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読売新聞【よみうりしんぶん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

読売新聞
よみうりしんぶん
日本の代表的な日刊全国紙。 1874年 11月2日子安峻らが創刊。初め隔日刊であったが,75年9月から日刊となり,市井の出来事や読み物を中心とした小 (こ) 新聞として部数を伸ばした。明治中期には坪内逍遙尾崎紅葉幸田露伴らの入社で文学新聞としても異彩を放ったが,後半からは経営が傾き,1924年2月正力松太郎が買受けた。正力はラジオ版の創設,日曜夕刊や大日本東京野球倶楽部 (読売巨人軍の前身) など,紙面,事業面で積極的な企画を打出し,社運を盛返した。 42年戦時統合で『報知新聞』と合併し『読売報知』と改題。 46年5月『読売新聞』に復。 77年発行部数日本一を達成した。東京本社大阪本社,西部本社のほか,北海道支社,北陸支社,中部支社を有す。発行部数は約 1020万部で,世界最多を誇っている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

よみうり‐しんぶん【読売新聞】
読売新聞グループ本社傘下の新聞社3社が発行する日刊全国紙。グループ本社は東京都千代田区大手町にある。明治7年(1874)子安峻(こやすたかし)らが東京で創刊。昭和17年(1942)「報知新聞」を合併。昭和27年(1952)「大阪読売新聞」を発刊、翌昭和28年(1953)題字を「読売新聞」に統一。プロ野球球団、読売ジャイアンツを保有する。朝刊販売部数は約810万部(2019年上期平均)。
[補説]読売新聞の部数の推移
2010年…1002万部
2011年…996万部
2012年…994万部
2013年…987万部
2014年…926万部
2015年…914万部
2016年…895万部
2017年…873万部
2018年…834万部
(各年の下期平均部数)

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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デジタル大辞泉プラス

読売新聞
株式会社読売新聞東京本社、同大阪本社、同西部本社が発行する日刊紙。“四大新聞”と呼ばれる大手全国紙のひとつ。1874年、子安峻(こやすたかし)らが東京で創刊。当初は隔日刊だったが翌年には日刊化。尾崎紅葉、幸田露伴らが在籍し、日本で初めて新聞小説欄を設けた。尾崎の代表作「金色夜叉」は本紙で連載されたもの。1942年、戦時中の新聞統合政策により「報知新聞」と合併、「読売報知」となる。戦後の1946年に「読売新聞」に復題。全国に発行地を広げ、現在に至る。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

よみうりしんぶん【読売新聞】
日本における三大新聞の一つ。1874年11月2日子安峻(こやすたかし)(初代社長),本野盛亨柴田昌吉により創刊された。当初は平易通俗をとしたふりがなつきの雑報記事を主体とする〈小新聞(こしんぶん)〉だったが,高田早苗筆時代(1887‐91)には活発な政治論評を行うようになり,一時改進党寄りと目された。明治後半期には坪内逍遥,幸田露伴,尾崎紅葉らが在社し,とくに紅葉は《多情多恨》《金色夜叉》などの名作を連載し,文学新聞としての全盛時代を築いた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

よみうりしんぶん【読売新聞】
日刊新聞。子安峻らが1874年(明治7)東京で創刊。1942年報知新聞を合併。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

読売新聞
よみうりしんぶん
日本の代表的な全国紙の一つで、世界最大の発行部数を誇る。

明治期

1874年(明治7)11月2日、子安峻(たかし)(1836―1898)らが東京で創刊。当初は小(こ)新聞として、俗談平話、振り仮名つきの隔日刊紙だったが、たちまち庶民の人気を集め、新聞界第一の発行部数を獲得、翌年5月1日から日刊紙となった。1890年1月本野盛亨(もとのもりみち)が社長となり、高田早苗(さなえ)(主筆)、坪内逍遙(つぼうちしょうよう)が入社すると文芸新聞としての色彩が強くなり、幸田露伴(こうだろはん)、尾崎紅葉(こうよう)(『金色夜叉(こんじきやしゃ)』など主要作のほとんどを紙上で発表)ほか多くの文人が入社、紙面を飾った。明治末期には、社員正宗白鳥(まさむねはくちょう)の人脈から自然主義作家が『読売新聞』を舞台に活躍した。[春原昭彦]

