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説経【セキョウ】

デジタル大辞泉

せ‐きょう〔‐キヤウ〕【説経】
「せっきょう」の促音の無表記。
「―などにはことに多く聞えざりき」〈・三三〉

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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せっ‐きょう〔‐キヤウ〕【説経】
[名](スル)
僧侶が経典の意味を説いて聞かせること。
説経節」の

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世界大百科事典 第2版

せっきょう【説経】
説経唱導ともいい,仏教の教理や信仰を平易に解説すること。もとは経典の内容や譬喩(ひゆ)を語ることから説経といったが,講経といわれるほど内容に密着したものでなく,興味本位の譬喩説や因縁談が多かった。これを語るためには節をつけたので,説経は芸能化して説経浄瑠璃説経節になった。また近世には節談(ふしだん)説教ともいったが,説教と称する法話とは別である。説経の名称は平安時代からもちいられ,《枕草子》に〈説経師は顔よき〉と書かれたのは有名で,興味本位に見られていた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

せっきょう【説経】
スル
僧侶が経文の講釈をすること。
「説経節」「説経浄瑠璃」の略。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

説経
せっきょう
語物。正しくは説経浄瑠璃(じょうるり)、説経節ともいう。鎌倉末から室町初期のころ仏教界の節付(ふしづけ)説教(節談(ふしだん)説教)から派生した民間芸能。もともと説経(説教)とは、経典や教義を説いて民衆を教化する行為をさすが、それを実践する説経師(説教者)たちが、ことばに節をつけて話芸風に口演したためしだいに芸能化し、ついに民間人のなかに入ったのである。民間を流浪する唱門師(しょうもんし)らの手に渡った説経は、寺院の説教(唱導)における譬喩因縁(ひゆいんねん)談を簓(ささら)、鉦(かね)、鞨鼓(かっこ)を伴奏として語り、歌っていたが、門付(かどづけ)をしたために「門説経(かどぜっきょう)」とよばれた。また、歌謡性が強いために「歌説経(うたぜっきょう)」ともいわれた。
 この系統のものとは別に、大道芸人のなかに入った説経は、やがて小屋で人形を遣う説経座となった。つまり説経には、(1)門説経、歌説経の放浪芸の系統と、(2)小屋掛け興行の説経座の系統と2種類があったのである。(1)の系統と三井寺(みいでら)とは近世に深いかかわりをもっていた。三井寺所属の近松寺(ごんしょうじ)の支配下に関清水蝉丸宮があり、その配下に民間を流浪する多数の説経語りがあって全国各地で活動した。この系統の人たちのなかには、山伏の祭文(さいもん)と結び付いて「説経祭文」となり、文化(ぶんか)・文政(ぶんせい)・天保(てんぽう)(1804~1844)のころに寄席(よせ)演芸にもなった。
 (2)の系統では近世において関東の玉川派、関西の日暮(ひぐらし)派が知られ、おおむね勢力を二分していた。この説経の全盛期は、寛永(かんえい)(1624~1644)から万治(まんじ)・寛文(かんぶん)(1658~1673)のころで、京都の日暮小太夫、大坂の説経与七郎、江戸の佐渡七太夫、天満八太夫、結城孫三郎(ゆうきまごさぶろう)らが著名であった。正本として『五翠殿』(熊野之御本地)、『法蔵比丘(ほうぞうびく)』(阿弥陀(あみだ)之本地)、『阿弥陀胸割(むねわり)』『梵天国(ぼんてんごく)』『目蓮尊者(もくれんそんじゃ)』『善光寺開帳』『釈迦(しゃか)の本地』『五大力菩薩(ぼさつ)』『曇鸞記(どんらんき)』などがある。多くの演目のなかで「苅萱(かるかや)」「信徳丸(俊徳(しゅんとく)丸)」「小栗判官(おぐりはんがん)」「三荘太夫(さんしょうだゆう)(山椒太夫)」「梵天国」が五説経とされたが、享保(きょうほう)(1716~1736)のころ「苅萱」「三荘太夫」のほかは「愛護若(あいごのわか)」「信田妻(信太妻)(しのだづま)」「梅若」が入れ替わって五説経といわれたという。この系統の説経は、浄瑠璃や歌舞伎(かぶき)に比べて難点が多く、低俗だったため、宝永(ほうえい)・正徳(しょうとく)(1704~1716)ごろ京坂のほうから人気を失い、早く衰退した。
 しかし、江戸において、放浪芸の系統から祭文として命脈を保ってきた説経を巧みに利用して寛政(かんせい)・享和(きょうわ)(1789~1804)のころに再興した一派があった。薩摩(さつま)派、若松派はその系統である。[関山和夫]
『室木弥太郎著『語り物(舞・説経・古浄瑠璃)の研究』(1970・風間書房) ▽荒木繁・山本吉左右編・注『説経節』(平凡社・東洋文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

せ‐きょう ‥キャウ【説経】
〘名〙 (「せっきょう」の促音「っ」の無表記) =せっきょう(説経)
※枕(10C終)三三「せ経などにはことにおほく聞えざりき」

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せっ‐きょう ‥キャウ【説経】
〘名〙
① (━する) 経文の意味を説き聞かせること。説法。唱導。談義。せきょう。
※枕(10C終)三三「たふときこと、道心おほかりとて、説経すといふ所ごとにさいそにいきゐるこそ」
※徒然草(1331頃)一八八「或者、子を法師になして、『学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ』といひければ」
※ロドリゲス日本大文典(1604‐08)「ハチコクリ、または、ハチタタキ、xecquiǒno(セッキャウノ) タグイ」
※浮世草子・俗つれづれ(1695)一「日暮し小太夫が説経(セッキャウ)を聞けば」
③ 浄瑠璃で、説経節の曲節を取り入れた部分。哀愁に富んだ物悲しい曲調に特色がある。

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