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金(元素)【きん】

日本大百科全書(ニッポニカ)

金(元素)
きん
gold

周期表第11族に属し、銅族元素(貨幣金属元素ともいう)の一つ。単体は黄金色の光沢ある金属で、代表的な貴金属の一つである。

 金は人間によって使用された金属のうちでももっとも古いものの一つと考えられている。たとえば『旧約聖書』の「創世記」にあるエデンの園(その)の項中にはすでにその記載があるし、メソポタミアのシュメール人の都市国家ウルでは紀元前3000年ころすでに優れた金製の兜(かぶと)などがつくられている。またエジプトの遺跡から発掘された多くの豪華な金製品はよく知られているが、トロイ(トロヤ)、クレタ、ミケーネのエーゲ文明も金製品を多く残し、エトルリア、スキタイ、インカなども金を尊重した文明として知られている。古代七つの金属が太陽をはじめとする七星にあてはめられていたが、金は太陽と対応していた。

 ギリシア人は、初めて金を貨幣として用いたが、この制度はローマに受け継がれた。一方中国では殷(いん)王朝のころから金の使用が盛んになった。また古代朝鮮では金製品についての技術が優れていて、漢代の細工をよく伝え、新羅(しらぎ)時代の金冠、金鎖など多くの金製品が現在でも出土している。これらは、金のもつ金属としての優れた性質、すなわち細工のしやすさ、変わらない美しい光沢、腐食しないこと、比重の高いこと、さらにはその希少性などから、装飾品、財宝などとして尊重されたことによるものである。また一方、古代インドの経典などにみられるように、金の特殊性から魔力をもつものとしての崇拝を生じ、さらに金に対する人間の異常な欲望の源ともなり、中世の錬金術の流行を生み、当時の思想にまで大きな影響を及ぼすことになった。またイタリアのマルコ・ポーロの冒険やスペインのコロンブスの大航海など、東洋の金を求め、エル・ドラド(黄金郷)をたずねて旅行が盛んになり、16世紀にはコンキスタドレス(スペインの征服者の意)の中南米への侵略となって現れ、19世紀のゴールド・ラッシュによって最高潮に達した。フランシスコ・ピサロのインカ占領によるヨーロッパへの金銀の略奪、南米奥地のインディオの金銀伝説につられての探検隊などはよく知られている。

 日本では、後漢(ごかん)の光武帝(在位25~57)が倭国(わこく)の使者に金印を贈ったということが『後漢書(ごかんじょ)』に載っており、しかも「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という金印が1784年(天明4)に現在の福岡県志賀島(しかのしま)から発掘されているのが、金についての古い記録の一つである。古墳時代の遺跡からは、朝鮮から渡来したと思われる金冠など多くの金製品が関東・関西を問わず出土しており、九州沖島(沖ノ島)の宗像(むなかた)大社沖津宮(おきつみや)の古代遺跡からは純金製の指輪が出ているので、古くから金が使用されていたことは確かである。また、『続日本紀(しょくにほんぎ)』の文武(もんむ)天皇5年(701)の条には対馬(つしま)国の産金をうかがわせる記述がみられ、749年(天平21)聖武(しょうむ)天皇の時代、奈良東大寺大仏の塗金に際して陸奥(むつ)国から砂金を献上したという記述がある。そのころ、この金の発見がきわめて大きな事件であったことは、年号が改められ(天平感宝と改元)、大伴家持(おおとものやかもち)らによる喜びの歌がつくられたことからもうかがえる。その後も金が重用されていたことは、正倉院の遺品、現在残っている多くの仏教美術品などからも推定できる。また10世紀ごろから日本の産金量はきわめて増大したものとみられ、大陸貿易の重要な輸出品となっていた。そして奥州藤原氏の黄金文化を生み、近世戦国大名の金山開発へと進んだが、江戸中期以降は鉱脈が枯渇して衰退した。

 これまでに発見された世界最大の自然金は、1869年オーストラリアのビクトリア州で発掘されたもので、重さは2520オンス(約71キログラム)あり、これから2280オンスの純金が得られている。

[中原勝儼]

