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金剛峯寺【こんごうぶじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

金剛峯寺
こんごうぶじ
和歌山県高野町にある高野山真言宗総本山。本来,金剛峯寺は高野山一山の総称であるが,明治以降は山内寺院としての本坊をさす。弘仁7 (816) 年空海真言密教の道場として創建。平安時代以後寺領が全国に広がったが,豊臣氏の上地令により,寺領は周辺の2万 2000石に縮小。それでも諸大名寄進により寺坊は 2000を数えたが,現在は約 50を残すだけである。建久9 (1198) 年行勝上人によって建立されたといわれる不動堂は,高野山の現存最古の建造物で,国宝に指定されている。霊宝館および大宝蔵に収蔵されている寺宝にも,応徳3 (1086) 年作の絹本着色『仏涅槃図』,平安時代末の絹本着色『善女竜王像』,8体のうち6体が運慶作といわれる木造『八大童子立像』,空海請来といわれる木造『諸尊仏龕』,藤原清衡発願の『紺紙金銀字一切経』,空海真筆の『聾瞽指帰 (ろうこしいき) 』など,数多くの国宝がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉プラス

金剛峯寺
△和歌山県伊都郡高野町▽にある高野山真言宗の総本山。816年、弘法大師(空海)の開山。高野山全域を境内地とする。山内には大本山宝寿院のほか117社もの子院があり、多くが宿坊を兼ねる。明治時代までは女人禁制。国宝の不動堂ほか、数多くの文化財保有。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録。

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世界大百科事典 第2版

こんごうぶじ【金剛峯寺】
和歌山県伊都郡高野町高野山にある。816年(弘仁7)空海が修善の地として嵯峨天皇勅許を得て開創した。金剛峯寺の名は《金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経》による。金剛峯寺とは壇上伽藍を中心とする一山の総称で,塔頭(たつちゆう)子院はすべて金剛峯寺に属した。 金剛峯寺は空海によって開かれたが,その経営は代々紀伊国司が俗別当としてこれにあたった。889年(寛平1)伽藍がほぼ完成した時期に,空海の弟子真然は弟子の寿長を初代座主に任し,以後真然直系で高野山に常住する僧をこれにあてることにした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

金剛峯寺
こんごうぶじ
和歌山県伊都(いと)郡高野(こうや)町高野山にある高野山真言(しんごん)宗の総本山。816年(弘仁7)空海の開創。寺名は『金剛峯楼閣瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくゆがゆぎきょう)』によって空海が名づけたもので、高野山の一山の総称でもあった。古くは青巌寺(せいがんじ)ともいった。1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉の援助を受けて木食応其(もくじきおうご)が青巌寺を再興し、その左隣に興山寺(こうさんじ)を建立した。1869年(明治2)この両寺を併合して金剛峯寺と改称。主殿は1863年(文久3)の再建で、東西30間、南北35間ある。大広間・梅の間の襖絵(ふすまえ)は狩野探幽(かのうたんゆう)の筆、柳の間は豊臣秀次(ひでつぐ)の自刃の間を再現したもので、狩野探斎(たんさい)筆の柳の襖絵がある。主殿に付属する建物に、奥殿、新別殿、別殿、経蔵(きょうぞう)、鐘楼、勅使(ちょくし)門、上門、下門、真然(しんぜん)堂、護摩堂、阿字観(あじかん)道場、高野山真言宗宗務所などがある。奥殿、別殿は1934年(昭和9)、新別殿は1983年(昭和58)の建立。六時の鐘の梵鐘(ぼんしょう)は1618年(元和4)に福島正則(まさのり)が寄進したもの。鐘楼は1835年(天保6)の建立。大師教会本部の建物は1925年(大正14)の建立で、1983年に増築された。金剛峯寺所蔵の国宝・国重要文化財などは高野山霊宝館に収める。[宮坂宥勝]
『『古寺巡礼 西国1 高野山金剛峯寺』(1981・淡交社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

こんごうぶ‐じ コンガウ‥【金剛峯寺】
和歌山県伊都郡高野町にある高野山真言宗の総本山。山号は高野山。弘仁七年(八一六)空海が嵯峨天皇からこの地を賜わり、草庵を結んだことに始まる。承和二年(八三五)空海が入定(にゅうじょう)。一〇世紀以降、真言宗の最大道場として多くの信仰を集めた。長承元年(一一三二)勅願所となる。国宝に不動堂・金剛三昧院多宝塔や、沢千鳥螺鈿(らでん)蒔絵小唐櫃・仏涅槃図・八大童子立像・法華経(色紙)などがある。古来、女人禁制で知られた。高野山。南山。

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旺文社日本史事典 三訂版

金剛峯寺
こんごうぶじ
和歌山県伊都郡高野町にある真言宗の総本山
816年空海により創建され,根本道場として信仰を集め,院政時代には,法皇の崇敬厚く,以来貴賤道俗を問わず参詣,納骨する者が多かった。その後,織田信長に敵対したため迫害をうけたが,豊臣秀吉の保護により復興,江戸時代には徳川家が帰依した。『赤不動』『聖衆来迎図』など密教美術の貴重品を多数所蔵している。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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