●農耕儀礼【のうこうぎれい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
農耕儀礼
のうこうぎれい
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デジタル大辞泉
のうこう‐ぎれい〔ノウカウ‐〕【農耕儀礼】
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世界大百科事典 第2版
のうこうぎれい【農耕儀礼 agricultural rites】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
農耕儀礼
のうこうぎれい
農耕の生産過程の折り目ごとに営まれる信仰的儀礼をいう。日本の農耕の中心は水稲栽培であり、農耕儀礼も稲作に重点が置かれてきた。稲米栽培の展開にしたがっておもな儀礼を記すと、予祝、播種(はしゅ)、田植、推移、収穫の五段階の儀礼に分けられる。予祝儀礼とは、年頭にあらかじめ稲作の豊饒(ほうじょう)を祈っておく儀礼で、形式的に田を三鍬(くわ)耕し、餅(もち)や焼き米を供えて豊饒を願う祝い言を唱えたり、松葉を苗に見立てて田に挿したりする。また、小(こ)正月には餅花(もちばな)づくり、庭田植、鳥追いなど、多くの予祝儀礼が営まれる。播種儀礼としては、種子籾(もみ)を苗代に播(ま)いたあと、水口(みなくち)に供え物をして祝い、ついで苗代の中心部に田の神の依代(よりしろ)として斎串(いみぐし)を立てる儀礼がある。田植儀礼には、田の神を迎え、また送る儀礼が注意をひく。中国地方の山間部に伝えられる大田植・花田植の儀礼(囃田)は、田植が神事であったことをよく示している。推移儀礼としては、虫害駆除のための虫送り、干魃(かんばつ)に備えての雨乞(あまご)い、長雨に際しての日和(ひより)乞い、台風の被害を避けるための風祭などが営まれる。収穫儀礼としては、八朔(はっさく)(8月1日)または社日(しゃにち)に穂掛けの儀礼、ついで10月の亥(い)の日や十日夜(とおかんや)(10月10日)に刈り上げの祝いが営まれる。稲扱(こ)きが済んだ段階で扱き上げ祝い、脱穀が済んでの庭上げ祝いなどがあって、収穫の諸儀礼が終了する。なお、日本を含めて東南アジアの島嶼(とうしょ)地帯の稲作諸民族の間には、夫婦稲(ふうふいね)とか母稲・子稲という観念と、それに基づくさまざまな儀礼が広く分布している点が注目される。沖縄八重山(やえやま)列島では、稲積みと人間の産室とを同じくシラとよんでいる。それら諸儀礼を通じてうかがえることは、穀母が穀童を産み育てて続いてゆくとの信仰、さらには死と再生というモチーフの存在であろう。
畑作儀礼としては、麦、粟(あわ)、稗(ひえ)、里芋(さといも)などの栽培に伴うものがあるが、稲作儀礼と比較すると簡略化されている。しかし水稲栽培普及以前の状態を考えれば、日本においても畑作・焼畑の占める比重は大きなものがあった。粟や稗については、現在でも正月行事に粟穂・稗穂を飾る土地が点々とある。また旧八月十五夜を芋名月とよぶ地域は広く、里芋を供える儀礼が顕著である。元来タロイモ系統の芋の収穫祭であった八月十五夜の祭儀が、水稲栽培の普及に伴って、稲の収穫儀礼に結び付くようになったものと考えられる。タロイモ系統の芋の収穫祭は、中国大陸の山岳地帯に住む多くの少数民族の間で、大きな比重を占めており、比較研究すべき問題である。
[直江広治]
『伊藤幹治著『稲作儀礼の研究』(1974・而立書房)』▽『にいなめ研究会編『稲と祭儀』(1967・協同出版)』
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精選版 日本国語大辞典
のうこう‐ぎれい ノウカウ‥【農耕儀礼】
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