●足軽【あしがる】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
足軽
あしがる
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
あし‐がる【足軽】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
あしがる【足軽】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
足軽
あしがる
中世において出現した軽装歩兵の呼称で、戦国時代以後組織化され、近世になって武士の最下層に位置づけられた身分。中世では、疾足(しっそく/はやあし)ともよばれた。『平家物語』『太平記』などには、敵方を攪乱(かくらん)するための兵として描かれている。南北朝内乱期に活躍した野伏(のぶし)の系譜を引くともいわれる。足軽の活動が顕著となるのは、応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の乱(1467~1477)のころで、『樵談治要(しょうだんちよう)』では「超過したる悪党」「ひる強盗」と記され、武士・公家(くげ)階級を脅かす存在であった。足軽の戦法は「甲ヲ擐(かん)セズ戈ヲトラズ、タダ一剣ヲモツテ敵軍ニ突入ス」(『碧山日録(へきざんにちろく)』)ともいわれるが、武士と異なり逃げることを恥とせず、集団戦を得意としていた。当時、足軽は傭兵(ようへい)的性格が強く、多様な階層より構成され、京都、奈良の近郊荘園(しょうえん)村落が主要な供給源の一つであり、土一揆(つちいっき)、徳政一揆の武力とも重なるところがあったと思われる。また、京都市中では足軽の放火、略奪行為も目だち、東寺が、足軽に加わることを禁じているように、社会問題化した現象でもあった。戦国時代、戦国大名は足軽の組織化を図り、郷村(ごうそん)支配の進展に伴って農兵の徴発を強化した。一方、織田信長の足軽鉄砲隊に代表されるように、鉄砲の普及によって常備軍化する傾向も強く、足軽の武器別編成も生まれた。近世、足軽は武士の最下層に身分として固定され、平時には雑役をも務めた。なお、明治維新後は卒(そつ)族と呼称され、廃藩置県後には士族に編入されている。
[小島 晃]
『三浦周行著「戦国時代の国民議会」「土一揆」(『日本史の研究 第1輯』1922・岩波書店・所収)』▽『鈴木良一著『応仁の乱』(岩波新書)』▽『中村通夫・湯沢幸吉郎校訂『雑兵物語・他』(岩波文庫)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
あし‐がる【足軽】

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社日本史事典 三訂版
足軽
あしがる
その名は平安末期からみえ,応仁の乱(1467〜77)に際して,その存在が注目されるようになった。鉄砲の出現によって歩兵の集団戦法が重視されるにつれ,寄せ集めの無頼者から,訓練された弓・鉄砲足軽に編成された。江戸時代には武士の最下層を構成。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「足軽」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●足軽の関連情報