●袁世凱【えんせいがい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
袁世凱
えんせいがい
Yuan Shi-kai; Yüan Shih-k`ai
[没]1916.6.6. 北京
中国の軍人,政治家。北洋軍閥の巨頭。大郷紳の家に生れた。朝鮮に派遣され,甲申の変 (1884) 以後は朝鮮の内治,外交を支配した。日清戦争後,帰国して新軍創建に従事,光緒 24 (98) 年の戊戌の政変に際し光緒帝を裏切り,同 25年山東巡撫となり義和団 (→義和団事変 ) を鎮圧。同 27年,直隷総督兼北洋大臣に就任,清朝最大の実力者の一人となったが清廷貴族にねたまれ,同 33年軍機大臣に転じられ,宣統1 (1909) 年引退させられた。同3年,辛亥革命が起ると内閣総理大臣に起用され,1912年宣統帝を退位させ,中華民国臨時大総統となる。次いで国民党を弾圧,13年正式大総統就任。国会解散で独裁を強化,16年みずから皇帝と称したが,反乱拡大のため帝制実施を断念。まもなく急死した。
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デジタル大辞泉
えん‐せいがい〔ヱン‐〕【袁世凱】
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ユアン‐シーカイ【袁世凱】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
袁世凱 えん-せいがい
咸豊9年8月20日生まれ。甲申(こうしん)事変(1884)の際,清国軍をひきいて朝鮮に武力介入し,日本と対立。のち北洋軍閥を統率。辛亥(しんがい)革命では宣統帝(愛新覚羅溥儀(あいしんかくら-ふぎ))の退位とひきかえに,孫文にかわり中華民国臨時大総統となる。1913年初代大総統につくと独裁をつよめ,帝政実現をはかるが,対華21ヵ条要求受諾による反日気運と反袁運動のなかで,1916年6月6日病死。58歳。河南省出身。
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世界大百科事典 第2版
えんせいがい【袁世凱 Yuán Shì kǎi】
中国の軍人政治家。河南省項城県の人。字は慰庭(亭),号は容庵。大地主の家に育ち,科挙になんどか失敗して軍伍に身を投じた。祖父の代に淮軍(わいぐん)の将(袁甲三)を出した縁もあり,朝鮮で甲申事変を鎮圧して李鴻章にみとめられた。日清戦争に敗北した清朝は近代兵制の採用にふみきるが,その新軍の監督に任ぜられた袁世凱は,義兄弟の徐世昌をはじめ息のかかった若手将校を各部門の責任者に抜擢配置し,強力な私的人脈を形成する。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
袁世凱
えんせいがい
(1859―1916)
中華民国の初代大総統。河南省項城県の生まれ。日清(にっしん)戦争前は、朝鮮で政治、軍事に手腕を発揮し、李鴻章(りこうしょう)の信任を得て、総理交渉通商事宜(じぎ)としてソウルに駐在し、朝鮮の内治、外交に干渉して属国化した。日清戦争の敗北後、軍制、軍隊の近代的改革を断行し「新建陸軍」を組織した。これが後の北洋軍閥および袁の政界進出の礎石となった。このとき、袁の養成した部将が民国後の北洋軍閥の首脳となる。李鴻章の没(1901)後、直隷(ちょくれい)総督兼北洋大臣となり、自己の勢力を強化拡大していった。日露戦争後、袁の伸張に対する満州人官僚の巻き返しによって、一時下野を余儀なくさせられるが、辛亥(しんがい)革命の勃発(ぼっぱつ)によってふたたび軍事の全権をゆだねられ、1911年11月に内閣総理大臣となり、清朝政府の実権を掌握した。1912年2月、南方政府の譲歩を引き出し、清帝退位と引き換えに臨時大総統の地位につき、中華民国が成立する。その後、袁は、帝国主義列強の支持を背景に革命の成果を骨抜きにしていった。大総統の権限を制約しようとする議会の動きを、国民党首脳宋教仁(そうきょうじん)の暗殺によって抑制し、さらにそれを契機に起こった「第二革命」を武力鎮圧した。1913年10月には正式に大総統となって、国民党の解散を命じるとともに新約法を公布して独裁を強化し、1915年には帝制運動を開始した。袁の政府には、自国の利権の扶植を図る多くの外国人「顧問」がおり、帝制運動の画策に大きな役割を果たした。しかし、日本の二十一か条要求に対する中国のナショナリズムの高揚、1915年末の雲南蜂起(ほうき)を契機に各地で起こった反袁運動の拡大により、列強も帝制取消しを勧告、ついに1916年3月、袁は帝制取消しを宣言した。その直後、討袁の続くなかで没した。
[南里知樹]
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精選版 日本国語大辞典
えん‐せいがい ヱン‥【袁世凱】
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旺文社日本史事典 三訂版
袁世凱
えんせいがい
清末・中華民国初期の軍閥政治家。中華民国初代大統領
中国河南省の人。1882年の壬午軍乱(第1次京城事件)以来,朝鮮の内政・外交権を掌握し,日清戦争後は北洋軍閥を育成,'98年戊戌 (ぼじゆつ) の政変では変法派を裏切り,西太后の信任を得た。1911年辛亥 (しんがい) 革命では孫文と通じ,清の宣統帝を退位させ,中華民国初代の大総統となった('12)。ついで孫文らの国民党を弾圧し,独裁政治を行った。'15年には日本の二十一カ条要求を受諾。その後,帝政を企てたが失敗し,反日・反袁運動の高まりの中で急死した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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