@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

里内裏【さとだいり】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

里内裏
さとだいり
内裏ともいう。天皇居所である内裏のほかにかりに設けられた皇居平安京以後のことで,貞元1 (976) 年5月内裏が焼失したとき,太政大臣藤原兼通の娘こう子 (こうし) をとする円融天皇が兼通の堀河第に移って,約1年間そこを里内裏としたのに始るという。多く外戚の家が用いられた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

さと‐だいり【里内裏】
内裏の外に、一時仮に設けられた御所。多くは外戚の摂関家邸宅を充てた。現在の京都御所も里内裏の一。里御所。今内裏

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

さとだいり【里内裏】
平安宮の外に平安京街に設けられた皇居。今内裏,里亭皇居,里内(さとだい)などの称もあるが,とくに大内(だいだい)と併称して里内の称が多く用いられた。 960年(天徳4)平安内裏がはじめて焼亡すると,村上天皇は累代の後院(ごいん)(離宮一種)である冷泉(れいぜい)院に移ったが,976年(貞元1)ふたたび内裏が焼失し,円融天皇は太政大臣藤原兼通の堀河第に移って約1年間これを皇居とした。当時冷泉院が冷泉上皇の御所となっていたためであろう。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

さとだいり【里内裏】
平安京で内裏の外に、外戚などの邸を一時的に内裏として用いたもの。里内さとだい。今内裏。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

里内裏
さとだいり
大内裏の外(里)に設けられた仮の内裏。今内裏ともいう。多く摂政(せっしょう)・関白などの私邸があてられた。976年(貞元1)内裏が焼失し、再建までの間、円融(えんゆう)天皇が関白藤原兼通(かねみち)の堀河殿(ほりかわどの)を居所としたことに始まるとされる。その後、放火などにより内裏がたびたび炎上するようになると、一条(いちじょう)天皇の一条殿や、三条(さんじょう)天皇の枇杷(びわ)殿などのように、ほぼ特定の邸宅が里内裏になった。寝殿(しんでん)、対屋(たいのや)、廊などを、内裏の殿舎になぞらえて使用し、修理や再建のときは、より内裏にふさわしいように改造されることもあった。
 平安中期以後は、初めから里内裏にする予定で邸宅を造営し、天皇は日常をそこで過ごし、儀式を行うときのみ内裏に帰る、という状況が多くなる。当時の代表的な里内裏には、高陽院(かやのいん)、堀河殿、東三条殿、大炊御門殿(おおいのみかどどの)、土御門殿(つちみかどどの)などがある。本来の内裏は1227年(安貞1)に焼失してからは再建されることなく、富小路殿(とみのこうじどの)、閑院殿(かんいんどの)などが里内裏とされたが、鎌倉後期になって、大覚寺統と持明院統の対立が里内裏の選定に大きな影響を与えるようになった。
 その結果、建武(けんむ)の新政が挫折(ざせつ)したのち、足利尊氏(あしかがたかうじ)に擁立された光明(こうみょう)天皇は、大覚寺統の後醍醐(ごだいご)天皇に対抗する意味もあって、以前同じ持明院統の光厳(こうごん)天皇が位につくときに使用された土御門東洞院殿を内裏とした。以後はここが内裏として定まり、紫宸殿(ししんでん)ほかの殿舎も設けられ、火災と再建を繰り返しながら、1869年(明治2)の東京遷都まで続いた。これが現在の京都御所である。[吉田早苗]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

さと‐だいり【里内裏】
〘名〙 平安時代以降、内裏の外(そと)に、仮に設けた御所。事件や方忌(かたい)みなどのため臨時に作られた皇居。多く摂政・関白などの、外戚の邸宅をあてた。さとだい。里御所。今内裏。
※今鏡(1170)三「近き世には、さと内裏にてのみしありしかば、かやうの御すまゐもなきに」
[補注]多くの場合、天皇がその母方の邸宅に移るため「里」という称を冠したものか。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

里内裏
さとだいり
平安時代,大内裏以外に臨時に置かれた皇居
今内裏ともいう。976年に内裏焼失のとき円融天皇が太政大臣藤原兼通の堀河第を約1年間皇居としたのに始まる。外戚の私第が多く用いられた。白河天皇以後は里内裏が常の皇居となった。1855年京都御所が造営され,明治維新まで皇居となった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

里内裏」の用語解説はコトバンクが提供しています。

里内裏の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation