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賀茂建角身命【カモタケツノミノミコト】

デジタル大辞泉

かもたけつのみ‐の‐みこと【賀茂建角身命/鴨建角身命】
京都市、賀茂御祖(かもみおや)神社祭神賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)外祖父。その娘玉依姫命(たまよりひめのみこと)とともに祭られる。神武東征の際、八咫烏(やたがらす)に姿を変え、天皇を導いたという。かもたけつぬみのみこと。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

賀茂建角身命 かもたけつぬみのみこと
京都賀茂(かもみおや)神社(下鴨神社)の祭神。
山城国風土記」逸文によれば,日向(ひゅうが)の曾のに天くだり,神武天皇東征のに,その先導をつとめる。大和,山城をへて,賀茂川上流の久我の国の北の山基に到着。伊可古夜日売(いかこやひめ)をめとって,玉依日売(たまよりひめ)をもうけたという。賀茂県主(かものあがたぬし)の祖とされる。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

かもたけつのみのみこと【賀茂建角身命】
賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨社)の祭神で賀茂県主(あがたぬし)家の祖とされる。〈賀茂の猛々しい者〉という意。賀茂伝説によると,神武東征の先導を務めたあと賀茂川を上り,〈久我の国の北〉の山麓に居して,玉依姫(比売)(たまよりひめ),玉依日子(たまよりひこ)を生んだという。賀茂信仰の中心は本来このタマヨリヒメ母子の信仰にあり,タケツノミは男系の系譜意識の発達に伴い,姫神の父として説話的に加えられたのである。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

賀茂建角身命
かもたけつのみのみこと

『山城国風土記(やましろのくにふどき)』逸文および『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』にみえる、山城(京都)の賀茂県主(かものあがたぬし)(上賀茂(かみがも)・下鴨(しもがも)社を祀(まつ)る氏族)の始祖。『山城国風土記』によれば、日向(ひむか)の曽(そ)の峯(みね)に天降(あまくだ)り、神武(じんむ)天皇の先導となって大和(やまと)の葛城(かつらぎ)山に宿り、のちに山城の岡田の賀茂(京都府木津川(きづがわ)市加茂町(かもちょう)地区)から川沿いに賀茂川に至り、上流を遠望して「石川の瀬見(せみ)の小川」と名づけ、大宮森(上賀茂社の西方)に鎮座したという。葛城の賀茂朝臣(かものあそみ)とこの山城の賀茂県主とを同系とする資料は何もなく、したがって、遠望の条を除きこれらの伝承は、始祖を天孫降臨や神武伝承に結び付けようとした作為の結果にすぎない。また、『新撰姓氏録』にある神武天皇の大和入りに際し、熊野(くまの)山中を大烏(おおがらす)に化して先導したという話も同様で、わが国にまれなトーテミズムと考えることにも疑問がある。風土記の賀茂社縁起では、玉依日売(たまよりひめ)(下社の祭神)を生み、賀茂別雷(かもわけいかずち)神(上社の祭神)の外祖父となったと説くが、原伝承では、丹塗矢(にぬりや)となって流れ寄り玉依日売と婚した神は、この始祖であった可能性が高い。

[吉井 巖]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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