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足尾銅山【あしおどうざん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

足尾銅山
あしおどうざん
栃木県西部,日光市足尾にあった鉱山。慶長 15 (1610) 年に発見,翌年足尾銅山と称して江戸幕府直轄銅山となった。銅山は寛文~貞享年間 (1661~88) の最盛期に年産 30万~40万貫を産し,銅輸出国日本を支える大銅山となった。その後幕末,明治初年と衰えたが,1877年古河鉱業の経営となり,新技術の導入や新鉱脈の発見で日本有数の大銅山に復活。しかし優良鉱脈を掘りつくして急速に生産が減少し,1973年2月 28日をもって採鉱部門を中止,かつての鉱滓再処理や輸入鉱などの精錬が中心となった。鉱石から精錬された粗銅は日光市清滝に送り,電気精錬された。鉱石処理に関連し,鉱毒煙害は周辺の山地だけでなく渡良瀬川下流域の農業に大きな害を及ぼした。 (→足尾鉱毒事件 )  

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

足尾銅山
江戸時代に採掘が始まり、東洋一の生産量を誇ったが、1973年に閉山した。明治期に銅山から流れ出した鉱住民に被害をもたらし、地元選出の衆院議員、田中正造救済へ尽力したことでも知られる。
(2016-10-19 朝日新聞 朝刊 埼玉・1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

あしお‐どうざん〔あしを‐〕【足尾銅山】
日光市足尾町にあった銅山。もと江戸幕府の直轄。明治に入り古河鉱業が経営。昭和48年(1973)閉山。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

あしおどうざん【足尾銅山】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

あしおどうざん【足尾銅山】
足尾町にあった銅山。もと江戸幕府が直轄、明治初期以降古河鉱業の経営。1973年(昭和48)採掘中止。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

足尾銅山
あしおどうざん
古河財閥発展の母胎となった日本最大の銅山。栃木県日光市足尾町に所在。閉山まで鉱脈1900本と130個の河鹿(かじか)(主として塊状交代鉱床)を稼行、多彩な鉱物の産出でも著名である。
 16世紀半ばから開発され、1610年(慶長15)から幕府直山、17世紀後半からの産銅急増で銅山街道を開設、長崎輸出銅の5分1(五ヶ一銅)を供給、繁栄した。しかし弱小銅山師による銅山稼行と度重なる水害によって衰退した。このため明治初めの官営銅山の選から外れた。1877年(明治10)古河市兵衛は志賀直道(なおみち)(直哉の祖父)や渋沢栄一(しぶさわえいいち)の協力を得て再開発に着手、1883年に本山(ほんざん)で大直利(おおなおり)(富鉱部)捕捉に成功、以後産銅が急増したのに対応して、水力発電などの欧米技術を次々に採用した。それと同時に渡良瀬川鉱毒事件が発生した。
 第一次世界大戦半ばから通洞(つうどう)坑で総計含銅量8万2000トンに及ぶ巨塊状河鹿を相次いで発見、大戦後から続いた銅不況期を乗り越え、年産銅1万5000トンのピークを記録した。しかし太平洋戦争期には生産第一主義を強制され、乱掘と資材不足から衰退の途を辿った。戦後の復興には手間取ったが、朝鮮戦争による銅価高騰時に鉱山のスリム化と500名の人員整理を断行。その直後から上部再開発と下部開発が好転、1956年(昭和31)には画期的な自熔製錬法による銅製錬と排煙無害化を図る硫酸製造を開始して鉱害防止も達成。月産銅500トンの記録を打ち立てた。しかし自由化とともに上部鉱源枯渇と下部の労働条件悪化から、1973年2月鉱山部門が閉じられた。以後輸入鉱製錬が継続されたが、国鉄足尾線の廃止に伴い、1989年製錬を事実上中止した。粗銅生産量は、明治以前が約15万トン、明治から閉山まで67万トン余、総計82万トンに達した。[村上安正]
『村上安正著『足尾銅山史』(2006・随想舎)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

あしお‐どうざん あしを‥【足尾銅山】
栃木県足尾町にある鉱山。慶長一五年(一六一〇)発見、江戸時代には幕府直轄の銅山で、延宝元年(一六七三)から一五年間「足尾千軒」といわれる最盛期を呈した。銅、亜鉛硫化鉄を産出。昭和四八年(一九七三)閉山。足尾鉱山。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

足尾銅山
あしおどうざん
栃木県足尾町にあり,古河鉱業が経営した銅山
1610(慶長15)年に発見され,江戸幕府の直轄下で17世紀後半に最盛期を迎えた。明治維新後日光県の直轄となり,1871年民営に移り,'77年以降古河市兵衛により新経営がなされ,明治後期には全国産銅の約3分の1を生産。しかし他方で鉱毒事件や争議など大きな社会問題をおこした。1973年閉山。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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