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覚阿【かくあ】

美術人名辞典

覚阿
平安時代後期の。極楽寺上人。詠歌は『筑波集』『新撰筑波集』に載録されている。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

覚阿 かくあ
1143-? 平安時代後期の僧。
康治(こうじ)2年生まれ。比叡(ひえい)山で天台教学をまなぶ。承安(じょうあん)元年(1171)(そう)(中国)にわたり,霊隠(りんにん)寺の瞎堂慧遠(かつどう-えおん)に師事してをまなび,印可をえた。帰国後,比叡山にもどった。近江(おうみ)(滋賀県)出身。俗姓藤原

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

かくあ【覚阿】
平安末期の禅僧生没年不詳。藤原氏の出身で,はじめ比叡山に登り勉学に努めたが,貿易商に宋国で禅の盛んなことを聞き,渡海入宋を決意した。1171年(承安1)南宋の杭州に至り,霊隠(りんにん)寺の仏海禅師瞎堂慧遠に教えを乞うたが,容易に奥義に達することはできなかった。翌年金陵に遊んだ際,たまたま鼓声を聞いて忽然(こつぜん)大悟し,仏海の印可を得ることができた。覚阿が帰朝すると高倉天皇は召して禅宗を問うた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

覚阿
かくあ
(1143―?)
平安末期の叡山(えいざん)の僧。俗姓は藤原氏。栄西(えいさい)より早く中国の宋朝禅(そうちょうぜん)を日本へ伝えた。出家後に教学を学んだが、南宋で禅が盛んなことを聞き、1171年(承安1)入宋(にっそう)し、杭州(こうしゅう)(浙江(せっこう)省)霊隠寺(りんにんじ)の瞎堂慧遠(かつどうえおん)(1103―1176)に参じた。長江の岸で鼓声を聞いて大悟し、慧遠に呈した偈(げ)が、日本人としてはただ一人、『嘉泰普燈録(かたいふとうろく)』『五燈会元(ごとうえげん)』に収められている。帰朝後は叡山に庵居(あんきょ)したが、高倉(たかくら)天皇に召されて禅要を問われたとき、笛を吹いて答えたものの理解されず、時機未熟なることを感じて、ふたたび叡山に帰り、以後世間へ出ることはなかった。[中尾良信]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
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精選版 日本国語大辞典

かくあ【覚阿】
平安末期の天台宗の僧。近江の人。はじめ比叡山に学ぶ。承安元年(一一七一)宋に渡り、杭州霊源寺の仏海禅師、瞎道慧遠(かつどうえおん)に参禅。笛の音を聞いて大悟したといわれ、帰国後、叡山に隠れ、その後の行跡は世に知られない。康治二年(一一四三)生。没年未詳。

出典:精選版 日本国語大辞典
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