●野郎歌舞伎【やろうかぶき】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
野郎歌舞伎
やろうかぶき
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デジタル大辞泉
やろう‐かぶき〔ヤラウ‐〕【野郎歌舞伎】
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世界大百科事典 第2版
やろうかぶき【野郎歌舞伎】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
野郎歌舞伎
やろうかぶき
初期歌舞伎における一時期の名称。1652年(承応1)に、風俗が乱れるとの理由で若衆(わかしゅ)歌舞伎が禁止されるが、役者の前髪を剃(そ)り落として野郎頭にすることと、「物真似(ものまね)狂言尽し」を演ずることを条件として、翌年再開を許された。これ以後、元禄(げんろく)時代(1688~1704)に入る前までを野郎歌舞伎(時代)とよぶ。すなわち、容色を売る若衆の扇情的な舞や踊ではなく、野郎が演ずる物真似芝居だという意味の命名であった。1661~87年(寛文1~貞享4)のころを全盛期とする。この時期は、歌舞伎が本格的な演劇としての道を歩き始める重要なときにあたり、内容は飛躍的な進歩を示した。女方(おんながた)の基礎がつくられたほか、各種の役柄が形成され、「傾城買事(けいせいかいごと)」「やつし事」「荒事(あらごと)」「意見事」というように「事」とよんだ多くの演技パターンがつくりだされ、演技術が著しく進歩した。舞台に大道具を飾り、二番続き、三番続きといった「続き狂言」を上演し、やがて引幕(ひきまく)も使用するようになった。一方、「役者評判記」が出版され、俳優の技芸の批評が行われるようになるなど、あらゆる面で、次なる元禄年間の第一次完成期を準備した時代といってよい。
[服部幸雄]
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精選版 日本国語大辞典
やろう‐かぶき ヤラウ‥【野郎歌舞伎】
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旺文社日本史事典 三訂版
野郎歌舞伎
やろうかぶき
1652年若衆歌舞伎が禁止されたが,嘆願により,前髪を切った野郎頭(成人の髪型)を条件に翌年許可された。以後元禄(1688〜1704)の隆盛までの約30年間を一般に野郎歌舞伎の時代という。役者の容色中心から演技本位となり,また女形 (おやま) も発生した。
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