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話劇【わげき】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

話劇
わげき
Hua-ju
中国における新劇。歌舞本位の古典劇に対し,対話 (せりふ) と思想内容に重点をおいた劇をいう。中国では五・四運動の結果近代演劇が勃興したが,その先鞭をつけたのは新派色の濃い「文明戯」であった。 1920年代には上海劇団,特に欧陽予倩洪深らの「戯劇協社」,田漢らの「南国社」,夏衍らの「芸術劇社」などが中心となって翻訳劇と創作劇の上演活動をした。 30年代になるとこれらの演劇は次第に国防演劇の色彩強め,日中戦争下では抗日運動に大きな役割を果した。代表的な作家には郭沫若,老舎,丁西林,曹禺らがいる。中華人民共和国成立後 58年頃まで活躍していたこれらの劇作家は,文化大革命で批判され,迫害されたが,77年以降名誉回復され,禁止されていた作品の再演が行われている。

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デジタル大辞泉

わ‐げき【話劇】
中国の新劇。20世紀初めごろ、日本の新派劇の影響を受けて起こった。京劇など歌舞を主とする古典劇に対して、話し言葉を重視する。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

わげき【話劇 Huà jù】
中国の近代科白劇,新劇をいう。1907年,春柳社が《椿姫》《アンクルトム小屋》を東京で上演したのに始まる。春柳社は,欧陽予倩(おうようよせん)ら東京に留学していた留学生が,壮士劇や新派の影響を受けて,1906年末に結成した劇団である。これをうけて春陽社を結成した王鐘声(1874?‐1911)は《アンクル・トムの小屋》を上海で初演した。10年(宣統2)には北京でも上演された。舞台照明,衣裳などの新奇さがうけて大評判をとった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

話劇
わげき

中国の演劇ジャンル。話しことばの劇の意味で、伝統演劇に対し日本でいう新劇をさす。1907年に留日学生が東京で結成した春柳(しゅんりゅう)社から話劇史は始まる。上海(シャンハイ)では話劇を提唱していた人々が文明戯(ウェンミンシー)とよばれる、日本の新派の流れをくむ演劇を上演していたが、しだいに商業化した。欧米や日本で新劇を学んだ焦菊隠(しょうきくいん)、李健吾(りけんご)、黄佐臨(こうさりん)、洪深(こうしん)、田漢(でんかん)、欧陽予倩(おうようよせん)らが話劇の導入に尽力し、1919年の五・四(ごし)運動とともに封建制否定、婚姻の自由、人道主義をテーマとしたイプセン、チェーホフ、B・ショー、菊池寛(きくちかん)らの戯曲が相次いで紹介され、欧陽予倩作『溌婦(じりつ)』、田漢作『獲虎之夜(とらがりのよ)』、丁西林(ていせいりん)作『圧迫(よくあつ)』なども上演された。また、人芸戯劇専門学校、北平(ベーピン)大学芸術学院戯劇系、南国芸術学院なども設立され、話劇の基礎が築かれた。

 1930年代は旧ソ連のプロレタリア演劇の影響で話劇は労働者、学生のなかへ広まり、31年には左翼戯劇家連盟が結成された。抗日戦に入ると、救亡、抗敵演劇隊が編成され街頭劇や一幕劇で抗日救国を訴え、重慶(じゅうけい)や昆明(こんめい)などでの上演を通じ金山(きんさん)、朱琳(しゅりん)など名優が輩出した。30年代末にはスタニスラフスキー・システムの紹介が始まった。一方、30年代初頭、瑞金(ずいきん)を中心とするソビエト区では沙可夫(さかふ)、胡底(こてい)、韓進(かんしん)、李伯釗(りはくしょう)、石聯星(せきれんせい)らが活躍し、話劇のほか報道劇である活報(フォパオ)劇も上演し、ゴーリキー演劇学校を設立(1933)した。延安(えんあん)時代には、延安魯迅(ろじん)芸術学院戯劇系で新劇人の養成が行われ、毛沢東(もうたくとう)の「文芸講話」(1942)後は「労働者、農民のための演劇」をスローガンに、民族形式のヤンコー(秧歌)劇や新歌劇運動が展開された。

 中華人民共和国成立(1949)後は、中央、上海両戯劇学院の設立や留学生の派遣で、優れた人材を各部門に送り出した。演出家では呉雪(ごせつ)、楊村彬(ようそんぴん)、夏淳(かじゅん)たちに、ソ連のルナチャルスキー演劇学院留学の鄧止怡(とうしい)、陳顒(ちんぎょう)、張奇虹(ちょうきこう)、周来(しゅうらい)らが加わり、話劇は充実し発展した。中国青年芸術劇院、上海人民芸術劇院、北京(ペキン)人民芸術劇院などの専門劇団や児童劇団のほか、陸海空三軍の専門劇団および労働者アマチュア劇団も多数設立された。解放軍兵士の自覚成長を描いた胡可(こか)作『戦闘裡(たたかいで)成長』(1949)、ウイグルの獣医たちに取材した武玉笑(ぶぎょくしょう)作『遠方の青年』(1962)、愛国をテーマにした王煉(おうれん)作『祖国狂想曲』(1981)など、リアリズムを基調とする多彩な題材の現代劇のほか、児童劇、歴史劇、翻訳劇も上演されている。文革時の停滞を破り、創作、演出、演技、舞台美術などのコンクールも盛んである。また、数度にわたる日本の新劇団やドイツのマンハイム民族劇団の訪中公演(1982)も迎え、老舎(ろうしゃ)作『茶館(さかん)』の訪欧(1980)、訪日公演(1983)、さらには英中合同演出のシェークスピア作『尺には尺を』(1981)、アーサー・ミラー作・演出の『セールスマンの死』の上演(1983)や、国際演劇協会加盟(1980)、ブレヒト・シンポジウム参加(1981)など国際交流も活発である。

[中野淳子]

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精選版 日本国語大辞典

わ‐げき【話劇】
〘名〙 中国で、音楽・舞踊を主とした旧劇に対して、対話を主とする新劇の称。日本の新派劇の影響を受けて、二〇世紀初めごろにおこった。

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