●遼東半島【リョウトウハントウ】
デジタル大辞泉
りょうとう‐はんとう〔レウトウハンタウ〕【遼東半島】
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世界大百科事典 第2版
りょうとうはんとう【遼東半島 Liáo dōng bàn dǎo】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
遼東半島
りょうとうはんとう / リヤオトンパンタオ
中国、遼寧(りょうねい/リヤオニン)省南部の半島。遼河(りょうが)旧河口の遼河口と鴨緑(おうりょく)江河口部を結んだ線より南にあたり、黄海と渤海(ぼっかい)の間に突出している。千山山脈が半島の脊梁(せきりょう)をなすが、長期にわたる侵食により丘陵化している。海岸は曲折に富み、沿岸部には長山群島をはじめ多くの島々が浮かぶ。農産物としてはトウモロコシ、米、コウリャン、アワ、大豆、綿花などのほか、丘陵斜面を利用した広いリンゴ園があり、また東部では柞蚕糸(さくさんし)の生産が多い。沿岸は水産業が盛んで、長山群島は好漁場として知られる。海岸部では天日製塩も盛んである。金県以南は旅大(りょだい/リュイター)半島(日本占領時代は関東州)とよばれるが、とくに湾入に富み、大連(だいれん/ターリエン)と旅順(りょじゅん/リュイシュン)の2港がある。旅順は海軍基地で、かつてロシア、日本が支配していた時代も軍港であった。大連は中国の代表的な貿易港の一つで、重化学工業も発達し、外国との合併企業も多く立地し、大慶(たいけい)油田などの原油の積出し港でもある。
[河野通博]
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精選版 日本国語大辞典
りょうとう‐はんとう レウトウハンタウ【遼東半島】
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旺文社世界史事典 三訂版
遼東半島
りょうとうはんとう
渤海をへだてて相対する山東半島を通して,古くから中国人の勢力が浸透した。1895年の下関条約で全域が日本に割譲されたが,三国干渉により清に還付された。1898年にロシアが半島南部の関東州を租借したが,日露戦争後,1905年のポーツマス条約で日本が代わって租借権を得た。第二次世界大戦後はソ連をへて中華人民共和国に返還され,現在は遼寧省に属する。
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旺文社日本史事典 三訂版
遼東半島
りょうとうはんとう
日清戦争(1894〜95)の結果,日本が獲得したが,三国干渉によって還付。しかし '98年ロシアはこの半島にある大連・旅順を租借し,その後日露戦争(1904〜05)の結果,ポーツマス条約でこの半島におけるロシアの権利が日本に譲られた。日本は関東州とし関東庁を設置し,経営に乗り出した。第二次世界大戦後,ヤルタ協定により,旅順にソ連の軍事基地があったが,'50年中国に返還された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
遼東半島
りょうとうはんとう
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