命名の由来

金の元素記号Auは、ラテン語の「灼熱(しゃくねつ)の夜明け」を意味するaurumからとったものであるが、これはヘブライ語の光を意味するorまたは赤を意味するausからきたものといわれており、フランス語もorである。また英語のgold、ドイツ語のGoldは、ともにサンスクリットの輝くという意味のjvalitaからきたものとされている。日本では古くから黄金(こがね)とよんでおり、「久しく埋りて衣を生ぜず、百度錬するも軽からず、革(あらた)むるに従って違わず」として五色(ごしき)の金(かね)(黄金=金、白金(しろがね)=銀、赤金(あかがね)=銅、黒金(くろがね)=鉄、青金(あおがね)=鉛)の最たるものであった。

[中原勝儼]

存在

大部分が自然金の形で石英脈中に産出する(産出状態から山金(やまきん)といわれる)が、母岩が風化して細粉となり、比重が高いため川底の砂礫(されき)中に沈積した砂金としてみいだされることが多い。多くは微粒として存在するが、ときには塊金として数キログラム程度のものがみいだされることもある。砂金は古代から多く各所で産出したが、現在ではほとんど採取されてしまい、その生産は少ない。自然金は純粋の金ではなく、多くは銀との合金(エレクトラム)で、その品位は65~99%である。金の鉱物としては自然金のほか、テルル金鉱、ペッツ鉱、カラベラス鉱などが知られている。また銅鉱物、鉛鉱物などにはきわめて微量の金が含まれていることが多い。世界的な金鉱床のおもなものとして、南アフリカ共和国のランド地方の含金礫岩層が世界金生産額の大部分を占め、その他各種の硫化物鉱を伴う鉱床(難処理鉱)は、カナダ、ウラル、アメリカ、オーストラリア、朝鮮などにある。日本の金鉱山は、単純石英金銀鉱脈(易処理鉱)であることが多い。

[中原勝儼]

製法

産出状態その他の状況によって選鉱、精錬の方法は異なるが、一般に選鉱法(比重選鉱、浮遊選鉱)、混汞法(こんこうほう)、シアン化法、またはそれらの組合せが用いられる。これらはいずれも湿式製錬である。このうち、比重選鉱法および混汞法が古くから行われたが、シアン化法は1890年代に工業化されたもので、これによって生産が飛躍的に増大した。

[中原勝儼]

砂金の場合

金の比重が大きいことを利用して、揺り皿法、揺り箱法、猫流し法、樋(とい)流し法などが用いられ、やや大規模のときは採金船を用いる。ただしこれらは素朴な方法で、現在ではあまり用いられていない。

(1)揺り皿法 俗に「かさがけ」といわれる。皿または鉢に含金砂泥を入れて水中に浸し、前後左右に揺り動かして土砂を流し去って、金を器底に残す。

(2)揺り箱法 下が舟底形で上に金網を張った木箱で、揺り皿法同様、砂金だけをふるい残す。

(3)猫流し法 川を仕切って適度に水を流し、その下に猫とよばれる藁(わら)または木綿の莚(むしろ)を据えておく。重い金は自然に猫の目にとどまるので、あとでこれをふるって取り出す。

(4)樋流し法 幅40センチメートル、深さ30センチメートル、長さ4メートルぐらいの樋を十数個並べて原料を流し、猫流しと同様にする。この場合、猫のかわりにアマルガムを用いると、混汞法になる。

(5)採金船 砂金選鉱を大規模に行うため、一種の浚渫(しゅんせつ)船を用い、船内でふるい分けを行ってから、洗浄や混汞法などによって採取する。

[中原勝儼]

山金の場合

日本では普通、混汞法、シアン化法が行われている。

(1)混汞法 金が水銀とアマルガムをつくることを利用したもので、アマルガムとして採取してから水銀を揮発させて金を残す方法である。鉱石は水中で適当に粉砕し、銀めっきした銅板の表面を水銀でアマルガムとしたものの上に流し、板上の硬アマルガムを集め、鉄製レトルトで蒸留して水銀を分離する。これは古い方法であり、その後、比重選鉱により金を濃縮してから、樽混汞などで水銀を混ぜて攪拌(かくはん)し、アマルガムとして回収する方法が行われている。金の採取率は60~80%で、残りはシアン化法などで再処理する。

(2)シアン化法 シアン化ナトリウム水溶液が、空気の存在で金を溶かすことを利用したものである。反応は次の式で表される。

  2Au+4NaCN+O+H2O
   ―→2NaAu(CN)2+2NaOH
このとき金を溶解している液を貴液といい、これに亜鉛末を加えると、
  2NaAu(CN)2+Zn
   ―→Na2Zn(CN)4+2Au
によって金を析出する。

