●重慶【ジュウケイ】
デジタル大辞泉
じゅうけい〔ヂユウケイ〕【重慶】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
重慶 ちょうけい
鎌倉鶴岡八幡宮の神宮寺の供僧。建久2年(1191)放生会(ほうじょうえ)で導師をつとめ,3年北条政子懐妊の際の安産祈祷をおこなった。のち法橋(ほっきょう)をへて法眼となる。通称は安楽房。
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重慶 じゅうけい
天文(てんぶん)22年生まれ。東大寺の重祐にまなび,真言密教を研究。奈良の真言宗円成(えんじょう)寺にはいり,のち観音院を再興。念仏三昧を勤めた。慶長17年10月15日死去。60歳。俗姓は橘(たちばな)。
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世界大百科事典 第2版
じゅうけい【重慶 Chóng qìng】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
重慶
じゅうけい / チョンチン
中国、西南地方の東北部にある市。四川(しせん)省に属していたが、1997年に中国4番目の政府直轄市(省と同格)となった。面積8万2400平方キロメートル、万州(ばんしゅう)、涪陵(ふりょう)、江津(こうしん)、合川(ごうせん)、永川(えいせん)など26市轄区、巫山(ふざん)など8県、4自治県を管轄し、人口3048万4300(2016)。揚子江(ようすこう)と嘉陵江(かりょうこう)の合流点に位置する。略称は渝(ゆ)。
両江の間の半島に中心部をもつ市街地は、周辺山地にも広がっており、山城とよばれる。古くからの交通要地で、今日も成渝線(成都(せいと)―重慶)、襄渝線、川黔(せんけん)線(重慶―貴陽(きよう))と蘭渝線(蘭州(らんしゅう)―重慶)の交会点、自動車・河川交通の中心地であり、四川盆地最大の商業機能を有している。市街近郊には重慶江北国際空港がある。中華人民共和国成立後、内戦で破壊された鉱工業も発展し、石炭、鉄鉱石、天然ガス産地や農産物などを背景に鉄鋼、電力、各種機械、化学、紡織その他の諸工業がみられる。また、西南地方の文化中心地でもあり、さらに長江三峡のうちの瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡、北温泉などの温泉保養地、各時代の遺跡、国共合作当時の共産党事務所跡など名勝、史跡も多い。
[小野菊雄]
歴史
先秦(せんしん)(秦による中国統一以前)時代、この地にはすでに巴子(はし)国があった。秦はこれを討って巴郡とした。隋(ずい)・唐では渝州、宋(そう)以後は重慶府とよばれた。1876年、芝罘(チーフ)条約に基づき開港場となった。日中戦争の大部分の期間、国民政府はここに首都を移し(1937年11月~1946年4月)頑強に日本に対し抵抗した。重慶が前線から遠く離れ、またアメリカ・イギリスによるビルマ(現、ミャンマー)経由の援助を受けるのに便利だったからである。このため日本軍によってたび重なる爆撃を受け、多くの被害を出した。重慶は揚子江河口から2400キロメートルも奥地にありながら、相当大きい汽船がさかのぼれるので、揚子江下流地方とは結び付きが強い。1949年の中華人民共和国成立後、1952年に成都―重慶間を結ぶ成渝線が完成し、揚子江の航運と相まって中国西南地区の経済的中心地になっている。
[倉橋正直]
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精選版 日本国語大辞典
じゅう‐けい ヂュウ‥【重慶】
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旺文社世界史事典 三訂版
重慶
じゅうけい
Chóngqìng
古くから西部の成都 (せいと) と並んで東部の中心として発達。1876年開港場となった。日中戦争のとき,国民政府がここへ移り,全中国の政治の中心となった。戦後は軽工業をはじめ各種工業が発展。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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