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賀茂神社【カモジンジャ】

デジタル大辞泉

かも‐じんじゃ【賀茂神社】

出典:小学館
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デジタル大辞泉プラス

賀茂神社
宮城仙台市にある神社祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)(下賀茂神社)、別雷命(わけいかずちのみこと)(上賀茂神社)。本殿などは県の重要文化財指定

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

かもじんじゃ【賀茂神社】
京都市にある賀茂御祖(みおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(わけいかずち)神社(上賀茂神社)の両社の総称。両社は賀茂川に沿って約3kmほど離れて鎮座する。賀茂御祖神社賀茂別雷神社

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

賀茂神社
かもじんじゃ

京都市の賀茂別雷(わけいかずち)神社(上賀茂神社)、賀茂御祖(みおや)神社(下鴨(しもがも)神社)、またその祭神を各地に勧請(かんじょう)した神社のこと。上賀茂社・下鴨社は古くより朝廷の崇敬を受け、ことに桓武(かんむ)天皇の平安遷都後、伊勢(いせ)の神宮に次ぐ所遇を受けたため、その社に対する崇敬は広く庶民に及び、全国に勧請された。上賀茂社は京都市北区上賀茂本山(もとやま)に鎮座し、賀茂別雷神を祀(まつ)り、下鴨社は京都市左京区下鴨泉川町に鎮座し、賀茂皇大神(すめおおかみ)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)、賀茂建角身命(たけつのみのみこと)を祀る。玉依媛命は賀茂建角身命の娘で、賀茂別雷神の母にあたる。

[鎌田純一]

沿革

両社の創建年代は不詳。社伝によれば、上賀茂社は神武(じんむ)天皇の代、現在地の北北西神山(こうやま)に降臨、下鴨社は同じく神武天皇の代、比叡山(ひえいざん)の西麓(せいろく)御蔭(みかげ)山に降臨、それぞれ奉斎されていたが、ともに天武(てんむ)天皇6年(677)に現在地に社殿を造営されたという。古く奈良以前より両社をあわせて賀茂社といい、一社ごとのときは、鎮座地の関係で、上賀茂社(上社、賀茂上社)、下鴨社(下社、賀茂下社)と呼称した。702年(大宝2)賀茂祭がすでに盛大になされていたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』により知られる。726年(神亀3)朝廷より初めて奉幣、745年(天平17)聖武(しょうむ)天皇の不予に奉幣祈祷(きとう)され、784年(延暦3)長岡京への遷都にあたって、使者を派遣し奉告、奉幣、従(じゅ)二位に叙し、社殿を造営、翌年上下両社へ神封各10戸を寄せている。794年(延暦13)桓武天皇は平安遷都ののち、本社へ行幸、以後、皇城鎮護の神として厚く崇敬され、807年(大同2)正一位となる。嵯峨(さが)天皇は810年(弘仁1)伊勢神宮の斎宮(さいくう)の制に倣って賀茂斎院の制を始め、皇女有智子(うちし)内親王を斎王とし、以後後鳥羽(ごとば)天皇の代まで続けられた。延喜(えんぎ)の制で名神(みょうじん)大社に列し、月次(つきなみ)・相嘗(あいなめ)・新嘗(にいなめ)などの奉幣にあずかり、ほか祈雨(きう)・止雨(しう)などの奉幣も受けた。このころ、21年に一度の式年遷宮の制も定められ、1090年(寛治4)堀河(ほりかわ)天皇は上下両社に不輸租田各600余町を奉献された。また二十二社の制が整うとともに、上下社一体としてその一社とされ、山城(やましろ)国一宮(いちのみや)ともされた。中世に至り源頼朝(よりとも)はその社領を安堵(あんど)、後鳥羽上皇はしばしば祈願して、承久(じょうきゅう)の変(1221)にはその社家は院側につくようなこともあったが、朝野の崇敬は変わらず、ことに庶民崇敬が全国に広がった。

 豊臣(とよとみ)秀吉は全国統一ののち、社領を没収、かわりに上社に2572石、下社に540石余の朱印領を寄せ、江戸幕府もおよそこれを継承した。明治の制で、それぞれ官幣大社とされ、全国官国幣社の首位に置かれたのは、古来伊勢の神宮に次いで皇室の厚い所遇を受け、皇族の参詣(さんけい)、摂関の賀茂詣(もう)で、武家の社参、また庶民の信仰、歴史を通じ変わらぬところのあったためである。

[鎌田純一]