 これらの湿式製錬法では、ヒ素、アンチモン鉱物、硫化銅、磁硫鉄鉱などの硫化鉱が入ると、シアン化物溶液を消費することになるので、反応は円滑に進まない。

[中原勝儼]

乾式製錬

銅または鉛の製錬の際、鉱石中の金や銀が粗銅または粗鉛の中に集まってくる。そのため、銅、鉛などの融解精錬に必要な融剤のケイ酸塩に金鉱石を用い、金銀を副産物として取り出す。日本の銅、鉛の製錬所のほとんどがこの方法を用いている。すなわち、製錬炉の産物である鈹(かわ)あるいは粗鉛に濃縮された金を溶解法あるいは電解法などによって取り出す。

[中原勝儼]

精製法

自然金および製錬によって取り出した粗金には、かなりの銀その他のものが含まれており、これを分離するには、酸分銀法と電解法が用いられる。

(1)酸分銀法 硝酸または硫酸で銀を溶かし、金だけを残す方法である。日本ではほとんど行われていない。

(2)電解法 粗金を板に鋳造して正極とし、電解液に塩化金を用いて負極の純金板上に金を析出させる。析出した金は黒鉛るつぼ中で融解し、インゴット(鋳塊)とする。純度は99.99%以上であるが、不純物としてパラジウム、銀などが混入する。

[中原勝儼]

性質

展性、延性ともにきわめて大きく、通常の金箔(きんぱく)で厚さ0.0001ミリメートルとなり、また1グラムの金を約3000メートルの針金とすることができる。純金の色調はその状態で異なり、塊状のものは黄金色であるが、粉末やコロイドにすると赤ないし紫、融解すると緑、蒸着膜では赤にみえる。また薄い箔では透過光線によって緑から青色となる。電気、熱の良導体で、銀、銅に次ぎ、導電率で銀の67%、比抵抗は2.2×10-6Ω・cm(18℃)、また熱伝導度は0.708cal/cm・sec・deg(20℃)で、銀の70%である。硬さは2.5~3である。空気中、水中できわめて安定で、色調を変えることがなく、また酸化剤によっても酸化されず、酸やアルカリにも溶けない。しかし王水には溶けてクロロ金(Ⅲ)酸になる。酸素が存在するときには、シアン化アルカリ水溶液にシアノ金酸塩をつくって溶ける。酸素、硫黄(いおう)とは高温でも反応しないが、塩素、臭素とは直接結合する。通常の化合物の酸化数はⅠとⅢである。

[中原勝儼]

用途

多くの国で貨幣の基準として用いる特別な金属で、ほかに主として工芸品、装飾品などに、また歯科医療、万年筆のペン先、人絹や合成繊維などの紡糸口金、ガラスや陶磁器の着色剤、電子工業用、検電器の箔などにも使われる。純金のままでは軟らかすぎるので、普通は銅、銀および白金族元素などとの合金として用いる。合金としての品位は、パーミル‰あるいはカラットKで表す。カラットは純金を24Kとし、たとえば金貨は21.6K(金90%)、義歯20~22K(金約83.3~91.7%)、装身具18K(金75%)、金ペン14K(金約58.3%)などである。

[中原勝儼]

金の文化史

金は、自然状態でみいだされることがあり、その黄金に輝く光沢から、早くから人類の目をひきつけてきたに違いない。金は、一般的に最初に発見された金属と考えられている。中国では、「金」が金属一般をも意味し、三品あるいは五金という色を基準にした金属の分類が古くから行われていた。そのなかで金そのものは黄金とよばれる。しかし、エジプトでは銅の発見が先であったといわれ、アフリカでも金が「黄色の鉄」「黄色の銅」とよばれるように、銅などより発見が遅れた。南アメリカやメキシコでは金が最初の金属であるが、北米の先住民の間では銅の発見が先行した。金には、こうした発見・利用の初期から、実用的・経済的価値よりも、美意識上や呪術(じゅじゅつ)上の価値が大きかったと考えられる。金は、輝きと色、金属としての優れた性質などから、貴金属中の貴金属とされ、高貴さ、純粋さ、豊饒(ほうじょう)、富、不死などのさまざまな象徴的価値を帯びている。

