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銀行【ぎんこう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

銀行
ぎんこう
bank
預金の受入れや債券発行などにより調達した資金を源泉として投融資を行い,預金振替手形交換,為替などの支払決済機構を担当する金融仲介機関。銀行はまた当座預金勘定を開設することを通じて預金通貨の創造 (信用創造機能) を行う。信用創造が可能なのは,これらが自主的に制裁規定を設け,相互に受取るべき手形・小切手類を交換して当座預金勘定の相殺により決済する手形交換所の機構を維持し,手元におくべき現金を節約できるからである。今日の銀行制度は,銀行券を発行し,政府および諸銀行の銀行である中央銀行 (日本では日本銀行) と,預金通貨を創造しうる商業銀行との組合せを中心に機能している。

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デジタル大辞泉

ぎん‐こう〔‐カウ〕【銀行】
預金や定期積金の受け入れ、資金の貸付け、手形割引為替取引などを行う金融機関中央銀行普通銀行政府金融機関などがある。
需要の多いものや緊急時に必要とされるものなどを確保・保管しておいて、それを供給する団体や組織。「血液銀行」「人材銀行

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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世界大百科事典 第2版

ぎんこう【銀行 bank】
銀行といっても,いろいろな種類の銀行があり,さまざまな金融業務をいくつも同時に兼ねて営業を行っている。すなわち,資金の受入れや取立て,送金,支払,貸付け,投資,ディーリング(既発行債券の売買),為替取引,貸金庫信託などのサービス提供などの業務(のすべてあるいは一部)を営む企業組織が銀行である。しかし,銀行を銀行として特別な存在とさせているのは,銀行が人々一般から預金を受け入れ,その預金(の少なくとも一部)が支払決済の手段として機能するという点にある。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

銀行
ぎんこう
bank 英語
Bank ドイツ語
banque フランス語

資金の貸し手と借り手を介在する間接金融の担い手となる金融仲介機関。普通銀行(都市銀行、信託銀行、地方銀行、第二地方銀行)だけではなく、信用金庫や信用組合も実質的には銀行と同様の機能を担っている。都市銀行や信託銀行に比べると、その他の銀行は地元密着の傾向が強い。

 銀行の資金調達構造をみると、個人や企業などから受け入れた預金が銀行にとっての主たる資金調達源であり、資金調達総額(負債総額)の7割程度となる。調達した資金の運用手段はさまざまあるが、もっとも基本的な手段は(1)貸出(融資)であり、資金運用総額(資産総額)の半分を占める。このほか、(2)現金預け金(現金や銀行の保有する日銀当座預金など)、(3)有価証券(保有する株式や債券などの有価証券)がおもな運用手段であり、(1)~(3)で資産全体の9割以上を占める。

 銀行が行う経済活動はさまざまであるが、基本は預貸(預金を集めて貸し出すこと)である。個人や企業等が行う預金を銀行が受け入れ、銀行はそれを元手に多様な公私の借り手(企業や個人といった民間部門と、政府や自治体といった公的部門など)に貸し出す。貸出には、満期(返済の時期)、元本(借入額)、そして貸出金利が設定される。同様に、銀行の受け入れる預金にも、満期、元本、そして預金金利が設定される。預貸から銀行の得る利益は利鞘(りざや)とよばれ、大ざっぱにいえば、貸出金利と預金金利の差と元本額の積で決まってくる。ただし、一部が返済されずに不良債権化した場合には、銀行の収益がおのずと減少する。

 このほか、資金の流通を管理・媒介・促進する取引(例:送金、両替、代金取立てなど)、他金融機関の金融商品の販売(例:生命保険や投資信託)など、現代の銀行は多様な金融サービスを提供している。

[平田英明 2020年10月16日]

