●鄴【ぎょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
鄴
ぎょう
Ye; Yeh
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デジタル大辞泉
ぎょう〔ゲフ〕【鄴】
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世界大百科事典 第2版
ぎょう【鄴 Yè】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
鄴
ぎょう
中国、河北(かほく/ホーペイ)省南部、臨漳(りんしょう)県西方の地名。春秋時代に斉(せい)の桓公(かんこう)(在位前685~前643)がここに初めて城を築いたという。戦国時代には魏(ぎ)の支配下に入り、鄴令の西門豹(せいもんひょう)によって灌漑(かんがい)事業が推進された。その後、後漢(ごかん)末には群雄の袁紹(えんしょう)と彼を倒した曹操(そうそう)(155~220)が続けて鄴に拠(よ)ったが、とくに曹操の時代には大規模な都城が経営された。魏と西晋(せいしん)はともに洛陽(らくよう)に都を置いたが、五胡(ごこ)十六国時代には、後趙(こうちょう)の石虎(せきこ)、魏の冉閔(ぜんびん)、および前燕(ぜんえん)の慕容儁(ぼようしゅん)などがふたたび鄴を拠点とした。その後も北魏の分裂に伴い、東魏、続いて北斉が鄴を都として、長安に拠った西魏や北周と鋭く対峙(たいじ)したが、このころが鄴のもっとも繁栄した時期で、577年、北斉が北周に滅ぼされてからは都市としての機能を喪失していった。
[關尾史郎]
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精選版 日本国語大辞典
ぎょう ゲフ【鄴】
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旺文社世界史事典 三訂版
鄴
ぎょう
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