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酒井抱一【さかい ほういつ】

美術人名辞典

酒井抱一
江戸後期画家俳人。姫路藩主忠以の。西本願寺十八世文如上人の養子。名は忠因、字は暉真、別号に軽挙道人・鶯村等、俳号屠龍、法名は等覚院文詮暉真。宋紫石の写生画風、浮世絵、狩野派さらに土佐派・円山派技法を摂取。最後には尾形光琳を慕う。画風は琳派の持つ日本的な装飾性を受けながら、繊細な感覚と鋭敏な情感が溢れている。文政11年(1828)歿、68才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

さかい‐ほういつ〔さかゐハウイツ〕【酒井抱一】
[1761~1829]江戸後期の画家。江戸の人。名は忠因(ただなお)。通称栄八。別号、鶯村(おうそん)。姫路城主酒井忠以(さかいただざね)の弟。尾形光琳(おがたこうりん)傾倒琳派の画風に繊細な叙情性を加味し、同派の最後を飾った。俳諧・和歌・書などにも長じた。作「夏秋草図屏風」。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

酒井抱一 さかい-ほういつ
1761-1829* 江戸時代中期-後期の画家,俳人。
宝暦11年7月1日生まれ。酒井忠仰(ただもち)の次男播磨(はりま)姫路藩主酒井忠以(ただざね)の弟。37歳で出家し,文化6年江戸根岸に雨華庵をいとなむ。絵を狩野高信,宋紫石,歌川豊春にまなび,のち尾形光琳(こうりん)に傾倒。「夏秋草図屏風(びょうぶ)」など琳派風の絵をかいた。俳諧にもすぐれた。文政11年11月29日死去。68歳。江戸出身。名は忠因(ただなお)。字(あざな)は暉真。通称は栄八。別号に鶯村など。句集に「屠竜之技(とりょうのぎ)」。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

さかいほういつ【酒井抱一】
1761‐1828(宝暦11‐文政11)
江戸後期の琳派の画家。幼名栄八,名は忠因(ただなお)。抱一のほか,屠竜,雨華庵と号す。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟として江戸に生まれ,早くから各種の文芸才能を示した。狂歌は四方赤良(よものあから)(大田南畝)について尻焼猿人と号し,俳諧は馬場存義に学んで終世愛好し,句集に《軽挙館句藻》がある。また書も得意であった。画ははじめ浮世絵,南蘋(なんぴん)派,狩野派,円山派などを広く学び,親友であった谷文晁にも兄事した。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

酒井抱一
さかいほういつ
[生]宝暦11(1761).7.1. 江戸
[没]文政11(1828).11.29. 江戸
江戸時代後期の画家。名は忠因 (ただなお) ,通称栄八。号は抱一,鶯村のほか,俳号として白鳧,濤花,杜稜,屠龍など。酒井忠仰の次男で,姫路城主,酒井忠以の弟。江戸で育つ。酒井家は代々学問芸術に厚い家柄で,抱一も若年より俳句,狂歌,能,茶事などを広くたしなんだ。病気を理由に 37歳で剃髪して等覚院文詮暉真と称し,権大僧都となる。 49歳のとき下根岸に雨華庵を営み,谷文晁ら当時の文化人たちとも親しく交遊。絵は初め狩野派を学び,次いで歌川豊春からは浮世絵,宋紫石からは沈南蘋 (しんなんぴん) の写生画風,さらに円山派,土佐派にも手を染めたが,のち尾形光琳,乾山に深く私淑。ことに光琳の画風の復興に努め,その影響のもとに独自の画風を形成。文化 12 (1815) 年の光琳百回忌にちなんで『光琳百図』『尾形流略印譜』を,文政6 (23) 年には『乾山遺墨』を刊行。文化文政期の江戸の粋人らしい繊細な情感を画面に漂わせる。主要作品『夏秋草図』 (東京国立博物館) ,『四季花鳥図』 (陽明文庫) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

酒井抱一
さかいほういつ
(1761―1828)

江戸後期の画家。名は忠因(ただなお)。通称栄八。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟として江戸に生まれる。文芸を愛好する酒井家の血を継いで、画(え)はもちろん、俳諧(はいかい)、和歌、連歌、国学、書、さらに能、仕舞などの諸芸をたしなんだ。37歳で出家を志し、京都西本願寺の文如上人(ぶんにょしょうにん)のもとに剃髪したが、わずか十数日の滞在で江戸に戻り、翌年浅草千束(せんぞく)の庵(いおり)に移って閑居。抱一号はこのころを契機に用いられている。文政(ぶんせい)11年11月29日没。

 画業は初め狩野高信(かのうたかのぶ)から狩野風を学び、また宋紫石(そうしせき)について沈南蘋(しんなんぴん)の写生画風、歌川豊春(とよはる)から浮世絵、さらに土佐派、円山派などの技法を習得、親交あった谷文晁(ぶんちょう)からも影響を受けるなど、諸派の画風を次々と学んだ。のち尾形光琳(こうりん)の作品に接して深く傾倒し、独自の立場でその作風を試み、江戸時代の装飾芸術の流派「琳派(りんぱ)」の最後を飾った。1815年(文化12)には光琳百年忌を催し、『光琳百図』『尾形流略印譜』を刊行し、また1823年(文政6)にも『乾山(けんざん)遺墨』を編するなど、光琳あるいは乾山に対する私淑ぶりがうかがえる。また光琳筆の『風神雷神図屏風(びょうぶ)』の裏面に自らの最高傑作『夏秋草図』(重要文化財、東京国立博物館)を描き付ける。色彩豊かな光琳画の装飾性に倣いながらも、繊細優美な画風をもって豊かな叙情性を追究している。ほかに『葛秋草(くずあきくさ)図屏風』(重要文化財、HOYA株式会社)、『十二ヶ月草花図』(御物)、『秋草鶉(あきくさうずら)図屏風』など、とくに草花図の優品が多い。

[村重 寧]

『千沢禎治編『日本の美術186 酒井抱一』(1981・至文堂)』

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367日誕生日大事典

酒井抱一 (さかいほういつ)
生年月日:1761年7月1日
江戸時代中期;後期の琳派の画家
1829年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

さかい‐ほういつ【酒井抱一】
江戸後期の画家。名は忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠以(ただざね)の弟として、江戸に生まれた。仏門に入ったが、すぐに隠退し、江戸根岸に雨華庵をいとなみ、書画俳諧に風流三昧の生活を送った。絵は、はじめ狩野派、沈南蘋派(しんなんぴんは)、浮世絵などを学んだが、のち光琳に傾倒、光琳をもとにして独自の画風を開いた。代表作「夏秋草図屏風」。宝暦一一~文政一一年(一七六一‐一八二八

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