銀行の機能

銀行は、発券機能をもつ銀行(中央銀行。日本の場合は日本銀行)と預金を取り扱う銀行(普通銀行)に区別されるが、いずれも個人や企業の金融経済活動を円滑に行うためには必要不可欠な存在である。まず、発券機能を独占的に有する日本銀行(日銀)はマネー(貨幣)を発行することで、個人や企業がお金を通じた経済活動、すなわち資金のやりとりをすることを可能にする。ただし、日銀が発行するマネーは現金であり、経済学的な視点からは、マネーには現金のほかに預金が含まれる。預金を含む理由はさまざま指摘できるが、たとえば、振込を通じて支払いを容易に行える。つまり、現金と同じように預金は手軽な支払い(決済)手段として利用されるからである。

 さて、普通銀行のもっともだいじな機能は、預金を受け入れ、それを貸出に回すという預貸である。この預貸に関連して、銀行はさまざまな機能を発揮している。第一に、リスク変換機能があげられる。たとえば、一個人が10万円をもっているとして、ある銀行にその資金を預金するのと、ある企業に貸し出すのを比べると、貸出のほうが一般的にはリスクが高い。預金のリスクとは、預金者が銀行に預けた資金(預金)を引き出そうとしても、何らかの理由で一部の資金が戻ってこない確率であり、貸出のリスクとは何らかの理由で不良債権化する(返済してもらえない)確率だと考えればよい。銀行は預金と貸出の間をとりもつことで、両リスクの変換を行っている。このリスクの変換を可能にしているのは、銀行の仕組みゆえといえる。預金は小口かつ数的には大量となる。その預金を元手にたくさんの貸出先に貸出を行う。たくさんの貸出先というのは、数的な意味だけではなく、業種・地域・規模の異なる多様な貸出先のことを意味する。また、貸出は企業向けだけではなく、個人向けの貸出(例:住宅ローンや自動車ローン)もある。多様な貸出先に分散して貸出を実施することで、貸出全体でのリスクを押し下げることができる。逆に、限定的な貸出先に貸出を集中していると、リスクの分散ができない。

 預貸を通じて、銀行は期間変換も行っている。貸出は数年単位での長期取引が多い一方、預金は短期取引が多い。国内銀行の場合、2019年(平成31)3月末時点で約4分の3の貸出が1年を超える期間である一方、9割を超える預金が1年以下の期間となっている(日銀「貸出金・債券・預金の期間別残高」による)。しかし、預金は小口で大量に集まっているため、ある程度の預金が随時引き出されるとしても、預金量の先行きの見通しは過去のデータ等からある程度わかるので、この期間にギャップがあっても、銀行はそれを管理していくことができる。

 預貸とは、銀行が資金を右(預金)から左(貸出)に動かしているだけにすぎないようにみえるが、動かして問題ないか、動かした後も問題ないかをチェックすることが銀行のだいじな機能である。つまり、貸出実施前後に銀行は貸出先に関連する情報を収集・分析している。これは、情報生産ともよばれ、具体的には貸出先企業の返済能力(信用力)や返済姿勢といった情報を分析して情報生産が行われる。ただし、これらの情報を完全に把握することは容易ではない。借り手の企業からすると、自ら、借入に不利になる情報を銀行側には伝えたくない。いわゆる、情報の非対称性とよばれるこの問題に取り組みつつ、情報生産を行うことになる。情報生産は貸出先の債務不履行(利子や元本の返済が予定どおりに実施されないこと)の把握が目的であり、実施前の情報生産をスクリーニング(審査)とよび、貸出の実行をするかしないかを決める。そして、実施後の情報生産をモニタリング(監視)とよび、貸し出した資金が適切に利用されているか、経営努力を継続しているかといった点を銀行は継続的にチェックしていく。

 なお、全国銀行協会の「全国銀行決算発表」を用いて国内預貸率(預金と国内向けの貸出の比率)を計算してみると、2000年以降、大手行では大きく減少しており、たとえば2000年を100%とすると、2018年には約55%となっている。逆に地域銀行では70~80%の範囲で安定的に推移している。大手行の預貸率の歴史的な低下については、さまざまな議論があるが、企業が内部留保を増やしていることから資金需要が低下していること、市場での運用の割合を増やしていること、取引先の海外展開などに資金を回していることなどが指摘されることが多い。

