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金栗四三【かなぐりしぞう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

金栗四三
かなぐりしぞう
[生]1891.8.20. 熊本
[没]1983.11.13. 熊本
陸上競技選手。1914年東京高等師範学校本科卒業。全国マラソン連盟会長,日本陸上競技連盟顧問。在学中の 1912年ストックホルム・オリンピック競技大会に初の日本選手として三島弥彦とともに出場,1920年アントワープ大会,1924年パリ大会にも参加した。1913年の第1回大会から日本選手権マラソンに 3連覇。1947年マラソンの指導と普及に対する功績を記念して,金栗賞朝日マラソン(→福岡国際マラソン)が設けられた。1955年紫綬褒章,1958年朝日文化賞を受けた。(→アントワープ・オリンピック競技大会パリ・オリンピック競技大会

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

金栗四三 かなぐり-しぞう
1891-1983 明治-昭和時代の陸上競技選手。
明治24年8月20日生まれ。45年ストックホルム五輪に三島弥彦とともに日本最初の代表選手として参加,マラソンに出場。アントワープ五輪,パリ五輪にも参加。マラソンの強化をめざして全国各地で指導にあたった。日本陸上競技連盟会長。昭和58年11月13日死去。92歳。熊本県出身。東京高師卒。
【格言など】体力,気力,努力(信条)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

かなぐりしぞう【金栗四三】
1891‐1983(明治24‐昭和58)
マラソン選手,指導者。本名池部四三。熊本県出身。玉名中学から東京高等師範学校に進み,嘉納治五郎校長に長距離選手としての能力を見いだされる。1912年ストックホルムで開催の第5回オリンピック大会に短距離の三島弥彦(東大)とともに,日本最初のオリンピック選手として参加,マラソンに出場したが,疲労して18kmで倒れ棄権した。これを契機にマラソンに一生を捧げることを決意,下関~東京,東京~青森間などを走破してマラソンの普及に努め,その間,20年(アントワープ)と24年(パリ)のオリンピックに連続出場したが,入賞の悲願は達せられなかった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

金栗四三
かなぐりしぞう
(1891―1983)
陸上競技マラソン選手。熊本県玉名郡出身。東京高等師範学校卒業。日本選手がオリンピック大会に初参加した1912年(明治45)第5回ストックホルム大会の参加者2人のうちの1人。このときのマラソンは15キロメートルで棄権したが、20年(大正9)のアントワープ大会(16位)、24年のパリ大会(途中棄権)と計3回出場。日本のマラソン史には欠くことのできない人である。この間、下関―東京、樺太(からふと)―東京間などを走破した。熊本県教育委員会委員長、日本陸上競技連盟会長などを歴任。教育、スポーツ界に尽くした功績で、56年(昭和31)には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を授与されている。[石井恒男]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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