 神話などのうえで、金は太陽と結び付いている。ギリシア神話の天神ゼウスがダナエを妊娠させるべく身を変えた黄金の雨は、太陽光線を意味している。そして、金は「地中の太陽」といわれ、16世紀のヨーロッパにおいても、河床でみつかる自然金は、太陽によって地中から引き出されたとの観念が存在していた。また金鉱石は太陽の影響の下で成長すると考えられていた。金は硫黄から生じ、天(おもに太陽)の働きによって、地中で精製純化されるといわれた。このような鉱石の成長・変成の考えは、中世のヨーロッパだけでなく、中国やインド、東南アジアなどでもみられる。この観念はまた錬金術を生み出す背景にあった。すなわち、自然の状態においてすべての鉱石は高貴な金属である金に成長すると信じられ、錬金術はこの過程を促すものと考えられた。太陽・天と結び付き、至上の価値を帯びる金は、王権とも古くから結び付き、冠や杖(つえ)、笏(しゃく)など支配をしるすものに用いられ、あるいは金製品の使用が王や支配階級に限られることがあった。古代エジプトにおいて、神の身体は金でできていると信じられ、神となることによって、ファラオ(王)の肉体も金になるとされた。純金のファラオの仮面は、こうした考えに基づくとともに、永遠や不死を象徴している。インドのマヌ法典で、金銀は水と火との結合から生じるとされる。それゆえ金は完全な金属で、純粋な精神や自由・不死を象徴した。それはまた王権や高貴なものの徴(しるし)であった。

 支配者の家畜であるウマのと畜に用いられるナイフは、他の動物の場合と違って金製のものであった。中国においても、卑金属などから金銀を得る錬丹術(錬金術)が、同時に不老不死の霊薬の獲得を目ざしていたように、金は永遠不滅なものと考えられ、貴重な神仙薬であった。そして、金が医学的に実際上の効果をもつとされた。たとえば、効き目のある軟膏(なんこう)の価値は、含まれる金箔(きんぱく)にあり、金が人の身体に生命力を伝えると考えられた。金の皿や椀(わん)を用いて飲食することは、長命をもたらすと信じられた。また金や宝石を死者の体につけることは、遺体の腐敗を防ぎ、死者の再生を助けると考えられた。

 金の医学的効用は、中国以外の社会の初期医学にもみられ、古代ギリシアにおいて黄疸(おうだん)に効くのは金貨を煎(せん)じた薬とされるように、俗信のなかにも生きている。金はまた、多くの社会において、呪術的力をもつとみなされ、護符や魔除(まよ)けのために用いられる。たとえば、ビルマでは、金銀をつけること自体に身を守る効果があり、肌の下に金を埋め込むことは不死身の身体をもたらすと信じられ、また効力を増すために護符を金箔で覆う。

 以上のように、さまざまな側面において高い価値の置かれる金は、それを手に入れようとする人々の情熱と欲望をかき立て、スペイン人のインカ帝国征服にみられるような、歴史上のできごとを引き起こし、幾多の伝説を生み出してきた。ギリシア神話などにみられるグリフィンは、鷲(わし)の頭と翼に獅子(しし)の身体をもつ怪獣で、黄金を守るといわれ、金を手に入れようとする者は、この怪獣と戦わねばならないと伝えられる。ある伝えでは、インドの北の荒野に住むというが、ヘロドトスの『歴史』によれば、ヨーロッパの北方、あるいは金の文化で有名なスキタイのはるかかなたに住む単眼の種族がこの怪獣から金を奪ってくるという。

 スマトラにおいても、金の採鉱は盗みと考えられており、金鉱石を取り出すときには沈黙が保たれねばならないとされる。またここでは、金銀の精霊は十分に敬意をもって接しなければならないと考えられ、ことに錫(すず)や象牙(ぞうげ)などを金の採掘場に持ってこないように注意される。それらのために、鉱山の霊が金を消滅させると信じられているからである。マレー人の間でも、金の精霊が神の保護の下にあり、金は地中にある限り魂をもつが、人によって取り出されると魂が逃げ去るといわれる。このように金が守護霊や魂をもつとの信仰が存在し、採鉱にあたっての祈りや祭儀、またさまざまなタブーがみられる。

[田村克己]

