@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

金達寿【キムダルス】

デジタル大辞泉

キム‐ダルス【金達寿】
[1919~1997]作家。朝鮮慶尚南道の生まれ。昭和5年(1930)日本に移住。小説「玄海灘」で認められたほか、朝鮮渡来文化の発掘・紹介にも尽力著作に「朴達の裁判」「太白山脈」「日本の中の朝鮮文化」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

金達寿 きん-たつじゅ

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

金達寿 キム-ダルス
1919-1997 昭和後期-平成時代の小説家。
1919年11月27日朝鮮慶尚南道生まれ。昭和5年(1930)日本に移住。戦後「民主朝鮮」を創刊し,「後裔(こうえい)の街」を連載。29年の「玄海灘」でみとめられ,戦後の在日朝鮮人文学を代表する作家となる。45年ごろから朝鮮渡来文化の調査,紹介にもとりくみ,シリーズ「日本の中の朝鮮文化」を刊行,朝鮮と日本の民族的関係を追究した。平成9年5月24日死去。77歳。日大卒。小説はほかに「朴達(パクタリ)の裁判」「太白山脈」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

きむだるす【金達寿】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

きんたつじゅ【金達寿】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

キムダルス【金達寿】
1919~1997) 在日朝鮮人の作家。朝鮮慶尚南道生まれ。1930年来日。日大卒。日本の植民地統治下の朝鮮民族の苦悩と抵抗を描いた「玄海灘」で注目され、一貫して朝鮮人差別や分断国家の悲劇を直視した。また、「日本の中の朝鮮文化」などをのこす。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

金達寿
きむたるす
(1919―1997)
小説家。朝鮮慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)生まれ。日本大学芸術学部卒業。第二次世界大戦後の在日朝鮮人文学はまず金達寿らの手によって始められた。
 金達寿は、朝鮮史上最大の民族独立運動である三・一独立運動が起きた1919年の11月27日に旧朝鮮の慶尚南道昌原郡で生まれた。釜山(ふざん/プサン)からそう遠くない場所である。両班(ヤンバン。高麗(こうらい)・李朝(りちょう)時代における文・武の官僚の総称)の家で育った父が遊び人だったため生家が没落し、一家は日本へ渡った。屑(くず)拾いをしながら苦学し、文学に目覚め、1939年(昭和14)に日本大学の専門部芸術科に入学した。この学生時代に日本語に翻訳されていた李孝石(りこうせき/イヒョソク)(1907―42)の『蕎麦(そば)の花の頃』や李光洙(りこうしゅ/イグァンス)の『無明』などの小説を読み、「ああ、朝鮮だ、朝鮮がここにある」と故国に開眼した。また10年ぶりに故国に行き、ソウルに滞在したことで、故国、ソウルを舞台にする作品が書けるようになった。これらの積み重ねが、自分は朝鮮人だから朝鮮人のことを書くという作家としての決意になり、在日として自立するには朝鮮民族の置かれた社会的、歴史的立場と連動しながら生きてゆくほかはないとの覚醒(かくせい)をもたらした。こうした自覚のもとに『後裔(こうえい)の街』(1948)が書かれた。長編の代表作『玄海灘(げんかいなだ)』(1954)では作者の分身である西敬泰と地下抵抗運動をすすめる白省吾、林宇載、朴定出との関係を縦糸に、西敬泰と大井公子の恋愛を横糸に物語が展開する。西敬泰と大井公子の間には、愛とか結婚とかの個人のレベルでは解決できない民族の差別が介在した。この差別の壁を前にして、愛とか結婚とかが民族同士の意識の変革の試練にあった。在日の人間と地下活動をする本国の革命家との間にも意識の壁があった。この二つの壁を乗り越えるところに在日文学の課題があると金達寿は自覚した。『玄海灘』の続編『太白(たいはく)山脈』(1969。未完)では解放後のソウルが舞台になる。この二つの長編は朝鮮の民主化への渇望と、革命への見果てぬ夢を書いたものであった。この夢は韓国の民主化の実現で達成された。革命への幻想は、世界の変化とともに醒(さ)めた。
 金達寿の本領が発揮されるのは、「うむ、どうだ。ドクニプ デグンナ(独立できるか)」と問いながら黙々と働く朝鮮の庶民の姿を書いた短編『矢の津峠』(1950)においてである。『朴達(バクタリ)の裁判』(1959)の朴達は、何度拘束されても平気で留置場入りする。朴達にとって留置場は「知識の宝庫」なのだ。警察のなかは政治犯、思想犯がいっぱいで、朴達は彼らから国家、民族、社会主義、資本主義、戦争、世界の歴史、朝鮮の歴史とは何かについて教えてもらった。肥桶(こえおけ)を背負うこと、牛や鋤(すき)、鍬(くわ)を相手に田畑を耕す作業しかしたことがない朴達にとって、留置場は楽しい「私の大学」であった。この楽しさを味わうためには、拷問や折檻(せっかん)さえ何のことはなかった。5歳から引き取られた家で火責め、水責めにあっていた朴達にとって警察の折檻などもののかずではない。こういう強靭な生命力をもった朝鮮人像を描いたところに金達寿文学の最大の功績がある。また、金達寿が『日本の中の朝鮮文化』(1970~91、全12巻)の畢生(ひっせい)の大業を完成したことを忘れてはならない。[川西政明]
『『朴達の裁判』(1959・筑摩書房) ▽『後裔の街』(1966・東風社) ▽『矢の津峠』(1967・むぎ書房) ▽『太白山脈』(1969・筑摩書房) ▽『小説在日朝鮮人史』上下(1975・創樹社) ▽『金達寿評論集(上) わが文学』『金達寿評論集(下) わが民族』(1976・筑摩書房) ▽『落照』(1979・筑摩書房) ▽『金達寿小説全集』全7巻(1980・筑摩書房) ▽『朝鮮――民族・歴史・文化』(岩波新書) ▽『日本の中の朝鮮文化』全12巻(講談社文庫) ▽辛基秀編著『金達寿ルネサンス――文学・歴史・民族』(2002・解放出版社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

金達寿」の用語解説はコトバンクが提供しています。

金達寿の関連情報

関連キーワード

フォード(John Ford(1895―1973))[各個指定]工芸技術部門[各個指定]芸能部門グリフィス香港映画黒沢清石英岩ビダー牧野省三新聞小説

他サービスで検索

「金達寿」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation