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金田正一【かねだまさいち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

金田正一
かねだまさいち
[生]1933.8.1. 愛知
[没]2019.10.6. 東京
プロ野球選手。投手として通算 400勝などの記録樹立した。在日韓国人の両親のもとに生まれ,のちに帰化。1950年享栄商業高等学校を中退し,国鉄スワローズに入団。1年目で 30試合に登板し,8勝(12敗)をあげる。2年目以降は 14年連続で 20勝以上,1958,1963年には それぞれ 30勝,31勝を記録した。身長 184cm,長い左腕から繰り出す剛速球と落差の大きなカーブを武器に,国鉄のエースとして 1964年までの 15年間で 353勝(267敗)をあげた。また読売ジャイアンツ(巨人)の主砲長嶋茂雄王貞治との闘争心むき出しの対決はファンを沸かせた。1965~69年巨人の川上哲治監督のもとでセントラルリーグ優勝,日本シリーズ制覇に貢献。1969年現役引退。通算成績は 400勝(298敗),投球イニング数 5526回と 3分の2,完投数 365,奪三振数 4490,与四球数 1808といずれもプロ野球最多(2019現在)。タイトルも最多勝利,最優秀防御率をそれぞれ 3度,最多奪三振を 10度,沢村賞も 3度受賞。指導者としては 1973~78年,1990~91年にロッテ・オリオンズの監督を務め,1974年には日本一となった。「カネやん」の愛称で親しまれ,派手なジェスチャーと歯に衣(きぬ)着せぬもの言いでプロ野球のコメンテーター,タレントとしても活躍した。1988年野球殿堂入り。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

かねだ‐まさいち【金田正一】
[1933~2019]プロ野球選手・監督。愛知の生まれ。昭和25年(1950)国鉄(ヤクルト前身)に入団、剛速球投手として活躍し人気を集める。ノーヒット・ノーラン、完全試合を記録。のち巨人に移籍し、通算400勝のプロ野球記録を達成。引退後、ロッテ監督を務め、昭和49年(1974)にはチームを日本一に導いた。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

金田正一 かねだ-まさいち
1933- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手,監督。
昭和8年8月1日生まれ。昭和25年国鉄に入団。長身の左腕からの快速球とするどいカーブで2年目から14年連続20勝。37年W.ジョンソンをやぶる3509奪三振の世界記録を樹立。40-44年巨人。通算944試合登板,400勝298敗(防御率2.34),4490奪三振などの記録をもつ。48-53年(49年日本一),平成2-3年ロッテ監督をつとめた。昭和63年野球殿堂入り。愛知県出身。享栄商中退。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

知恵蔵mini

金田正一
元プロ野球選手(投手)。1933年8月1日、愛知県生まれ。身長184センチメートル、左投げ左打ち。50年に享栄商業高等学校(現、享栄高等学校)を中退、17歳で国鉄スワローズ(現、東京ヤクルトスワローズ)に入団した。高身長から繰り出す速球と「ドロップ」と呼ばれた大きなカーブで、入団2年目にはノーヒット・ノーランを達成。この年から14年連続で20勝以上を記録し、年間最多勝を3回獲得した。65年に読売ジャイアンツへ移籍、69年に引退した。現役20年間で944試合に登板、400勝298敗、防御率2.34。400勝に到達した投手は日本野球史上で金田のみ。ほかにも、通算完投数365回、奪三振4490など数々の日本記録をもつ。73年から78年と、90年から91年の2回、計8年間ロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の監督を務め、74年にはチームを日本一に導いた。88年に野球殿堂入り。派手なパフォーマンスでも知られ、「カネやん」の愛称で親しまれた。引退後は野球解説者やタレントとしても活躍した。2019年10月6日死去。享年86。(歴代記録は19年現在)

(2019-10-10)

出典:朝日新聞出版
(C)Asahi Shimbun Publications Inc
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日本大百科全書(ニッポニカ)

金田正一
かねだまさいち
(1933―2019)

プロ野球選手(投手:左投左打)、監督。8月1日、愛知県生まれ。1950年(昭和25)名古屋の享栄商業高(現、享栄高)を中退し、ただちに国鉄スワローズ(現、東京ヤクルトスワローズ)に入団、その年に早くも8勝をあげた。1964年読売ジャイアンツ(巨人)に移籍、1969年を最後に現役引退。この間に優れた左腕投手として、通算最多勝利400勝、通算最多奪三振4490、通算完投数365のプロ野球歴代1位の記録(2019年時点)を樹立した。また巨人移籍以前は下位球団にありながら、入団翌年の1951年より1964年まで14年連続20勝のプロ野球記録を達成した。1957年8月21日対中日ドラゴンズ戦で完全試合を達成し、ノーヒットノーランも1回記録した。さらに、登板数944、防御率1位3回、投球回数5526と3分の2など、数々のプロ野球記録を残した。その背番号34は巨人の永久欠番。監督としては、1974年から1978年までロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)監督を務め、1974年に日本シリーズで優勝した。その後、1990年(平成2)から2年間、再度ロッテオリオンズ監督を務めた。

[神田順治・森岡 浩 2020年6月23日]

 選手としての20年間の通算成績は、登板試合944、投球回5526と3分の2、400勝298敗、防御率2.34、奪三振4490、完投365、完封82。獲得したおもなタイトルは、最多勝利3回、最優秀防御率3回、最多奪三振10回、ベストナイン3回、沢村賞3回。監督としての通算成績(8年)は、1011試合、471勝468敗72分け、勝率5割2厘、リーグ優勝1回、日本シリーズ優勝1回。1988年に野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。

[森岡 浩・編集部 2020年6月23日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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