●豊沢団平【トヨザワダンペイ】
デジタル大辞泉
とよざわ‐だんぺい〔とよざは‐〕【豊沢団平】
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世界大百科事典 第2版
とよざわだんぺい【豊沢団平】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
豊沢団平
とよざわだんぺい
義太夫(ぎだゆう)節の三味線。
[倉田喜弘]
2世
(1828―98)本名加古仁兵衛。播州(ばんしゅう)(兵庫県)加古川生まれ。竹本千賀太夫の養子となり、1839年(天保10)3世豊沢広助(ひろすけ)に入門。力松、丑之助を経て、1844年(弘化1)2世広助の幼名を継いで団平となった。以来、3世竹本長門太夫(ながとだゆう)や5世竹本春太夫を弾き、また2世竹本越路太夫(こしじだゆう)(後の竹本摂津大掾(せっつのだいじょう))や3世竹本大隅太夫(おおすみだゆう)の三味線を弾き、明治文楽(ぶんらく)界を隆盛に導く大きな存在となった。『壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)』『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』『勧進帳(かんじんちょう)』など作曲も多い。明治31年4月1日、『花上野誉石碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)』「志渡寺(しどうじ)」の段の舞台で脳溢血(のういっけつ)をおこし、没した。
[倉田喜弘]
3世
(1858―1921)2世の門弟。本名植畑九市。前名は4世豊沢仙左衛門(せんざえもん)。1907年(明治40)に襲名。じみな芸風ながら間拍子(まびょうし)がよく、堀江座や近松座へ出演したのち、晩年は東京へ移った。
[倉田喜弘]
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精選版 日本国語大辞典
とよざわ‐だんぺい【豊沢団平】
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