●醍醐天皇【だいごてんのう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
醍醐天皇
だいごてんのう
[没]延長8(930).9.29. 京都
第 60代の天皇 (在位 897~930) 。名は敦仁。宇多天皇の第1皇子。母は内大臣藤原高藤の娘,贈皇太后胤子。寛平5 (893) 年皇太子となり,同9年 13歳で即位。父帝が左大臣藤原時平,右大臣菅原道真に新帝を補佐させたときの遺誡は『寛平御遺誡』として有名である。醍醐天皇の治世は摂関をおかず,天皇親裁の形であったが,道真が時平の讒にあって左遷されたため,藤原氏進出の道が開かれた。治世中,『三代実録』『延喜格式』の編纂,『古今和歌集』などの勅撰が行われ,政務への精励やその治績は第 62代の村上天皇の時代とともに「延喜・天暦の治」とたたえられた。陵墓は京都市伏見区醍醐古道町の後山科陵。
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デジタル大辞泉
だいご‐てんのう〔‐テンワウ〕【醍醐天皇】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
醍醐天皇 だいごてんのう
元慶(がんぎょう)9年1月18日生まれ。宇多天皇の第1皇子。母は藤原胤子(いんし)。父の譲位をうけ,13歳で元服と同時に即位。菅原道真(みちざね)左遷後は藤原時平に実権をにぎられる。政治・文化両面に積極的で,荘園整理令を施行し,「日本三代実録」「古今和歌集」「延喜格(えんぎきゃく)」「延喜式」などを完成させた。病気のため延長8年譲位。延長8年9月29日死去。46歳。墓所は後山科陵(のちのやましなのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は維城,敦仁(あつひと)。別名に延喜帝,小野天皇,後山階帝。法名は金剛宝。日記に「醍醐天皇御記」。
【格言など】春風の吹かぬ世にだにあらませば心のどかに花は見てまし(「続後撰和歌集」)
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世界大百科事典 第2版
だいごてんのう【醍醐天皇】
第60代に数えられる天皇。在位897‐930年。父は宇多天皇,母は女御胤子(藤原高藤女)。諱(いみな)は敦仁。893年(寛平5)立太子。897年に元服,即位。治世のはじめは父上皇の意志で藤原時平,菅原道真が並んで補佐の任にあったが,まもなく道真は時平派により,天皇の廃立を謀ったとされて失脚。時平の死後はその弟忠平が政権の中心となった。天皇は親政を行い,地方政治や制度・文化面に実績をあげ,後世高く評価された(延喜・天暦の治)。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
醍醐天皇
だいごてんのう
(885―930)
第60代天皇(在位897~930)。宇多(うだ)天皇第一皇子。母は内大臣正三位藤原高藤(たかふじ)の女胤子(むすめいんし)。諱(いみな)は敦仁(あつぎみ)。893年(寛平5)4月立太子、897年宇多天皇から禅を受け即位。このときの伝国詔命に藤原時平(ときひら)と菅原道真(すがわらのみちざね)を重用せよとの指示があり、左右大臣として両人が天皇の治政を補佐した。しかし両者の間に反目が生じ、901年(延喜1)道真は時平により讒(ざん)され、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、以後、時平の専権体制が確立し、律令(りつりょう)原則に立ち返った復古路線に基づく施策が打ち出された。時平没後はその弟忠平(ただひら)が太政官(だいじょうかん)の首班となり、時平とは異なる現実主義的路線を採用し、律令支配原理とは異なる支配方式で臨んだようである。政治面において困難に陥っていたが、国史や格式ないし『古今和歌集』の編纂(へんさん)が行われ、文化面では栄えるところがあった。晩年の天皇は流謫(るたく)に処した道真の怨霊(おんりょう)に悩まされ、930年(延長8)朱雀(すざく)天皇に譲位、落飾して即日崩御。陵墓は伏見(ふしみ)の後山科(のちのやましな)陵。
[森田 悌]
『森田悌著『王朝政治』(教育社歴史新書)』
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367日誕生日大事典
醍醐天皇 (だいごてんのう)
平安時代中期の第60代の天皇
930年没
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精選版 日本国語大辞典
だいご‐てんのう ‥テンワウ【醍醐天皇】
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旺文社日本史事典 三訂版
醍醐天皇
だいごてんのう
平安前期の天皇(在位897〜930)
宇多天皇第1皇子。藤原時平・菅原道真をそれぞれ左大臣・右大臣として,摂政・関白を置かず天皇親政の積極的政治を行った。律令体制維持につとめ,902年班田を励行し,延喜の荘園整理令を発布。後世天皇の治世を延喜の治といい,律令政治の理想とされた。治世中,『延喜格式』『日本三代実録』『古今和歌集』が編集された。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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