大正期

しかしこの間、報道新聞化への動きに取り残され、しだいに経営は苦境に陥ってきたため、1919年(大正8)9月、本野家の経営を離れ、松山忠二郎(元『東京朝日新聞』編集局長)が社長になった。松山は編集の人材を入社させるとともに通信網の充実を図り、紙面を刷新したため、世間の人気は急速に高まった。しかし松山の挽回(ばんかい)策も、1923年9月1日に起こった関東大震災で、落成したばかりの新社屋が被災したため挫折(ざせつ)、翌1924年2月25日、虎の門事件(とらのもんじけん)の責任で警視庁警務部長を免官になった正力(しょうりき)松太郎が買収してから発展の途をたどることになる。正力は、経営に乗り出すと、紙面を改革するとともに、1925年11月15日いち早くラジオ版を新設、翌年には日曜夕刊を発行するなどの新機軸を打ち出す一方、本因坊・雁金(かりがね)戦をはじめとする数々の囲碁・将棋対局、空前の日本名宝展開催、職業野球の創始など、次々に独創的企画を打ち出し、紙面に掲載、人気を集めた。[春原昭彦]

昭和期

1931年(昭和6)9月満州事変が起こると、11月25日から夕刊を発行、従来の併読紙から報道重視の主読紙として、『朝日新聞』『毎日新聞』に対抗する途を歩み始める。1929年8月には務台光雄(むたいみつお)(1896―1991)が入社、販売面を一手に引き受け、以後、正力・務台のコンビで関東、東北に部数を伸ばし、第二次世界大戦前すでに東京第1位の部数を誇った。1942年8月、戦時新聞統合で『報知新聞』を合併、『読売報知』と改題した。
 第二次世界大戦後は、1945年(昭和20)10月から1946年にかけての2次にわたる争議(読売新聞争議)、正力社長の戦犯容疑者指名・追放などの危機を、新社長馬場恒吾(つねご)の下で切り抜けた。1946年5月『読売新聞』に復題し、1952年11月には『大阪読売新聞』を発刊(1953年『読売新聞』に題字統一)、以後、専売制復帰とともに全国に紙数を伸ばした。1959年札幌で印刷発行を開始したのに続き、1961年高岡、1964年北九州に進出、1975年3月には『中部読売新聞』を名古屋の傍系社から発行(1988年合併、『読売新聞』に題字統一)、青森でも印刷と、全国に発行地を広げた。1977年には日本の新聞界で初めてアメリカに進出、ニューヨークで現地印刷を開始した(2003年10月休刊)。[春原昭彦]

平成期

1990年代以降は、国際衛星版を東南アジア(バンコク)、ヨーロッパ、香港(ホンコン)で発行、国内では、1997年(平成9)に東京、大阪、西部の3本社、北海道、中部、北陸の3支社、二十数か所の分散印刷工場を結ぶ新しい情報処理システムを構築した。紙面では、政治、行政や日本の進路などに数々の提言を発表して話題をよんでいるほか、「医療・教育のルネサンス」を唱えた長期連載などが注目されている。1999年には経営難に陥った中央公論社を傘下に収めるなど業務を拡大、最近ではインターネット上でのウェブサイトの開設にも意欲を燃やしている。現在、アメリカ(ワシントン)、欧州(ロンドン)、アジア(バンコク)、中国(北京(ペキン))の4総局、世界30か所に支局を置いているほか、AP(アメリカ)、ロイター(イギリス)、AFP(フランス)、朝鮮通信などの通信社、世界の有力紙誌と特約を結び、取材網の充実を図っている。発行部数朝刊1001万部、夕刊355万部(2010)。[春原昭彦]
『読売新聞百年史編集委員会編『読売新聞百年史』(1976・読売新聞社) ▽読売新聞社社史編集室編『読売新聞発展史』(1987・読売新聞社) ▽読売新聞社編『読売新聞百二十年史』(1994・読売新聞社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

よみうり‐しんぶん【読売新聞】
日刊新聞の一つ。明治七年(一八七四)東京で創刊。初め、ふりがなつきの雑報を主とする通俗新聞であったが、やがて文学新聞として知られ、大正一二年(一九二三)の関東大震災後、一般紙となった。昭和一七年(一九四二)「報知新聞」を合併、同二七年には大阪に進出し、「大阪読売新聞」を発刊したが、同二八年に題号を「読売新聞」に統一した。東京・大阪・北九州に本社をおく。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

読売新聞
よみうりしんぶん
朝日新聞』『毎日新聞』と並ぶ日本の代表的日刊新聞
1874年東京で創刊。庶民向きのいわゆる小新聞で,総ルビ・口語体を採用大正時代に不振に陥ったが,1923年正力松太郎が社長となって,朝日・毎日につぐ新聞になった。戦時中『報知新聞』を併せ『読売報知』となったが,戦後旧名の『読売新聞』に復し,日本最大の発行部数を誇る全国紙に成長した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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