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金津【かなづ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

金津
かなづ
福井県北部,福井平野北端にある地区。旧町名。 1889年近隣の3村が金津町として町制施行。 1954年細呂木吉崎,坪江,伊井の4村と合体。 1955年剣岳 (けんがたけ) 村を編入,旧町域となる。旧町名は中世以来の地名による。 2004年3月芦原町と合併してあわら市となった。中心部は竹田川に臨み,荘園開拓の時代から交通の要地で,近世北陸街道宿場町として発展。現在は機業,パルプ,機械などの工場が多い。北端にある北潟湖湖口の吉崎には,東西両本願寺別院史跡である吉崎御坊跡がある。中心部を南北に JR北陸本線,国道8号線,北陸自動車道が通る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

金津
かなづ
福井県の最北端、坂井郡にあった旧町名(金津町(ちょう))。現在は、あわら市の東部を占める一地区。旧金津町は1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)吉崎(よしざき)、細呂木(ほそろぎ)、坪江(つぼえ)、伊井の4か村と合併。1955年剣岳(けんがく)村を編入。2004年(平成16)芦原(あわら)町と合併、市制施行によりあわら市となる。旧町域は、福井平野の北東端、加越(かえつ)台地にまたがり、竹田川が街の中心を東から西に貫流する。JR北陸本線、国道8号、北陸自動車道が通る。北方の北潟湖(きたがたこ)畔には縄文遺跡があり、南東方の竹田川の自然堤防には弥生(やよい)遺跡がみられ、国道8号の東側には大古墳群(横山古墳群)があるなど古い歴史をもっている。奈良時代以降、荘園(しょうえん)の占定が盛んになると、その中心として発達した。鎌倉後期以後は興福寺領坪江庄(しょう)(北金津)、興福寺領河口庄(南金津)に属し、竹田川を下れば三国湊(みくにみなと)に通ずる舟運の便があったことから、荘園物資の集散地として八日市などの市場がにぎわった。江戸時代には北陸街道の重要宿駅で、ここには福井藩の金津奉行所(ぶぎょうしょ)が設置された。明治以降、北陸街道は東方に移動し、かわって1897年国鉄三国線の金津駅(現、JR芦原(あわら)温泉駅)が設置され、1911年には金津―三国間が開通。1929年(昭和4)には永平寺鉄道の金津―永平寺門前(のち永平寺)間が開通した(永平寺鉄道は1944年京福電気鉄道に併合、永平寺線となる)。しかし、第二次世界大戦後の1969年には京福電鉄永平寺線の金津―東古市間、1972年には三国線がそれぞれ赤字路線として廃線となり、金津駅は芦原温泉駅と改称した。福井地震(1948)では壊滅的打撃を受けた。その後、復興が進み、鉄道など重要幹線を支柱に、機業、化学、機械製作など多彩な工業をもつ都市として、また国指定史跡吉崎御坊跡(よしざきごぼうあと)や刈安(かりやす)山森林自然公園、ゴルフ場などをもつ北越観光地帯の一翼を担っており、芦原温泉駅はその表玄関としての役割を果たしている。[印牧邦雄]
『『金津町史』(1958・金津町)』

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精選版 日本国語大辞典

かなづ【金津】
[一] 福井県あわら市の地名。古くから三国湊(みくにみなと)に舟運を通じた要地で北陸道の宿駅としても栄えた。
[二] 新潟市南部、旧新津市全域にわたった庄名。現在、町名に残る。
[三] 狂言「金津地蔵(かなづじぞう)」の別名大蔵流で用いる。

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