@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

蝦夷地【えぞち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

蝦夷地
えぞち
蝦夷の居住した地域。この地域の開発経営は,大和朝廷の成立以来徐々に進められ,奈良時代には古来の中部地方以北をさす地域が奥羽地方をさすようになり,平安時代の延暦 20 (801) 年には征夷大将軍坂上田村麻呂の大規模な討伐が行われ,岩手県中部の胆沢 (いざわ) 城に鎮守府がおかれた。その後安倍氏,藤原氏の支配時代を経て,鎌倉時代には津軽の安東氏が蝦管領として支配した。室町時代以降,蝦夷地は北海道,南千島樺太総称となった。安東氏の滅亡後,蝦夷の反乱を鎮圧した武田信広の子孫蠣崎慶広 (のちの松前氏) が豊臣秀吉から蝦夷地支配の朱印状を受け,蝦夷交易独占権を与えられた。江戸時代,松前氏は「蝦夷地のことは蝦夷次第」として和人地と蝦夷地の雑居を禁じたが,蝦夷地との水産物 (特にコンブ) を中心とする交易は,敦賀,大坂,長崎などとの間に行われ,経済開発も進展し,日本人のアイヌからの収奪が激しく,アイヌ人のたびたびの反乱を招いた。この頃,松前藩では渡島半島西部を松前,北海道南半を西蝦夷,同北半を東蝦夷,樺太を北蝦夷と称している。江戸時代中期以降,ロシアの南下政策による交易要求が盛んとなり,この地域は海防上重要視され,天明6 (1786) 年の最上徳内をはじめとして,以後近藤重蔵伊能忠敬間宮林蔵らの蝦夷地調査が行われ,享和2 (1802) 年には,幕府は東蝦夷地を,次いで文化4 (07) 年には全蝦夷地を直轄領として蝦夷奉行 (のち箱館奉行松前奉行と改称) に支配させたが,文政4 (21) 年には再び松前藩を興した。安政1 (54) 年以後松前藩領は縮小され,幕府は箱館奉行を復活して全蝦夷地の防衛,開拓にあたらせた。明治政府は明治2 (69) 年,蝦夷地を北海道と改称し,開拓使をおいて本格的な開拓に力を注いだ。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

えぞ‐ち【蝦夷地】
明治以前の北海道千島樺太(からふと)の総称。また、特に北海道のこと。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

えぞち【蝦夷地】
蝦夷の居住地,のちアイヌの居住地を指す。蝦夷観念の変化に伴い蝦夷地の地域概念にも変化がみられた。大化前代には中央政府の外に立ってこれと敵対関係にある人々をエミシと呼び,おもに〈毛人〉〈夷〉という文字をあて,その意味も〈あらぶる者〉〈まつろわぬ人々〉ということで,特定の地域に住む人々を指すものではなかったが,大化改新以降は,主として北越・奥羽地方に住む人々をエミシと呼ぶようになり,文字も〈蝦夷〉〈夷〉をあてるようになった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

えぞち【蝦夷地】
明治以前、北海道・樺太・千島の総称。特に、北海道の称。蝦夷。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

蝦夷地
えぞち
1869年(明治2)に改称されるまでの北海道の旧称。ただし、古代、中世は、夷狄ヶ島(えぞがしま)、蝦夷ヶ島という言い方が一般的であった。蝦夷地という呼称は、道南地域が渡来日本人すなわち「和人(わじん)」の地となって、松前(まつまえ)を称して以来、これと区別されたエゾ住地を意味し、道央から奥のアイヌ世界をさすようになった。したがって、中世後期以降、その体をなし、近世松前藩の成立とともにその称も定まったということができる。厳密には松前地区を含めないことになるが、一般には全島を含めてこの語で総称する。この呼称はいうまでもなく、古代蝦夷の伝統を近世に伝えたもので、日本史上のエゾ問題の最終章をなすものである。古代では北海道は、蝦夷国すなわち「道(みち)の奥(おく)」のさらなる奥島と考えられ、その意味で「渡島(わたりしま)」ともよばれたが、これを独立した地区と考えることはなかった。エゾ経営が東北地方北部まで志向する平安中期ごろから、これをエゾヶ島(夷狄ヶ島、蝦夷ヶ島、蝦夷ヶ千島(えぞがちしま))とよぶようになる。鎌倉幕府はここに間接的な成敗権を行使し、北条氏の被官安東(あんどう)氏が、津軽十三湊(とさみなと)(岩木川河口)に拠(よ)り、蝦夷管領(かんれい)として、この本州主権を代行していた。北奥の大豪族南部(なんぶ)氏が1443年(嘉吉3)安東氏を津軽から追い、安東氏はエゾヶ島に逃れた。安東氏は1456年(康正2)北羽に戻るが、この安東氏の渡道が、道南に中世武家時代を開く端緒になる。道南には「十二館」が成立、それらを統合して松前氏が、近世松前藩を成立させる。これら和人領主制確立の過程は、外にエゾとの戦いが強められ、彼らの領土を縮め、その利益を奪い、その結果として、彼らの抵抗を誘発する過程でもあった。1457年(長禄1)のコシャマインの戦い、1669年(寛文9)のシャクシャインの戦いは、そのうちでももっとも激烈な抵抗であった。このような戦いを勝ち抜いて、松前藩は、ウイマム(御目見(おめみえ)のアイヌ訛(なま)り)と称する朝貢貿易にこれを組織するほか、その公認された蝦夷地全域の独占的貿易権を「場所」ごとに分割、禄米(ろくまい)のない家臣団に知行(ちぎょう)相当に支配させた。知行主はさらにこれを特権商人に請負わせた。エゾ経済は、この場所請負制のもとに、急速に崩壊していった。幕末、抜荷(ぬけに)(密貿易)、外圧など、松前藩単独のエゾ地支配が不可能になってきたので、幕府はこれを直轄地とするようになり、何回かの変遷を経て、北海道に編成替えされた。[高橋富雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

えぞ‐ち【蝦夷地】
明治以前、北海道、樺太(からふと)(サハリン)、千島の総称。蝦夷。
休明光記(1807)一「彼カムサッカに近き蝦夷地のしまじま、廿計も彼方へ蚕食し」

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

蝦夷地」の用語解説はコトバンクが提供しています。

蝦夷地の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation