●観世音寺
デジタル大辞泉プラス
観世音寺
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デジタル大辞泉
かんぜおん‐じ〔クワンゼオン‐〕【観世音寺】
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世界大百科事典 第2版
かんぜおんじ【観世音寺】
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
観世音寺
かんぜおんじ
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日本大百科全書(ニッポニカ)
観世音寺
かんぜおんじ
福岡県太宰府(だざいふ)市観世音寺にある天台宗の寺。清水山普門院(せいすいざんふもんいん)と号する。661年(斉明天皇7)百済(くだら)救援のために九州に滞在していた斉明(さいめい)天皇が死去したため、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智(てんじ)天皇)が母の菩提(ぼだい)を弔うために創建。造営工事は進まず、723年(養老7)に至って満誓(まんぜい)(笠麻呂(かさまろ))によって造営された。745年(天平17)、法相(ほっそう)宗の第四伝、玄昉(げんぼう)が左遷されて本寺の工事を監督し、翌746年に落慶供養(くよう)が行われている。749年(天平勝宝1)500町歩(496ヘクタール)の墾田が寄せられた。761年(または762年)同寺に戒壇が設けられ、奈良の東大寺、下野(しもつけ)(栃木県)の薬師寺の戒壇と並んで天下の三戒壇の一つをなし、西国の人の受戒の場所となった。盛時は西国第一の寺となり、七堂伽藍(がらん)を完備、49院が所属し、500町歩の寺領をもった。しかし1064年(康平7)に火災にあい、その後再建されたが、ふたたび火災にあって諸堂を焼失して衰えた。現在の講堂、金堂(阿弥陀(あみだ)堂)は1688年(元禄1)の再建になる。戒壇院は江戸時代に独立した寺となった。日本最古といわれる白鳳(はくほう)期の梵鐘(ぼんしょう)(国宝)は菅原道真(すがわらのみちざね)の詩で有名。平安時代の復興以降に造立された仏像が多く残っており、十一面観音(かんのん)像、馬頭観音像、不空羂索(ふくうけんさく)観音像の3体は5メートルにも及ぶ。そのほか毘沙門天(びしゃもんてん)像、大黒天像などがあり、木像18躯(く)、舞楽面3面、石造狛犬(こまいぬ)1対、銅製天蓋(てんがい)光心などの国の重要文化財がある。なお、905年(延喜5)の『観世音寺資財帳』(国宝、東京芸術大学蔵)は草創期の寺の規模を伝える貴重な資料である。
[田村晃祐]
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精選版 日本国語大辞典
かんぜおん‐じ クヮンゼオン‥【観世音寺】
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旺文社日本史事典 三訂版
観世音寺
かんぜおんじ
天智天皇の勅願に基づき創建され,746年に完成。761年には戒壇院がつくられた。東大寺・下野 (しもつけ) 薬師寺と並ぶ「天下の三戒壇」の一つで,正式な僧となるにはこれらの三寺のいずれかで受戒しなければならなかった。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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