●讖緯説【しんいせつ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
讖緯説
しんいせつ
chen-wei-shuo
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
しんい‐せつ〔シンヰ‐〕【×讖緯説】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
しんいせつ【讖緯説 chèn wěi shuō】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
讖緯説
しんいせつ
中国の前漢から後漢(ごかん)に流行した経書の解釈に仮託した予言的な学説をいう。讖は「詭(いつわ)って隠語をつくり、予(あらかじ)め吉凶を決する」ことで、一種の未来記、予言であり、図(と)また図讖ともよばれる。緯は横糸で、縦糸を意味する経に対し、「経の支流にして傍義に衍及(えんきゅう)する」、つまり経書を解説敷衍(ふえん)したもの。讖と緯は別なのだが、実際上は共存し、緯書はほとんど讖の要素を含んでいるので一括される。素朴な未来記はいつの世にもあるが、まとまった讖緯思想として組成されたのは、前漢の末「哀平の際」(哀帝・平帝の時代)というのが大方の定説となっている。
その神秘な予言を最初に利用したのは、前漢を簒奪(さんだつ)した王莽(おうもう)であり、後漢を復興した光武帝(こうぶてい)は讖緯の異常な信者であり、明帝も章帝も厚く讖緯を信じ、これを批判する者は迫害され、「儒者は争って図讖を学び」、図讖によって経書を解釈した。それは『易経』『書経』『詩経』『礼経』『楽経』『春秋』にあまねく及び、『孝経緯』をあわせて「七緯」の称があり、「論語讖」もつくられた。鄭玄(じょうげん)のような一代の碩学(せきがく)も経書の解釈に緯説を導入したほどであり、後漢の精神界は神秘の深淵(しんえん)に浸された。
それほどに盛行した讖緯の書は、いったい、いかなる思想的特色をもったものなのか。人間的、現実的な経書に比べて超越的、神秘的であるとか、五行相勝(ごぎょうそうじょう)説でなくて五行相生(そうせい)説にたち、従来、漢を水徳または土徳の王朝としたのを改めて、はっきり火徳説を打ち出したとか、いくつかの特色が指摘されよう。が、思想史的にみてその最大の意義は、伝統的な孔子観を一変して孔子(孔丘(こうきゅう))を神格化したことであろう。従来も儒家は孔子に対して最大の敬意を惜しまなかったが、しかし、それは人間として理性的尊敬の対象としてであった。ところが讖緯の書は、孔子に神秘と超人性を付与して神の高みにのぼせ、宗教的信仰の対象へと転じたのである。儒教の宗教的変質がここに始まることになる。
[日原利国]
讖緯説は日本にもすでに奈良時代には伝えられ、平安初期の『日本国見在書目録』にも緯書の目録が掲げられている。陰陽道(おんみょうどう)にはこの讖緯思想があらゆる面に影響している。また緯書の辛酉(しんゆう)革命・甲子(かっし)革令の説は、日本紀元の神武(じんむ)元年の設定に用いられたとされる。三善清行(みよしきよゆき)の革命勘文(かんもん)奏上以来、この説は世直しの改元として実施され、江戸末期までほとんどの辛酉(かのととり)・甲子(きのえね)の年には改元が行われるなど、大きな思想的影響を与えた。
[安居香山]
『安居香山・中村璋八著『緯書の基礎的研究』(1976・国書刊行会)』▽『安居香山著『中国神秘思想の日本への展開』(1983・第一書房)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
讖緯説
しんいせつ
讖は予言,緯は横糸の意で,経書 (けいしよ) (経は縦糸の意)の裏の意味を明らかにすると称し,経書に対する多くの緯書も作られた。王莽 (おうもう) はこの説を利用して前漢を倒したが,後漢の光武帝もこれを好んだので当時の思想界を風靡 (ふうび) し,祥瑞 (しようずい) ・凶兆を唱え,迷信を助長した。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社日本史事典 三訂版
讖緯説
しんいせつ
漢代末期から盛んとなり,6世紀ころ暦とともに日本に伝えられ,『古事記』『日本書紀』の歴史観となった。干支の組合せで甲子 (かつし) の年には革令,辛酉 (しんゆう) の年には革命(天命が革あらたまる)が,特に60年を1元,21元を1蔀 (ぼう) といい,蔀(1260年)ごとの甲子や辛酉の年に大変革がおこるという。これに基づき,記紀では,推古天皇9年(西暦601年)の辛酉から逆算して,1260年前の辛酉の年,前660年を神武天皇即位の年としたと考えられる。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
しんい‐せつ シンヰ‥【讖緯説】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「讖緯説」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●讖緯説の関連情報