貨幣としての金

貨幣の素材として必要な条件としては、一般に、(1)それ自身が価値をもち、(2)その価値が安定しており、(3)品質が均一であり、(4)分割しても価値が損なわれず、(5)減耗のおそれがなく、(6)運搬や保管が容易である、ことなどがあげられる。これらの性質に優れているのが金、銀、銅であるが、とくに金であった。

 金が貨幣として使われるようになったのは、物品貨幣から金属貨幣になった時期であり、当初は秤量(ひょうりょう)貨幣として用いられていた。一定の形状、品位、量目を定め、刻印を打った最古の金貨は、紀元前7世紀にリディア王国でつくられた。古代ギリシア・ローマの時代、ビザンティン時代を通じて金貨は銀貨とともに使われていた。ヨーロッパでは銀貨が主として流通していたが、13世紀にはベネチア、フィレンツェなどの都市国家で金貨が鋳造されるようになった。とくに13世紀なかばにフィレンツェでつくられたフロリン金貨は有名である。

 しかし、金貨が本格的に貨幣としての地位を確立したのは、1816年にイギリスが金本位制度を採用して、1ポンド金貨を本位貨幣として発行し、世界各国がこれに倣って世界的に金本位制度が普及した19世紀以降のことであった。金本位制度下では、金貨が本位貨幣として使われるばかりでなく、紙幣もこの代用物であった。紙幣には「金貨と交換する」という表示があり、中央銀行は紙幣と金貨の交換に応じた。この紙幣を兌換紙幣(だかんしへい)とよんでいる。金本位制度は第一次世界大戦によって一時中断されたが、主要国は戦後ただちに復帰させた。しかし、1930年代の世界不況のなかで、イギリスが1931年に金本位を停止したのを初めとして、各国は金本位制度を離れ、管理通貨制度の時代となった。

 日本で最初につくられた金貨は760年(天平宝字4)の開基勝宝であるとされている。その後、律令(りつりょう)国家の衰えとともに、日本の鋳銭事業そのものが停止され、主として唐(とう)銭、宋(そう)銭、明(みん)銭などの中国銭が流入して通用していた。戦国時代になると諸国の金山が開発され、戦国諸侯により各種の金貨がつくられるようになったが、その使途は限定的であった。豊臣(とよとみ)秀吉が鋳造させた天正大判(てんしょうおおばん)は特大形の金貨として有名である。江戸時代には貨幣制度が統一され、金、銀、銅の三貨を本位貨幣として鋳造し、一両小判という金貨を貨幣制度の中心に置いた。

 明治になると、1871年(明治4)に新貨条例を制定し、通貨の呼称を円とするとともに、1ドルとほとんど同じ重量(1.5グラム)の1円金貨をつくり、円の価値を定めた。しかし、このときには同時に1円銀貨(貿易銀)もつくり、無制限の通貨として認めたため、金銀比価の拡大とともに金貨はまもなく流通市場から姿を消してしまった。その後、1897年に日清(にっしん)戦争の賠償金を基礎に金本位制度を採用し、1ドル=2円というレートを設定した。日本の金本位制度も第一次世界大戦で中断し、戦後は、戦後恐慌、関東大震災、金融恐慌と経済的打撃が引き続いたため円レートは下落した。ようやく1930年(昭和5)1月に金輸出を解禁して、1ドル=2円という旧平価で金本位制度に復帰したが、この直後に大不況にみまわれたので、1932年12月には金輸出を再禁止した。これ以後実質的には金と紙幣とのつながりはなくなっていたが、1942年に日本銀行法が制定されて、法的にも管理通貨制度が確立した。このときから、紙幣に兌換の表示が消え、現在に至っている。

[荒木信義]

国際通貨と金

金本位制度の時代には金が唯一の国際通貨であったが、管理通貨制度の時代に入っても、国際通貨としての金の役割は残されていた。まず第一に、第二次世界大戦後の国際通貨体制であるIMF(国際通貨基金)体制はドルを中心としたものであったが、そのドルは1オンス=35ドルというレートで金と交換されるという約束のもとに国際通貨となった。つまり、金はドルの裏づけという意味において国際通貨であった。第二に、金は外貨準備の重要な構成要素となった。第三に、IMF協定によって、加盟国は自国通貨の為替(かわせ)平価を金量(またはドル)で表示することが義務づけられていた。ということは、金が価値尺度として使われていたのであった。