祭礼・社殿

例祭(5月15日)は、『賀茂縁起』に欽明(きんめい)天皇の代、風雨順ならず、よって祈願し天下豊平となったことに発するともいわれる。平安初期以来、勅祭とされ、賀茂祭(まつり)と称したが、一名を葵祭(あおいまつり)といわれるのは、古く勅使以下祭儀に加わる者が葵鬘(あおいかずら)の蔓(つる)をかけたことによる。この葵祭は1467年(応仁1)より1693年(元禄6)までとだえ、明治初年にも一時廃止されたが、現在によくその旧儀を伝えている。祭りの次第は、5月12日の上社の御阿礼(みあれ)神事、下社の御蔭(みかげ)祭に始まり、15日に京都御所より勅使が出発、下鴨社に参向、祭儀ののち上賀茂社に参向し、祭儀が厳修される。三勅祭の一つ。また上賀茂社の5月5日の競馬会(けいばえ)神事は1093年(寛治7)の「くらべうま」以来の神事であり、当社の特殊神事には神道祭祀(さいし)の根源を残したものが多い。

 上賀茂社の本殿、権殿(ごんでん)は1863年(文久3)の建造であるが古式を残して国宝に、下鴨社の東本殿、西本殿も同年の再建で、流造(ながれづくり)の代表建築で国宝に指定されている。両社境内とも史跡指定。上賀茂社には国学者今井似閑(じかん)の奉納書を中心とする三手(みて)文庫がある。

[鎌田純一]

賀茂神社領

上賀茂・下鴨両社の社領。封戸(ふこ)の寄進は孝徳(こうとく)朝にさかのぼると思われるが、史料的に明らかなものとしては、785年(延暦4)上下社に各10戸を寄進したとするのが早く、806年(大同1)の文書によれば当時上社24戸、下社20戸が存在していた。942年(天慶5)には、東西反乱(平将門(まさかど)・藤原純友(すみとも)の乱)平定を謝して奉幣があり、また朱雀(すざく)天皇が初めて賀茂社に行幸することがあって、上下社に各10戸が寄進された。この後も封戸(ふこ)若干の寄進があった。このほか平安末期までには、上社70余戸、下社20余戸の神戸(かんべ)が形成されていた。神田については、750年(天平勝宝2)上下社に各1町、848年(承和15)までにはさらに各1町が寄進され、この後も小規模な寄進があった。1017年(寛仁1)の後一条天皇の行幸にかけて、愛宕(おたぎ)一郡を神郡として寄進した(賀茂・錦部(にしごり)・小野・大野4郷が上社領、蓼倉(たでくら)・栗野(くるすの)・上粟田(かみあわた)・出雲(いずも)4郷が下社領)。ただし、郡内には他の所領が入り交じっていたため、とくに延暦寺(えんりゃくじ)などとの間で紛争が絶えなかった。1090年(寛治4)、白河院政期、夢想の告によって上下社に不輸租田各600余町と御厨が寄進された。後の阿波(あわ)国三津荘(しょう)、若狭(わかさ)国宮河(みやかわ)荘、加賀国金津(かなつ)荘、美作(みまさか)国河内(こうち)荘、淡路国生穂(なまいほ)荘、安芸国竹原荘、土佐国津野荘などがその一部であるが、御厨、不輸租田を含め、瀬戸内海沿岸、北陸道、山陰道の沿岸、琵琶(びわ)湖周辺、尾張(おわり)・美濃(みの)の大河川流域などに多いことが明らかで、海上交通、舟運、漁労に従事した神人(じにん)の組織化と賀茂社領の形成に密接な関係があったことを物語っている。鎌倉期に入って、源頼朝(よりとも)の所領寄進などもあり、保護が加えられた。江戸時代には、上社2752石、下社540石が認められた。

[棚橋光男]

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事典・日本の観光資源

賀茂神社
(城県仙台市泉区)
杜の都 わがまち緑の名所100選」指定の観光名所。

出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
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精選版 日本国語大辞典

かも‐じんじゃ【賀茂神社】
京都市北区上賀茂の賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)と左京区下鴨の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)(=下鴨神社)の総称。
※万葉(8C後)六・一〇一七・題詞「夏四月大伴坂上郎女奉賀茂神社之時」

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

賀茂神社
かもじんじゃ
京都市北区上賀茂本山町にある賀茂別雷 (わけいかずち) 神社(上社)と,左京区下鴨泉川町にある賀茂御祖 (みおや) 神社(下社)の総称
上社は賀茂別雷,下社は玉依姫 (たまよりひめ) を祭る。本来は賀茂氏氏神。平安遷都以来,平安京鎮護の神として宮廷の信仰厚く,9世紀以降,未婚皇女斎院として奉仕した。「 (あおい) 祭」といわれる例祭賀茂祭競馬 (くらべうま) で有名。下社本殿は流造 (ながれづくり) といわれ,神社建築史上貴重である。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

賀茂神社
かもじんじゃ

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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