[平田英明 2020年10月16日]

銀行経営の基本原理

銀行経営にかかわる基本原理として、収益性、安全性、公共性の3原理がある。収益性の原理と安全性の原理は、収益を求めつつ危険負担や損失をできる限り回避しようとするという、銀行に限らずあらゆる営利的企業に通じる一般的原理である。これに対して公共性の原理は、お金を預かり、企業や個人に資金を供給するという、銀行の公共的役割からくる責任のことである。「先だつものは金」ということばのとおり、企業活動も家計も、お金の融通の優先度は非常に高い。円滑な金融はさまざまな経済主体の経済活動の円滑化につながり、逆にその目詰まりは各種の経済活動に負の影響を与えてしまう。金融庁の金融行政や日銀のプルーデンス政策の目的は、安心して資金のやりとりができる金融環境を提供することであり、民間の各銀行はこれらの当局と協力して金融システム(金融機関の市場を通じた相互関係)を構築している一員としての役割を担っている。また、有事における預金者保護のためのペイオフの仕組み(預金保険制度に加盟している銀行の場合、1000万円までの普通預金等が保護される仕組み)が構築されているのも、銀行の役割の公共性を踏まえた仕組みと考えられる。

 また、安全性という観点から銀行の経営を考えてみると、現代的な観点では、やはり金融行政やプルーデンス政策との関係で理解をする必要がある。金融システムの安全性(または健全性)は、個別の金融機関の経営の健全性が実現すれば担保されそうである。実際、政策当局は金融機関の健全性を確保するための不断のチェックを行っており、金融庁は検査、日銀は考査を実施している。しかし、このようなミクロ・プルーデンスだけでは不十分だというのが現代的な考え方であり、マクロ的視点からのプルーデンスの必要性も、とくに2008年の国際金融危機以降は国際的にも意識されている。このマクロ・プルーデンスでは、実体経済と金融市場および金融機関行動の相互関係に注目し、金融システム全般にかかわってくるリスクを把握して政策的な対応をしていく必要があると考える。以上のマクロ・ミクロのプルーデンス政策は、当局と個々の金融機関の連携のもとで初めて機能していく。そのなかでも、個別の金融機関がとくに意識するのがバーゼル合意(バーゼル規制ともいう)とよばれる自己資本比率に関するルールである。これは、バーゼル銀行監督委員会(通称、バーゼル委員会)の定める国際的に活動する銀行の自己資本比率等に関する国際統一基準であり、2020年時点では第3世代のバーゼルⅢが運用されている。銀行が直面するさまざまなリスクに対する備えとして各銀行が保有する自己資本の量を健全性の目安とする仕組みである。ただし、銀行の保有する資産の中身(リスクの度合い)しだいで必要な資本量も異なる。旧世代のバーゼル合意では比較的単純な計算方法が採用されていたが、現行のバーゼル合意ではよりきめ細かく複雑な算出方法が採用されている。また、自己資本比率に関するルールだけでは金融システムの健全性の担保には不十分なことから、流動性比率(流出資金額に対する現金化可能な資産の割合)に関する規制や景気変動を考慮した規制を定め、旧合意よりもより網羅的なルールを定めた仕組みとなっている。

[平田英明 2020年10月16日]

銀行の業務

日本の銀行法(昭和56年法律第59号)では、銀行業の本来の業務として、預金、貸出、為替(かわせ)の3業務をあげ(2条・10条1項)、それに付随する業務として、債務の保証、手形引受け、有価証券投資などを掲げている(10条2項)。さらに、これら固有業務および付随業務の遂行を妨げない限度内で、国債などの引受けや売買を行うことができ(11条)、また担保付社債信託法など法律に基づいて別途免許を受けた業務を営むことができるとされている(12条)。

 銀行法は、直接には普通銀行のみに適用されるものであるが、信用金庫法などの業務範囲の規定の基礎ともなっている。すなわち、これらの法律は、銀行法の業務範囲を基本としながら、固有業務や付随業務の範囲については、それぞれの業態によって異なった特徴をもたせている。