 しかしながらこのような国際通貨としての金の役割も、1971年8月にアメリカがドルの金兌換を停止したので、しだいに後退した。IMF協定の改定案が1978年4月に発効し、1オンス=35ドルという金の公定レートは廃止された。現在では金価格は市場で決まることになっている。すなわち、価値基準としての金の役割はなくなったのである。他方、外貨準備としてはなお金は有力な準備資産となった。

 1990年以降、金価格の低迷を背景として、外貨準備としての金の役割は、世界全体としてみると低下傾向をたどった。とくに、ヨーロッパ各国の中央銀行による金売却が目だった。イギリス政府は、計画に基づいて金売却を実行した。また、「ユーロ」誕生に伴って発足したヨーロッパ中央銀行(ECB)は、外貨準備に占める金の割合を15%に設定したが、これは「ユーロ」参加国の平均金準備比率よりも、若干低い比率であった。

 21世紀になると、金は復権の方向に動きだした。この要因の第一は、ECBを含むヨーロッパ各国の中央銀行と中国をはじめとする新興国の金準備を重視する動きである。1999年9月のIMF総会において、ECB総裁が、「われわれは金準備を外貨準備のなかできわめて重要な資産として認識する」との声明を発表した。これによって各国中央銀行からの供給が減り、金の需給が改善されて、2003年に金価格は1オンス=300ドル台となり、2006年には600ドルを超えた。

 第二に、社会主義体制の崩壊後、中国、インドなど金選好の強い大人口国の経済成長が加速し、これに伴う金需要が金価格を押し上げたことである。2007年に金価格の年平均値は、696ドルとなった。

 第三に、2008年に発生したアメリカ発の一大金融危機がドルの衰退を招き、ドルから金へと切り換える動きを促進したことである。2008年に金価格は872ドルとなった。

 社会主義体制崩壊後における中国、ロシアなど新興国の経済発展とアメリカ発の金融危機が重なる相乗効果によって、ドルの後退と金の浮上が起きた。とくに、外貨準備としての金の増加が顕著となった。

 アメリカの貿易赤字は、ドル下落の要因となるが、貿易黒字増加で外貨準備を積み上げた中国や中東産油国がアメリカ国債を購入したため、ドルの価値は維持されていた。アメリカ国債の半分近くが外国の購入であった。ところが、金融危機で事態は一変する。金融危機対応のアメリカ国債の大増発によって、ドルに警戒信号が出されると、下落リスクを避けようと、黒字国は外貨準備に占めるドルの割合を低下させる政策をとりだした。注目されるのは、中国の外貨政策であり、中国はすでに世界最大の外貨準備をもっているので、これ以上アメリカ国債購入を増やすわけにはいかず、2009年4月外貨準備に占める金の割合を増やす方針を発表した。中国は1000トン強(約3215万オンス)の金準備を保有しているが、それでも外貨準備に占める金の割合は2%に満たず、欧米諸国の平均60%~70%に比べ異常に低く、中国が金準備を大幅に増やす可能性はきわめて高い。また、巨額のドルを外貨準備として保有しているアラブ首長国連邦は外貨準備の10%ずつをユーロと金にシフトさせる方針を発表した。さらに、ロシアもアメリカ国債の購入を控え、かわりに金を購入する意向を表明した。中国をはじめとする大人口新興国の発展につれて、国際通貨としての金の役割は着実に向上しよう。なお、日本の公的金保有高は2460万オンス(2009)で、欧米諸国と比べるとかなり低い水準にある。

[荒木信義]

金取引

1968年3月以降、金価格は公定レートと市場価格の二本建てとなり、1978年4月以降は市場価格一本となった。金価格は、ロンドン、チューリヒ、ニューヨーク、香港(ホンコン)といった国際市場の決める価格によって毎日変動する。金の市場価格は、1970年代は石油価格の暴騰を反映して急上昇し、1980年1月には一時的に1オンス=850ドルという値がつけられたが、その後は下落傾向をたどり、1985年の金価格は300ドル台となった。さらに2001年平均で1オンス=271ドルまで下がったが、2002年以降は再度上昇に転じている。

[荒木信義]

