●西彼杵半島【にしそのぎはんとう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
西彼杵半島
にしそのぎはんとう
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デジタル大辞泉
にしそのぎ‐はんとう〔‐ハンタウ〕【西彼杵半島】
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世界大百科事典 第2版
にしそのぎはんとう【西彼杵半島】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
西彼杵半島
にしそのぎはんとう
長崎市北部から佐世保(させぼ)市に向って突出する半島。東は大村湾、西は角力灘(すもうなだ)に面する。長崎市、西海市(さいかいし)が立地する。半島の大半は結晶片岩の古生層によって構成され、標高400メートル内外の隆起準平原をなす。北部だけは標高200メートル内外の玄武岩台地である。中央部の準平原面上には、第二次世界大戦後の開拓地が散在し、開拓道路が山頂部を南北に縦貫しており、「県民の森」や「神ノ浦(こうのうら)ダム」「雪ノ浦(ゆきのうら)ダム」の施設を有する。古くからイノシシの生息地で、イノシシの侵入を防ぐ石積みによる「猪垣(いがき)」の遺構があり、現在もイノシシによる、イモ、ムギの被害は絶えない。半島の東岸はリアス式海岸で真珠養殖が盛ん。1955年(昭和30)伊ノ浦(いのうら)瀬戸(針尾瀬戸)に西海橋が完成。また、国道206号が整備され、佐世保や長崎市中心市街地への交通も便利となり、ミカン、スイカなどの換金作物の栽培が進捗(しんちょく)している。半島の西海岸は断層起源の海食崖(がい)が連続しているため道路の開発が遅れたが、現在は国道202号が海岸沿いに通じる。旧大村藩の西域にあたりキリシタン集落も多い。出津(しつ)や黒崎(くろさき)の教会は、付近の自然景観とともに崇高・敬虔(けいけん)な雰囲気を漂わせている。さらに、西方海上の松島(まつしま)は旧藩時代の捕鯨基地として知られたが、大正・昭和時代は大(おお)島、崎戸(さきと)島、池島とともに海底炭田の島として繁栄した。現在離島炭田は閉山している。北部の台地は畑作地帯で、中世末の開港場、横瀬(よこぜ)浦がある。
[石井泰義]
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精選版 日本国語大辞典
にしそのぎ‐はんとう ‥ハンタウ【西彼杵半島】
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