●表現主義【ひょうげんしゅぎ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
表現主義
ひょうげんしゅぎ
Expressionismus
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ひょうげん‐しゅぎ〔ヘウゲン‐〕【表現主義】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ひょうげんしゅぎ【表現主義 Expressionismus】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
表現主義
ひょうげんしゅぎ
Expressionismus ドイツ語
芸術流派・潮流。第一次世界大戦の直前に始まり、その戦後しばらくして終わったところの、芸術各領域での運動または傾向(1910年ごろから20年代前半まで)。その全体にわたる統一的な理論や方向といったものはなかったが、歴史大転換の時代の必然性に駆り立てられるようにして、さまざまな領域でさまざまな形のものが次々と現れた。19世紀までの安定した近代社会がぐらつき始めたという一種の崩壊感覚、状況への疑惑と自我・存在の不安、それを直視せねばならぬとする熱意、という、大転換期においての鋭敏な知識人たちの焦燥感や苦悩が、そこに示されている。それはまず芸術の領域で始まった。19世紀後半を支配した印象主義Impressionismus(ドイツ語)が、外界の印象を鮮明なイメージとして直接に描写的に表現するのに対して、外界とのそういう安定した関係を信じられなくなった魂は、印象そのままの表現でなく、印象に対する主観の強烈な動きのほうこそが表現に値する、と考えるようになった。印象は作者の内面性のなかで自覚されたところのはっきりした意味合い、そのゆえの精神的な強烈な体験において表現されることになり、それに伴って自我や個性の大胆な表現またはフォルムの単純化や変形を示した。すでに19世紀末から、自然主義と印象主義とに対する対立は、後期印象派やムンク、ホドラーらの美術活動として始まっていたが、1905年にドレスデンでグループ「ブリュッケ(橋)」が結成されたことによって、表現主義は新しい運動として登場することになった。
[小田切秀雄]
ドイツ
ドイツでは、この運動は1910年ごろに始まり、20年代の前半に幕を閉じた。共通の旗印や統一的な路線をみいだそうとするのは困難で、無方向なまでにさまざまな傾向を含んだ発酵現象であった。まず造形芸術とくに絵画に始まり文学、演劇、音楽、さらには思想や政治の分野にまで飛び火した。この文学運動が成立する背景には近代の終末、存在の崩壊、世界喪失という状況があった。この零(ゼロ)地点的状況が表現主義において初めて文学的認識の根本問題になったとき、ここに近代文学とは根底から異なった新しい文学、つまり「存在の文学」としての現代文学が生まれる。この意味で表現主義は、現代文学の出発点であり、20世紀文学は、いまなおこの文学革命が敷いたレールの上を走っている。初期表現主義者たち、すなわち1910年ごろから活躍を始めたハイム、シュタードラー、シュトラム、ゾルゲ、トラークル、ウェルフェル、ベン、ベッヒャーらの若い叙情詩人たちは、存在の崩壊と混乱を身をもって示す震度計であり、その作品は、「存在することの痛み」の文学であった。シュテルンハイム、ウンルー、カイザーらの劇作も同じ性格をもっていた。
第一次大戦は、表現主義に一種の小休止を与えるが、終戦とともに青年運動の過激さと戦後文学の異常な熱度と前衛芸術の斬新(ざんしん)さをもって一世を風靡(ふうび)する。トラー、ウェルフェル、カイザー、ハーゼンクレーバー、デーブリーン、ブレヒト、バールラハ、カール・クラウスらの作家が登場し、とくに華々しい脚光を浴びたのは劇作で、表現主義演劇の実験的な演出法や舞台装置は、今日までその名残(なごり)を色濃くとどめ、わが国の新劇にも大きな影響を及ぼした。表現主義は、時代の流行になるとともにしだいに衰滅していった。1924年ごろから暫定通貨レンテン・マルクの奇跡がもたらしたつかのまの太平楽は、ドイツの芸術革命の息の根を止めた。デーブリーンの大都会小説『ベルリン・アレクサンダー広場』(1929)とブレヒトの傑作『三文オペラ』(1928)は、表現主義の総決算であると同時にその決別ともなった。けっして表現主義者ではなかったが、表現主義が投げかけた存在の零地点という問題性をもっとも正統的に把握した2人の同時代の作家がいる。カフカとムシルがそれである。
[前田敬作]
日本
日本では、1915年(大正4)森鴎外(おうがい)がクラブントの表現主義的な詩10編を訳出したのが最初だが、21年浅草キネマでの『カリガリ博士』の上映と、24年築地(つきじ)小劇場杮落(こけらおと)しの際のゲーリング『海戦』の上演とによって、表現主義は広く注目されるようになる。1924~25年には「先駆芸術叢書(そうしょ)」として、トラー『群衆=人間』、チャペック『ロボット』、ユージン・オニール『皇帝ジョーンズ』などが相次いで訳出され、そのほとんどが築地小劇場で上演された。また北村喜八(きはち)、一氏義良(いちうじよしなが)、村山知義(ともよし)らによる紹介・翻訳・評価も出た。表現主義においての、自我や純粋や心霊やの直視が、演劇の面で自己告白劇(イッヒ・ドラマIch Drama)と叫喚劇(シュライ・ドラマSchrei Drama)の方向に発展する、という論をはじめとして多くの論が行われた。しかし『海戦』などが、一時甚だ新鮮かつ強力で演劇面に強い刺激を与えたほかは、この派として日本文学のなかに直接の影響というべきものは残していない。しかし、この派の特色としての内的生命の強烈な表出ないし魂の痛みの鋭い表現ということは、大正末年以降の日本文学の複雑な動きのなかにさまざまな仕方で影響しているとみられる。また、大正末年からの新感覚派は、自分らの立場に関係のある流れの一つとして表現主義をあげている。ただし、シュルレアリスムその他多くの流れの一つとしてであって、とくに表現主義との関係をつきつめるということはなかった。機会は失われたのであった。
[小田切秀雄]
『ルカーチ他著、池田浩士編訳『表現主義論争』(1968・盛田書店)』▽『千葉宣一著『現代文学の比較文学的研究』(1978・八木書店)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ひょうげん‐しゅぎ ヘウゲン‥【表現主義】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
表現主義
ひょうげんしゅぎ
Expressionismus (ドイツ)
19世紀の自然主義・印象主義に対立して,事物の姿そのものよりも主観を強く押し出した。表現形式は一般に濃厚で威力的であり,政治上では独占資本に対立する小市民の立場をとり,革新的傾向と結びついた。絵画にドイツのキルヒナー・カンディンスキー,小説ではハインリヒ=マンらがいる。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「表現主義」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●表現主義の関連情報