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輪中【ワジュウ】

デジタル大辞泉

わ‐じゅう〔‐ヂユウ〕【輪中】
洪水から集落耕地を守るため、周囲堤防で囲んだ地域。また、その共同体制をもつ村落組織。江戸時代に発達した。木曽川長良川揖斐(いび)川下流のものが有名。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

わじゅう【輪中】
木曾川,長良(ながら)川,揖斐(いび)川の木曾三川の合流する濃尾平野南西部は古来より洪水常襲地域であった。そのためたび重なる洪水への対応として,集落や耕地を堤防でめぐらした。この囲堤(かこいづつみ)のことを輪中と称した。輪中とはこの囲堤のことだけを意味するのではなく,輪中を単位としてそのなかで生活する人々の水防共同体をも含めた特異な地域社会をも包括して定義されるべきである。この輪中は明治初年には約80を数え,その規模も大垣輪中や高須輪中のような大きなものから,1村だけの小さな十六輪中までさまざまである。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

わじゅう【輪中】
洪水から集落や耕地を守るため、周囲に堤防を巡らした低湿地域または共同村落組織。江戸時代につくられたものが多く、木曽・長良ながら・揖斐いびの三河川の合流地域につくられたものが有名。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

輪中
わじゅう
木曾三川と称される木曾川長良川揖斐川の合流域に見られる,堤防によって囲われた集落,またはそこで生活する人々による水防共同体。濃尾平野南西部は海抜が低く,木曾三川の水量が豊富なため洪水の常襲地帯であった。その洪水対策として囲堤(かこいづつみ)が造成され,囲堤内に暮らす人々に特有の共同体意識が形成された。発祥は明らかになっていないが,本格的な築造は近世に始まるとみられ,江戸時代に入ってから大規模に発達した。規模は大小さまざまで,明治初期には 80ほどの輪中が確認されている。輪中には特有の景観が見られ,高く石積みされた建造物である水屋は,倉や土蔵を兼ね,洪水時の避難場所ともなり,上げ舟が据え付けられることもあった。水屋をもたない住民は,洪水に際して助命壇と呼ばれる高台に避難した。また,大雨で排水路があふれるなど,堤防内側の水の氾濫による田畑の損失を防ぐため,田の一部を掘って隣接する土地に盛り土し,短冊状の田面と堀が交互に並ぶ堀田がつくられた。堀田は 1970年頃に消滅し,今日では見られない。輪中の堤防を高くして安全をはかることが,下流や隣接する別の輪中の洪水の危険を高めることもあり,利益が相反することから,水論とも呼ばれる輪中相互の紛争が歴史的に多くみられた。明治時代の河川改修工事により水害は減少し,第2次世界大戦後の干拓土地改良事業によって輪中の囲堤の必要性は薄まったとされるが,1976年の長良川の氾濫は輪中の機能に再び目を向けさせることとなった。(→沼沢地村落

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

輪中
わじゅう
濃尾(のうび)平野南西部の木曽(きそ)、揖斐(いび)、長良(ながら)三川の下流の西濃(せいのう)から、伊勢(いせ)(三重県)北東端にかけた低湿な沖積地域にみられる、堤防によって囲まれた集落。囲堤(かこいづつみ)集落ともいう。この地域は古くから数多くの洪水にあい、激しい水害を受けてきた。近世中期の1754、55年(宝暦4、5)の御手伝普請(おてつだいふしん)による薩摩(さつま)藩の三川分流工事(宝暦(ほうれき)治水)や明治以後の三大川改修工事はその大規模対策事業としてよく知られる。この地域では洪水防止策として、集落や耕地(水田)の周りに水除堤(みずよけづつみ)を巡らしたが、その囲堤も「輪中」といっている。そして輪中内の居住者(集落民)は輪中を頼りに水防にあたってきたのみならず、広く輪中内での生産や経済・社会などの生活全般について、「輪中で生きる」との共同体意識のもとに生活し続けてきているのが特色である。輪中は、近世前期(1675=延宝3)の史料に「輪之内」「曲輪(くるわ)」とみえているのがおこりとされるが、この低湿性平野が輪中地域とされるように大規模になったのは近世も中期以後のこととされる。輪中は初めは農民自身の開拓意欲によって小規模ずつつくられていったが、のちには商人の資本投下による中・大規模のものもみられるようになった。
 輪中を特色づける景観としては、周りの水除堤をはじめとして、集落の家は輪中内でも高みの地区に屋敷取りがなされている。さらにその一隅はとくに土盛りを高く築いて石垣で囲み、上に倉庫式の「水塚(みづか)」(水屋)が建てられ、洪水時の避難や食料の貯蔵、家財道具の保存にあてられるようにしている。ほかに「掘田(ほりた)」とよばれる特殊な土地利用もみられる。それは、輪中内でおこる内水氾濫(はんらん)による「水損(すいそん)不作」を防ぐために考え出されたもので、輪中内の低湿部を掘り上げて高くした「掘上げ田」と、その土(ど)取りのためにクリーク状に掘り下げられた「掘田」とが交互に配列されているものである。掘田は、第二次世界大戦後から始まる干拓土地改良事業および都市化の進展でほとんど消滅し、現在は見ることができない。隣り合う各輪中は水防上は対立し、近世の幕藩制下では徳川氏親藩の尾張(おわり)藩域と外様(とざま)大名の大垣藩域との間で、また同一藩域内でも上・下流域間やわずかの地盤の高低差によって対立抗争したことが、いまも語られる。しかし明治中後期以後の相次ぐ河川改修工事、ことに第二次世界大戦後の連続堤による治水工法の導入によって洪水が減少し、それに伴って輪中居住者の水防意識が低下し、さらには輪中堤の取り壊しが行われたりして輪中軽視観が漂い始めつつあった。しかし1976年(昭和51)の長良川の洪水に伴う輪中災害ののちに水害危険意識が高くなって、輪中の見直し論がおこり、輪中堤の防災効果、さらに心理的・社会的な輪中堤の有効性が再認識されている。それでも、かつて共同で行っていた水防活動への参加意識は低下している。
 輪中に似た防水堤施設は、利根(とね)川下流の水郷、有明(ありあけ)海の干拓地、西ヨーロッパのポルダーをはじめ、ヨーロッパ(イギリス、ドイツ)の干拓地、そしてガンジス(インド)、ブラマプトラ(中国チベット自治区からベンガル湾に注ぐ)およびイラワディ(ミャンマー)、ソンコイ(ベトナム)の各河川流域にもみられる。[浅香幸雄・菅野峰明]
『伊藤安男・青木伸好著『輪中』(1979・学生社) ▽伊藤重信著『輪中と高潮』(1982・三重県資料刊行会) ▽安藤万寿男著『輪中(わじゅう)――その形成と推移』(1988・大明堂) ▽伊藤安男編著『変容する輪中』(1996・古今書院)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

わ‐じゅう ‥ヂュウ【輪中】
〘名〙 集落と農地を洪水から守るため、周囲に堤防を築き巡らした地域。また、その共同体制をもつ村落組織。江戸時代に発達した。濃尾三川の名で知られた木曾・長良・揖斐(いび)川下流一帯のデルタ地帯に形成されたものが著名。

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