●豊竹座【とよたけざ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
豊竹座
とよたけざ

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デジタル大辞泉
とよたけ‐ざ【豊竹座】
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世界大百科事典 第2版
とよたけざ【豊竹座】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
豊竹座
とよたけざ
人形浄瑠璃(じょうるり)の劇場。初世竹本義太夫(ぎだゆう)の弟子、豊竹若太夫(わかたゆう)(後の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう))が1703年(元禄16)7月大坂・道頓(どうとん)堀に創設、興行成績振るわず一時中絶したが、1707年(宝永4)人形遣いの辰松(たつまつ)八郎兵衛を相(あい)座本に、作者に紀海音(きのかいおん)を迎え、陣容を整えて再興。『鎌倉三代記』『北条時頼記(じらいき)』などで大当りをとり、しだいに隆盛に赴き、やがて竹本座に対抗して浄瑠璃界を二分する勢力となった。海音ののちは西沢一風(いっぷう)、並木宗輔(そうすけ)(竹本座で並木千柳(せんりゅう))、浅田一鳥(いっちょう)、豊竹応律(おうりつ)、若竹笛躬(ふえみ)らが作者として活躍、越前少掾以後の太夫は豊竹姓を名のり、はでな豊竹座の芸風をつくりあげた。世間ではこれを東風(ひがしふう)といい、じみな竹本座のそれを西風と称した。1764年(明和1)の越前少掾の没後、歌舞伎(かぶき)に押されて衰退を支えきれず、翌年8月退転した。その後一時北堀江市(いち)の側(かわ)に豊竹座の名を復活したこともある。
[山本二郎]
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精選版 日本国語大辞典
とよたけ‐ざ【豊竹座】
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旺文社日本史事典 三訂版
豊竹座
とよたけざ
1703年竹本義太夫の弟子豊竹若太夫が創設。竹本座と競演し操 (あやつ) り劇の全盛期を現出したが,宝暦年間(1751〜64)に再度の火災と若太夫の死去で没落。'65年閉鎖した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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