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運慶【うんけい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

運慶
うんけい
[生]?
[没]貞応2(1223).12.11.
鎌倉時代の造仏界を代表する慶派名匠七条仏所総帥。堪慶の父。復古的傾向のなかに写実的で剛健な新しい作風の運慶様式を完成,法印のに昇る。安元2 (1176) 年円成寺の『大日如来像』をはじめ,治承4 (1180) 年,東大寺興福寺焼亡後の復興造営に参加し,建久7 (1196) 年大仏殿の『虚空蔵菩薩像』『持国天像』を造立。また建仁3 (1203) 年東大寺南大門の『金剛力士 (仁王) 像』を快慶合作。ほかに主要なものとして承元2 (1208) 年の興福寺北円堂の諸像,文治2 (1186) 年の伊豆願成就院,同5年の相模浄楽寺造仏 (以上現存) ,あるいは建保4 (1216) 年源実朝の持仏堂本尊の造顕などが知られる。その他教王護国寺 (東寺) ,神護寺,法勝寺,六波羅蜜寺など諸寺の造仏に従事した。彼の事は文献上は多いが,遺作は上記のほか興福寺の『無着・世親像』など比較的少ない。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

運慶
1150年ごろ生まれ、1223年奈良拠点とする仏師集団・慶派の頭領康慶長男。興福寺や東大寺などの仏像修理などを手がけ、平氏の南都焼き打ち後の仏像再興でも活躍した。写実的な作風が東国武士たちに好まれ、栃木、神奈川、静岡などの寺にも作品を残した。現存の運慶仏は31体とするが有力。
(2017-11-21 朝日新聞 朝刊 文化文芸)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

うんけい【運慶】
[?~1223]平安末期から鎌倉初期にかけての仏師。康慶の子。慶派の中心的仏師として活躍。豪放な力強さと写実に特色があり、鎌倉新様式を築いた。作品に東大寺南大門の金剛力士像興福寺北円堂の無著像・世親像などがある。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

運慶 うんけい
?-1224* 平安後期-鎌倉時代の仏師。
父康慶とともに戦乱で荒廃した奈良諸大寺の復興,造仏につくす。建仁(けんにん)3年快慶と東大寺南大門仁王像を制作,法印となる。写実的で力づよい作風が武士の好みにあい,数おおい注文に応じ,鎌倉彫刻様式を完成させた。作品に奈良円成寺の大日如来像,興福寺北円堂の弥勒(みろく)・無著(むちゃく)・世親(せしん)像など。貞応(じょうおう)2年12月11日死去。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

うんけい【運慶】
?‐1223(貞応2)
平安末~鎌倉初期に活躍した仏師。名匠定朝系統である慶派に属し,父は康朝の弟子とされる康慶である。12世紀後半期は京都に根拠を置く院派・円派が貴族信任を得て勢力を誇り,定朝の孫の頼助以来興福寺に所属して奈良に中心を置く慶派はふるわなかった。しかし,康朝の子成朝が鎌倉に下るなど,しだいに慶派は関東武士の間に活躍の場を求め,運慶の代に入り,東大寺復興の造仏に至ってその勢力関係は逆転する。慶派と関東武士との結びつきは,院派・円派が京都の旧権力者に重く用いられていたため,これに反発する東国勢力が慶派を用いたこと,また慶派の新鮮な力強い彫刻表現に力への憧憬をもつ東国武士たちが共感をいだいたことによると思われる。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

運慶
うんけい
(?―1223)

鎌倉初期の仏師で、日本彫刻史上にもっとも有名な作家。父は定朝(じょうちょう)5代目と称する慶派の康慶(こうけい)。当時は京都に根拠を置く院派、円派が貴族階層の信任を受けて勢力があり、興福寺に所属し、奈良を中心とする慶派は振るわなかったが、運慶の代には関東武士の間に活躍の場を求め、その情勢を逆転させるに至った。壮年期には奈良の興福寺の造仏により、仏師としての僧綱位(そうごうい)も法橋(ほっきょう)から法眼(ほうげん)、法印(ほういん)へと上り、晩年には主として鎌倉幕府関係の仕事を手がけるなど、運慶の制作は造仏の盛んだった当時でも例のないほどで、実力もさることながら、人気のほどが察せられる。約60年にわたる仏師としての生涯における作品は、文献上では多いが、確実な遺品として現存するのは奈良円成寺大日如来(だいにちにょらい)像(1176)、静岡願成就院阿弥陀(あみだ)如来・不動・毘沙門天(びしゃもんてん)像(1186)、神奈川浄楽寺阿弥陀三尊・不動・毘沙門天像(1189)、高野山(こうやさん)不動堂の八大童子像(1197)、奈良興福寺北円堂弥勒(みろく)・無著(むじゃく)・世親(せしん)像(1212ころ)、快慶と合作の東大寺金剛力士像(1203)にすぎない。没年は貞応(じょうおう)2年12月11日と伝える。

 運慶の作風は、康慶に始まる写実主義を推し進め、平安末期の形式化した貴族趣味的な像に対し、男性的な風貌(ふうぼう)、堂々たる体躯(たいく)、深く複雑な衣文(えもん)線、自由な動きをもつ姿態などに特色があり、かつ天平(てんぴょう)以来の彫刻の古典をその作品に総合している。これが当時の武士階級に喜ばれ、幕府をはじめ諸豪族の注文も多かった。彼の子の湛慶(たんけい)、康勝、康弁、および康慶の弟子快慶などが、彼のあとも引き続いて活躍し、鎌倉時代前半の彫刻界は運慶中心の慶派の時代でもあった。彼の作風は関東の彫刻にも大きな足跡を残し、いわゆる鎌倉地方様式も、この運慶様を基としている。

[佐藤昭夫]

『水野敬三郎著『運慶と鎌倉彫刻』(1972・小学館)』『林文雄著『運慶』(1980・新日本出版社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

うんけい【運慶】
鎌倉初期の彫刻家。南都仏師。定朝五代の孫康慶の子。東大寺や興福寺の復興事業に加わり、数多くの仏像を制作。写実的な力強い作風で、鎌倉彫刻の第一人者とされる。作品に円成寺「大日如来像」、快慶との合作による東大寺南大門「金剛力士像」など。生没年不詳。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

運慶
うんけい
?〜1223ごろ
鎌倉初期の彫刻家
定朝 (じようちよう) の5代の子孫で,康慶 (こうけい) の子。平重衡 (しげひら) によって焼かれた東大寺・興福寺の再建にたずさわって幾多の力作を残した。天平彫刻の影響をうけ,動きのある写実的作風。代表作に,若くして製作した円成寺『大日如来像』や東大寺南大門の『金剛力士像』(快慶との合作),興福寺北円堂の『無著・世親像』などがある。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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