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足利政知【あしかがまさとも】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

足利政知
あしかがまさとも
[生]永享7(1435).7.12. 京都
[没]延徳3(1491).4.3. 伊豆,堀越
室町時代後期の武将。将軍義教の子。初め天竜寺に入って僧となったが,足利成氏征討のため還俗して関東に下り,堀越公方 (1457~91) と呼ばれた。長禄1 (1457) 年以来,伊豆堀越にいて古河公方対抗

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デジタル大辞泉

あしかが‐まさとも【足利政知】
[1435~1491]室町中期の武将義教(よしのり)の子。初め天竜寺足利成氏(しげうじ)征討のため還俗(げんぞく)、伊豆堀越(ほりごえ)(静岡県伊豆の国市)にとどまり、堀越公方と称して古河公方(こがくぼう)成氏と対立

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

足利政知 あしかが-まさとも
1435-1491 室町時代の武将。
永享7年生まれ。足利義教(よしのり)の3男。足利義政(よしまさ)の。出家して京都天竜寺香厳院にいたが,長禄(ちょうろく)元年義政ので還俗(げんぞく)。古河公方(こがくぼう)足利成氏(しげうじ)に対抗するため関東に派遣されたが,鎌倉にはいれず伊豆(いず)堀越(静岡県)を拠点にしたため堀越公方とよばれた。延徳3年4月3/5日死去。57歳。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

あしかがまさとも【足利政知】
1435‐91(永享7‐延徳3)
室町後期の武将。将軍足利義教の子,義政の弟。初め出家して香厳院と称した。1454年(享徳3)鎌倉公方(くぼう)足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺したことで,関東に内乱(享徳の乱)が生ずるや,関東管領上杉氏は古河公方となった成氏に代わる鎌倉公方の東下を要請した。そこで,義政の命令で還俗し,幕府から派遣されたのが政知であった。幕府・上杉方の中心であったが,鎌倉に入部しえず伊豆の堀越(ほりごえ)にとどまり,堀越公方と呼ばれた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

足利政知
あしかがまさとも
(1435―1491)

室町後期の武将。将軍足利義教(よしのり)の子で義政(よしまさ)の弟。出家して天竜寺香厳院(てんりゅうじきょうごんいん)に住んだが、1457年(長禄1)将軍義政の命で還俗(げんぞく)して政知と名のった。翌1456年左馬頭(さまのかみ)に任じられ、古河公方(こがくぼう)足利成氏(しげうじ)に対抗するため関東に派遣され、伊豆国堀越に拠(よ)ったので堀越公方(ほりこしくぼう)と称された。しかし関東の諸将の心服を得られず、政治的活動としてはみるべきものがほとんどなく、1482年(文明14)伊豆国を領国とすることを条件に成氏と和睦(わぼく)した。延徳(えんとく)3年4月3日、57歳で病没。法名は勝幢院九山。

[田代 脩]

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367日誕生日大事典

足利政知 (あしかがまさとも)
生年月日:1435年2月1日
室町時代;戦国時代の堀越公方
1491年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

あしかが‐まさとも【足利政知】
室町中期の武将。堀越公方。将軍義教の子。天龍寺の僧であったが、長祿元年(一四五七)関東管領上杉氏に迎えられ、還俗して公方となり、伊豆堀越に住んだ。古河公方足利成氏(しげうじ)と対立。堀越御所、堀越公方とも称された。永享七~延徳三年(一四三五‐九一

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旺文社日本史事典 三訂版

足利政知
あしかがまさとも
1435〜91
室町中期の堀越公方
将軍義教 (よしのり) の子。初め天竜寺の僧。1457年,鎌倉公方足利成氏征討のため還俗 (げんぞく) し関東に下ったが,東国の将は服さず,伊豆の堀越 (ほりごえ) にとどまり上杉房顕に擁立されて堀越公方と称し,古河 (こが) 公方成氏に対抗した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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