精通し,和歌にも堪能であった。1004年(寛弘1)16歳で文章院に入学,14年(長和3)26歳で文章得業生となる。しかし累代の儒家でなく,官位も遅々として進まなかった。40歳代の長元年間(1028‐37)に官吏登用試験の対策に及第した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

藤原明衡
ふじわらのあきひら
(989?―1066)

平安後期の漢詩人。山城守敦信(やましろのかみあつのぶ)の子で15歳ごろに文章院(もんじょういん)に入学したが、対策(官吏登用のための最高試験)に及第したのは40歳を過ぎていた。それからまもなく大学の入学試験に際し二度も不祥事件を引き起こしている。彼は公卿(くぎょう)に頼まれて文章を書き、詩宴で多くの詩を賦したが、官位は停滞して卑官に甘んじ、晩年ようやく文章博士や大学頭になることができた。その子に敦基(あつもと)・敦光(あつみつ)の秀才が現れ、その子孫は院政期の学界に君臨した。作品は『本朝続文粋(もんずい)』や『本朝無題詩』などに収められているが、長年の沈淪(ちんりん)した境遇からわが身を嘆く暗い色調の詩文が多い。彼のもっとも大きな功績は平安時代の名文を集めて『本朝文粋』を編纂(へんさん)し、秀句を集めて『本朝秀句』(散逸)をつくり、わが国最初の書簡文集『明衡往来(めいごうおうらい)』を編し、都の庶民生活を取り上げて『新猿楽記(しんさるがくき)』を書いたことで、その卓越した才能と儒家出身でない自由な精神がもたらしたものといえる。

[大曽根章介]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ふじわら‐の‐あきひら【藤原明衡】
平安後期の漢学者。敦信の子。文章博士、東宮学士、大学頭などを歴任して従四位下に至る。「本朝文粋」「明衡往来」「本朝秀句」(佚)などを編纂し、「新猿楽記」を著した。詩文は「本朝続文粋」「本朝無題詩」などに見える。治暦二年(一〇六六)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

藤原明衡
ふじわらのあきひら
?〜1066
平安中期の学者
文章博士 (もんじようはかせ) ・大学頭などを歴任。博学で知られ,『本朝文粋』『明衡往来 (めいこうおうらい) 』『新猿楽記』の編者。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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