●裴世清【はいせいせい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
裴世清
はいせいせい
Pei Shi-qing
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デジタル大辞泉
はい‐せいせい【裴世清】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
裴世清 はい-せいせい
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世界大百科事典 第2版
はいせいせい【裴世清 Péi Shì qīng】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
裴世清
はいせいせい
生没年不詳。6世紀前半の隋(ずい)の官人。607年(推古天皇15)に推古(すいこ)天皇が派遣した遣隋使に対して隋の煬帝(ようだい)が日本に遣わした返答使(へんとうし)。裴氏は六朝(りくちょう)時代以来の名族で、世清は来日時には文林郎(ぶんりんろう)(秘書省の属官)・鴻臚寺掌客(こうろじしょうきゃく)(外国使節の接待係)の職にあった。『日本書紀』によると、裴世清一行は、遣隋使小野妹子(おののいもこ)らとともに、608年4月に筑紫(つくし)に到着、6月難波津(なにわづ)に入る際には飾船(かざりぶね)30艘(そう)の歓待を受け、8月に飾騎(かざりうま)75匹に迎えられて入京し、朝廷に招かれて煬帝からの親書を推古天皇に伝えた。9月には帰国の途につくが、送使に小野妹子が命ぜられ、あわせて高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなぶちのしょうあん)、僧旻(みん)などの留学生が同行した。裴世清来日の記事は『隋書』にも詳しい。
[菊地照夫]
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精選版 日本国語大辞典
はい‐せいせい【裴世清】
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