●西安事件【せいあんじけん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
西安事件
せいあんじけん
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デジタル大辞泉
せいあん‐じけん【西安事件】
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世界大百科事典 第2版
せいあんじけん【西安事件】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
西安事件
せいあんじけん
1936年12月、中国の西安(せいあん/シーアン)で蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)が監禁された事件。36年、旧東北軍の張学良(ちょうがくりょう/チャンシュエリヤン)は東北軍総司令として、西北軍総司令の楊虎城(ようこじょう/ヤンフーチャン)とともに陝西(せんせい/シャンシー)省北部の中共軍を包囲していた。張は剿匪(そうひ)総司令部(匪は中共をさす)の副司令でもあったが、彼の部下の兵士たちは、中共の内戦停止、一致抗日の呼びかけを支持していた。「先安内後攘(じょう)外」(国内平定が先決、外敵は後回し)という政策をとり、抗日運動を抑圧していた蒋は、自ら対共作戦督促のため、張軍の布陣する西安に飛んで華清池(かせいち/ホアチンチ)に滞在した。ちょうど一二・九運動1周年に向けて西安の青年たちはデモを行い、張らを牽制(けんせい)した。張、楊は民衆の要求を背景に12月12日、蒋を逮捕し、内戦停止、抗日、政治犯釈放などを要求した。中共は南京(ナンキン)では親日派の何応欽(かおうきん/ホーインチン)が覇権をねらっていること、南京の親英米派は一定の条件のもとに抗日に参加しうることなどの状況判断にたって平和解決に乗り出し、25日、蒋介石は釈放されて南京に戻り、内戦は停止された。この事件は抗日民族統一戦線結成の契機となり、中国近代史における重要な転換点となった。
[安藤彦太郎]
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せいあん‐じけん【西安事件】
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旺文社世界史事典 三訂版
西安事件
せいあんじけん
内戦停止・挙国抗日を主張する張学良らは,共産軍討伐の継続を督励する蔣介石に反対し,12日未明,彼を宿舎に襲って逮捕・監禁した。中国共産党は事件の平和的解決に努力し,中国国民党も妥協したので,ここに第2次国共合作が成立し,抗日民族統一戦線が結成されるに至った。
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旺文社日本史事典 三訂版
西安事件
せいあんじけん
張学良らが中国共産党の抗日統一戦線の呼びかけに応じたもので,蔣が屈して国共合作がなった。
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