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近松半二【ちかまつはんじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

近松半二
ちかまつはんじ
[生]享保10(1725).大坂
[没]天明3(1783).大坂
江戸時代中期の浄瑠璃作者。本名穂積成章。父以貫は儒者で浄瑠璃評釈書『難波土産』の巻頭に収められた近松門左衛門の聞き書きとされる「発端」の筆者。半二は2世竹田出雲師事して宝暦1 (1751) 年竹本座に入り,近松姓を名のった。『奥州安達原 (おうしゅうあだちがはら) 』などで頭角を現し,同 13年以後,立作者として活躍。竹本三郎兵衛三好松洛らとの合作も多い。それまで歌舞伎を圧倒するほどの隆盛を誇った浄瑠璃が次第に衰退に向うなかで技巧に富む複雑華麗な作風により,今日も舞台に残る数多くの名作を生んだ。代表作本朝廿四孝』『妹背山婦女庭訓 (いもせやまおんなていきん) 』『新版歌祭文』『伊賀越道中双六』など。随筆独判断 (ひとりさばき) 』 (87) がある。

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デジタル大辞泉

ちかまつ‐はんじ【近松半二】
[1725~1783]江戸中期の浄瑠璃作者。大坂の人。儒学者穂積以貫(ほづみこれつら)の子。2世竹田出雲門人。その作の多くは合作であったが、舞台技巧にすぐれていた。代表作「奥州安達原」「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」「新版歌祭文」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

近松半二 ちかまつ-はんじ
1725-1783 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
享保(きょうほう)10年生まれ。穂積以貫の次男。2代竹田出雲(いずも)に入門し,宝暦13年大坂竹本座の立作者となる。近松門左衛門に私淑して近松を名のった。天明3年2月4日死去。59歳。大坂出身。名は成章。作品に「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」など。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ちかまつはんじ【近松半二】
1725‐83(享保10‐天明3)
浄瑠璃作者。本名穂積成章(季昌かとの説もある)。父は伊藤東涯の門人穂積以貫(これつら)。父以貫は儒者ながら大坂の竹本座の文芸顧問をつとめたこともあり,近松門左衛門と親交深く,浄瑠璃評注釈《難波土産》(1738)所載の近松の芸術論(いわゆる〈虚実皮膜(ひにく)の論〉)も以貫の聞書きとされている。半二は青年時は放蕩したと伝えるが,2世竹田出雲(外記)の門に入って竹本座の作者となり,近松に私淑してその姓を名のった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ちかまつはんじ【近松半二】
1725~1783 江戸中期の浄瑠璃作者。大坂の人。本名、穂積成章。以貫これつらの子。二世竹田出雲に師事。雄大な構想、複雑な趣向を好み、歌舞伎的な手法を多用。竹本座の立作者として衰退期の浄瑠璃界の最後を飾った。作「奥州安達原」「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓いもせやまおんなていきん」など。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

近松半二
ちかまつはんじ
(1725―1783)
江戸中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。本名穂積(ほづみ)成章。大坂の儒者穂積以貫(これつら)の子。以貫は竹本座の顧問を務め、近松門左衛門とも親交があり、『難波土産(なにわみやげ)』所載の近松の芸術論は以貫の聞書(ききがき)といわれている。半二は若いころは遊蕩(ゆうとう)生活を送ったと伝えられるが、父の縁で2世竹田出雲(いずも)の門に入って竹本座の作者となり、近松に私淑してその姓を名のった。1762年(宝暦12)『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』で力量が認められ、翌年立(たて)作者となり、以来『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』『関取千両幟(せんりょうのぼり)』『傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門(なると)』『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)』『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』『新版歌祭文(うたざいもん)』など多くの名作を残し、83年(天明3)『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』を絶筆として59歳で没した。作者生活33年、その作57編に及ぶが、単独作は『新版歌祭文』など四編で、ほかはすべて三好松洛(みよししょうらく)、竹本三郎兵衛(さぶろべえ)らとの合作である。半二は時代物を得意としたが、その作劇上の特色は、構想の雄大、推理劇的な筋の展開、歌舞伎(かぶき)の影響の濃い台詞(せりふ)の多用、場面構成の左右対称美などがあげられる。彼は人形浄瑠璃の衰退期において最後の活躍をし、近松門左衛門、並木宗輔(そうすけ)に次ぐ代表的な浄瑠璃作者として高い評価を与えられている。なお晩年の随筆『独判断(ひとりさばき)』には彼の人生観がうかがわれる。[山本二郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ちかまつ‐はんじ【近松半二】
江戸中期の浄瑠璃作者。大坂の人。本名穂積成章。穂積以貫(これつら)の子。二世竹田出雲の門。「奥州安達原」で認められ立作者となる。雄大で技巧的な構想をもつ作品を書いた。「本朝二十四孝」「傾城阿波の鳴門」「妹背山婦女庭訓」など。享保一〇~天明三年(一七二五‐八三

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

近松半二
ちかまつはんじ
1725〜83
江戸中期の浄瑠璃作者
儒学者穂積以貫 (ほづみいかん) の子。大坂の人。近松門左衛門に私淑し,竹田出雲の門下。竹本座の立作者となり,演劇効果を技巧的に表現した。代表作に『妹背山婦女庭訓 (いもせやまおんなていきん) 』『本朝二十四孝』『新版歌祭文 (しんぱんうたざいもん) 』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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