●金春流【こんぱるりゅう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
金春流
こんぱるりゅう
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デジタル大辞泉
こんぱる‐りゅう〔‐リウ〕【金春流/今春流】
2 能の太鼓方の流派の一。禅竹の叔父、金春三郎豊氏を流祖とする。5世以後、金春惣右衛門流または惣右衛門流ともいう。
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世界大百科事典 第2版
こんぱるりゅう【金春流】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
金春流
こんぱるりゅう
(1)能の一流派。シテ方五流のうち、もっとも古いとされる。鎌倉時代から興福寺に属した円満井座(えんまいざ)(竹田座)の後の名。伝承では聖徳太子時代の秦河勝(はたのかわかつ)を初世と数えているが、南北朝の毘沙王権守(びしゃおうごんのかみ)を流祖と考えるのが普通である。代々童名を金春と名のったのが流名になったという。毘沙王の子光太郎(みつたろう)が鬼の能を得意としたことが世阿弥(ぜあみ)の遺著にみえる。毘沙王の曽孫(そうそん)で、独自の芸術論と作品で知られる金春禅竹(ぜんちく)、その孫禅鳳(ぜんぽう)が名高い。安土(あづち)桃山時代には宗瑞(そうずい)、岌蓮(ぎゅうれん)、禅曲や、素人(しろうと)であるが『童舞(どうぶ)抄』ほかの伝書を残した下間小進(しもつましょうしん)らの名手が現れ、豊臣(とよとみ)秀吉が金春流を学んで全盛を誇った。しかし徳川幕府に属した江戸時代以降は振るわず、守勢にたったまま今日に至っている。奈良の金春家は、金春札(さつ)とよぶ銀札を発行するほどの力をもっていたが、明治維新のおりの金融パニックで没落した。明治になって桜間左陣(さくらまさじん)(伴馬(ばんま))が熊本から上京してたちまち明治三名人に名を連ね、その子桜間弓川(きゅうせん)(金太郎)も名手の誉れが高かった。現在は、桜間道雄(弓川の従弟(いとこ))、本田秀男、高瀬寿美之、野村保、梅村平史朗、桜間竜馬(金太郎)ら桜間一門は多くを失った。79世宗家金春信高(のぶたか)(1920―2010)は特異の芸風をうたわれた金春光太郎(八条)の子で、奈良から東京に居を移した。安明(やすあき)(1952― )は信高の長男。2006年(平成18)80世宗家となる。奈良には八条の弟の金春栄治郎の孫穂高(ほだか)、信高の弟の欣三(きんぞう)がある。流風は古風を残し、素朴、雄大である。機関誌『金春月報』をもつ。なお金春流には別家として金春八左衛門家、竹田権兵衛家、大蔵庄左衛門(しょうざえもん)家があったが、断絶した。
(2)能楽太鼓の流派。金春惣右衛門(そうえもん)流ともいう。金春禅竹の叔父にあたる竹田三郎を流祖とする。明治ごろ断絶したが、増見仙太郎の子林太郎が宗家を再興した。その子、惣右衛門(1924―2014)は22世。前名惣一。1992年(平成4)重要無形文化財保持者の認定を受けている。
[増田正造]
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