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道宣【どうせん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

道宣
どうせん
Dao-xuan
[生]開皇16(596)
[没]乾封2(667).10.3.
中国,唐の南山律宗の祖。南山律師,南書大師ともいう。諡号は澄照律師。浙江省,湖州の人。 16歳のときに出家し,智首律師に師事した。のちに南山で禅を修行したが,律の異伝を求めて遊学し,貞観9 (635) 年に一時法礪に師事した。同 19年に玄奘がインドから帰国して経典を翻訳するに際し,筆受,潤文を司って補佐した。顕慶3 (658) 年に西明寺建立とともに上座となった。著書は『四分律行事鈔』『戒本疏』『業疏』『拾毘尼義鈔』『比丘尼義鈔』のほか,『続高僧伝』『広弘明集』『釈迦方志』『大唐内典録』など。

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デジタル大辞泉

どうせん〔ダウセン〕【道宣】
[596~667]中国代の。丹徒(浙江(せっこう))の人。智首を学び、終南山に住して四分律を研究、南山宗を開いた。四分律行事鈔」「大唐内典録」など。

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世界大百科事典 第2版

どうせん【道宣 Dào xuān】
596‐667
中国,隋・唐初の僧。南山律宗の祖で,一般には南山律師と称する。呉興(浙江省湖州市)の人(一説に丹徒の人)。陳の吏部尚書銭申の子で,20歳で具足戒をうけ,律学の大家智首の門に学んだ。終南山(南山)に住して,《四分律》をもとに戒律の行事を解説した名著《四分律行事鈔》3巻をはじめとする戒律学の五大部を著した。645年(貞観19)に玄奘(げんじよう)がインドから帰国すると,招かれて長安弘福寺での仏典翻訳事業に参加し,祇園精舎の制に模した西明寺が658年(顕慶3)に完成すると,その上座に招かれた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

どうせん【道宣】
596~667 中国唐代の南山律宗の祖。また史学者。智首に律を学び、のち終南山に住す。各地で律を説き、また玄奘の経典漢訳事業にも参加。著「四分律行事鈔」「続高僧伝」「広弘明集」など。南山律師。南山大師。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

道宣
どうせん
(596―667)
中国、唐代の僧。四分律宗(しぶんりつしゅう)(南山宗)の開祖。俗姓は銭氏。丹徒(たんと)(浙江(せっこう)省)の人。南山律師と称する。15歳で出家し、615年(大業11)、大禅定寺(だいぜんじょうじ)の智首(ちしゅ)より具足戒(ぐそくかい)を受けた。630年(貞観4)に『四分律行事鈔(ぎょうじしょう)』、635年に『四分律羯磨(こんま)』、637年に『釈門亡物軽重儀(しゃくもんぼうもつけいちょうぎ)』を撰述(せんじゅつ)し、律の体系を完成した。645年、玄奘(げんじょう)の訳場で翻訳を筆記したり訳文を潤色する役の代表となる。662年(龍朔2)、勅により沙門(しゃもん)、道士の君親礼拝(らいはい)が制せられたが、道宣は出家者が世俗法に従う理由なしとして上表し反対したため、ついにその勅は停止された。658年(顕慶3)長安に西明寺(さいみょうじ)が創建されるや、上座にあてられ、『釈門章服儀(しゃもんしょうふくぎ)』(659)、『釈門帰敬儀』(660)を撰述した。664年(麟徳1)、69歳で終南山浄業寺(しゅうなんざんじょうごうじ)に入り、『大唐内典録(だいとうないてんろく)』『広弘明集(こうぐみょうしゅう)』『集神州三宝感通録(しゅうじんしゅうさんぼうかんつうろく)』『集古今仏道論衡(しゅうここんぶつどうろんこう)』『釈迦氏譜(しゃかしふ)』などを撰述。また667年(乾封2)、浄業寺に戒壇を築き、『戒壇図経』『祇(ぎおん)寺図経』を撰述した。その戒壇は後世、中国や日本における戒壇の模範とされた。
 道宣はもっぱら四分律を奉じ、教判として化教(けきょう)(能力にしたがって説く教え)と制教(せいきょう)(戒律を説く戒学)を述べたが、小乗としての律宗も部分的には大乗に通ずるという分通大乗の立場に満足せず、大乗そのものとみて、律宗の教理を唯識(ゆいしき)の教理によって基礎づけた。また二百五十戒を、戒法、戒体、戒行、戒相の4科に分類して説き、犯した罪を発露懺悔(さんげ)する6種の方法をたてた。乾封(けんぽう)2年10月3日示寂。彼の著は律学のみでなく、経録、史伝、僧伝など多方面にわたり、当時の仏教史研究の貴重な文献として重視される。[佐藤達玄]
『山崎宏著『隋唐仏教史の研究』(1967・法蔵館)』

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精選版 日本国語大辞典

どうせん ダウセン【道宣】
中国、初唐の僧、史学者。南山律宗の祖。南山律師・南山大師と称する。丹徒(浙江省)の人とも。智首に律を学び、四分律に基づいて南山律宗を確立し、また護法的な精神を捧持していた。著には「四分律行事鈔」のほか、経典目録である「大唐内典録」、道教に対する立場を明らかにした「広弘明集」「集古今仏道論衡」、高僧の伝記を記した「続高僧伝」など、中国仏教史の研究に不可欠のものが多い。(五九六‐六六七

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