●郡県制【ぐんけんせい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
郡県制
ぐんけんせい
Jun-xian-zhi; Chün-hsien-chih
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デジタル大辞泉
ぐんけん‐せい【郡県制】
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世界大百科事典 第2版
ぐんけんせい【郡県制 Jùn xiàn zhì】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
郡県制
ぐんけんせい
中国、周の封建制が崩壊するなかで、春秋期以降に現れ、秦(しん)朝に確立した行政制度。『史記』秦本紀にみえる武公10年(前688)の記録が初見であるが、その後は『春秋左氏伝』などにも頻出する。最初は辺境地方に郡や県が顕著に現れるが、しだいに中原(ちゅうげん)諸国にも県設置がなされる。春秋の県は後の郡県制のそれとは違って、周代封建制の封邑(ほうゆう)と本質的には変わらない。郡県制の県は、秦の孝公が商鞅(しょうおう)を登用して、41県を咸陽(かんよう)を中心とする地方に配置したのが始まりと考えてよい。郡については、秦国では他国を併合したときその領域を郡と称している場合が多く、そののちに県を置くようになる。したがって最初から郡県が上下の統属関係として設けられたわけではない。整備されたのは秦の始皇帝の時代である。
商鞅の県制の内容をみると、彼は、君主が直接人民を支配できる場として県を想定していたことがわかる。「小都、郷邑、聚(しゅう)を集めて」県とした(『史記』「商君列伝」)というように大族を分解し、おもに開拓地を中心に成立した小邑群を集めて、中央政府直轄の県を設けたのである。郷とか聚の基本単元は『管子』では軌であり、商鞅では伍(ご)であり、睡虎地(すいこち)秦墓竹簡の示すところでは隣であり、いずれも小宗族(そうぞく)であると考えられる。伍は5戸によって構成されるが、商鞅によって戸別直接支配を意図したものの、そこまで支配できず、伍制という宗族の小単位把握にとどまったものである。その意味では商鞅の意図にもかかわらず「変法」による県制の成立は封建制の改編という結果に終わったといえよう。
秦の始皇帝の天下統一によって郡県制は全国に及ぼされた。紀元前221年には東方6国を滅ぼし、36郡を設けて行政を統括した。郡には郡守、郡尉、郡監を置き、県には県令、県尉、県丞(けんじょう)を置いて、行政、軍事、監察の分野をそれぞれ担当した。彼らは中央派遣で地位を世襲することなく、随時転任させられた。したがって原則的には、周代にみる職官、土地を基本とする封建制は消滅したのである。しかし、県の下部単位の郷には父老、里には里典、伍には伍老などの宗族の代表者があって、官吏と共同して統治しているという実状にあった。秦朝の中央集権体制もこのような意味では小宗族の群に支えられているのであって、封建制の再編という結果は先の「変法」の場合と同様である。
漢の高祖は官制など多くの面で秦制を踏襲しながらも、権力奪取の必要から異姓、同姓の諸侯を封国せざるをえなかった。これが郡国制である。異姓諸侯は高祖死去までにほとんど排除したが、同姓諸侯は文帝、景帝を経てようやくこの分権勢力を弱化することができた。郡県制が前漢中期に完成したといえよう。後漢(ごかん)を通じて郡県制は宗族を核とする豪族層によって支えられた。王朝はこれによって文治政治を達成することができた。魏晋(ぎしん)南北朝に入ると郡県の名はあるが、実体はなくなった。漢族が南渡すると本籍地の郡県を寄留地に設けたため混乱を起こすに至った。隋(ずい)の文帝はこのため郡を廃して州の下に県を直属させることにしたので郡県制は終わった。
[好並隆司]
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旺文社世界史事典 三訂版
郡県制
ぐんけんせい
始皇帝は全国統一に成功すると,全国を直轄地として36郡(のち48郡)の行政区画に分け,中央から行政・軍事・監察を行う守・尉・監の各役人を派遣し,さらに郡の下にいくつかの県を置いて,令 (れい) ・尉 (い) ・丞 (じよう) を遣わして統治させた。唐代以降,郡は州と称し,この制度の基本は歴代の王朝が受けついだ。
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