日本

日本の金取引は、第二次世界大戦前に禁止され、戦後も民間人の金輸入は禁止されていた。業務用に必要な金は政府が輸入し、業者に売っていた。しかし、1973年(昭和48)4月に金輸入が自由化された。日本の金価格は、ロンドン市場の金価格を基にして、1グラムにつき何円という価格を決める方式をとっており、大手地金(じがね)業者などが新聞に金価格を公示している。日本での金取引が活発になるに伴い、金市場設立の動きが出てきて、1982年2月に東京金取引所が開設された。また、同年4月からは銀行、証券会社による金取引が行われるようになった。東京金取引所は、1984年11月に東京繊維商品取引所、東京ゴム取引所と統合されて東京工業品取引所となり、2013年(平成25)に名称を変更し東京商品取引所となった。

 日本の金取引が一般に普及するきっかけとなったのは、多額の資金を用意しなくても買える地金型金貨の流行であった。地金型金貨は、重量単位で、その価値は、基本的に金貨に含まれる金量に金の時価をかけた額であるが、純金の価格に金貨をつくるプレミアムがかかり、わずかに純金価格を上回る。しかし、デザインが好まれて、アクセサリーとしての購入も多い。最初の地金型金貨は、南アフリカのクルーガーランド金貨であったが、カンガルー金貨(オーストラリア)、ウィーン金貨(オーストリア)、イーグル金貨(アメリカ)、パンダ金貨(中国)などそれぞれの国柄を表す金貨が発売されており、日本は有力市場となっている。

 金貨の第二のタイプが記念金貨である。これは、額面の価格と金貨が含有する金の価値とは一致せず、通常額面よりも相当低くなっている。オリンピック記念金貨がポピュラーとなっているが、特筆すべきは1986年の「天皇在位60周年記念」金貨である。額面は10万円であるが、金の含有量は約20グラムである。

 投資としての金取引も、しだいに多様化している。地金あるいは金貨の購入のほか、少額の資金を積み立てて金を購入する「純金積立」が、商社、地金商、証券会社、銀行で扱われている。また、金取引で利益を得る先物取引も、商品取引所で行うことができるが、これはハイリスク・ハイリターンのため、余裕資金の範囲内で、自己責任で投資することを忘れてはならない。

 2008年の世界的金融危機によって、日本においても資産としての金が見直され、金取引は活発となった。日本の金価格は、1973年4月1日に輸入自由化とともに民間の金取引が行われるようになった時点において、1グラムは1000円であり、その後の金価格は、一般物価よりも上昇テンポは鈍く、21世紀の初期における金価格は1500円前後で推移した。しかし、2008年の金価格は3000円台に上った。

 日本では、預貯金を中心に資産が運用されていたが、1990年代に超低金利時代となったことによって、外国債を中心とした投資信託が分散投資の一つとなっていた。ところが、金融危機によって、投資資産が大きな損失を被ったことで、安全資産への指向が強まり、その代表的資産として、金の人気が高まった。また、日本でも金融危機対応の巨額の資金供給が行われたので、国債の価値回復の可能性が低下しており、インフレーションのおそれもある。これも金が選好される要因となっている。

[荒木信義]

『M・エリアーデ著、大室幹雄訳『エリアーデ著作集5 鍛冶師と錬金術師』(1973・せりか書房)』『青柳守城編著『金の知識』(1982・東洋経済新報社)』『N・フリューラー他編、木村尚三郎監修、小林勇次他訳『原色図録金の世界』(1984・東洋経済新報社)』『荒木信義著『円・ドル・金』(1986・日本関税協会)』『呂戊辰著『貴金属の化学』(1987・日刊工業新聞社)』『山本博信編著『貴金属のはなし』(1992・技報堂出版)』『荒木信義著『金の文化誌』(1994・丸善)』『湯浅赳男著『文明の「血液」――貨幣から見た世界史』増補新版(1998・新評論)』『渡辺勝方・加藤洋治著『個人投資家のための貴金属取引入門』(2002・パンローリング)』『R・J・フォーブス著、平田寛・道家達將・大沼正則・栗原一郎・矢島文夫監訳『古代の技術史(上)金属』(2003・朝倉書店)』『豊島逸夫著『金を通して世界を読む』(2008・日本経済新聞出版社)』『ピーター・L・バーンスタイン著、鈴木主税訳『ゴールド――金と人間の文明史』(日経ビジネス人文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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