 ここでは、銀行業の中心的な存在である普通銀行の主要業務について概観してみることにする。

[鈴木芳徳・平田英明 2020年10月16日]

預金業務

預金業務は経営の根幹をなすことから、預金高が銀行の規模を示す指標の一つとして使われることが多い。

 日本では現在、普通銀行は当座預金、普通預金、通知預金、納税準備預金、定期預金、外貨預金などの預金を取り扱っている。これらの各種預金の総合計が総預金(表面預金)で、総預金から未決済の手形・小切手を差し引いた正味運用可能資金が実質預金とよばれる。

 預金者が預金をする主たる目的としては、現金を保有するよりも安全であること、利子がつくこと、預金を使って決済等ができること、の3点が指摘できる。

[鈴木芳徳・平田英明 2020年10月16日]

為替業務

為替業務は、一般的にいえば預金口座を基礎とした隔地間の貨幣請求権の移動である。その地域的範囲により、内国為替業務と外国為替業務に区別され、後者は「外国為替及び外国貿易管理法」という独自の法律によって規制を受けていたが、1998年(平成10)4月に施行された「外国為替及び外国貿易法」によって完全自由化された。内国為替業務とは国内の隔地間の送金、振込、取立ての資金取引業務のことである。1973年(昭和48)に全国銀行データ通信システムが導入されて以来、為替取引の合理化が進捗(しんちょく)し、全国銀行データ通信センターのコンピュータで毎日の為替取扱高が集中計算されている。その結果は日銀へデータ通信で通知され、日銀の為替決済口座で各行の為替決済尻(じり)が決済される仕組みが整備された。

[鈴木芳徳・平田英明 2020年10月16日]

貸出業務

貸出業務は銀行の主力ビジネスの一つであり、住宅ローン、自動車ローン、教育ローンといった個人向けの貸出、公的部門への貸出、そして民間企業向けの貸出に大別される。以下では、とくに民間企業向けについて説明していく。

 日本の企業金融の特徴として、アメリカに比べると、直接金融、すなわち社債や株式の発行による資金調達に比べ、借入による資金調達の割合が多いことが知られている。この傾向は半世紀以上変わっていない。そして、この企業借入の主力となっているのが、銀行による貸出である。2000年代以降は無担保での貸出もすこしずつ増えてきたが、多くの貸出が有担保で行われる。担保とは、貸出の際に、借り手が銀行に差し出す資産(例:不動産)である。

 企業向け貸出(事業用融資)の種類には、さまざまなものがある。まず、(1)証書貸付は、貸付条件を示した借用証書に基づいて行われる貸出である。次に、手形を用いた貸出として、短期の資金調達におもに用いられる(2)手形貸付と、早期の現金確保におもに用いられる(3)割引手形がある。手形とは、ある一定の金額の支払いのための有価証券である。これを借り手自身が銀行に担保として差し入れたうえで、一般的には利息分を差し引いた金額の貸出が実施されるのが(2)手形貸付である。(3)割引手形も、手形を担保として実施される貸出である。そして、借り手が取引先から受け取った手形を、支払期日前に銀行に譲渡し、銀行は利子や手数料を割り引いた金額を借り手に支払う。ただし、手形が不渡り(手形が決済できないこと)になりそうな場合など、銀行は借り手に手形を買い戻すように請求(償還請求)できる。そして、(4)当座貸越は、あらかじめ借り手と銀行の間で合意した一定額まで借り手が自由に借りたり返済したりすることができる貸出方法である。ただし、銀行は借り手の状況に応じて貸出を断ることができる。

[平田英明 2020年10月16日]

有価証券投資

銀行は資金運用のために、貸出と並んで有価証券投資を行う。銀行法では有価証券投資は付随業務とされているが、1990年代以降の国債の大量発行などにより、また大企業の自己金融の増加からくる優良貸出先の減少ということもあって、すでに固有業務に近いものになってきている。有価証券は大別して債券と株式に分類される。有価証券投資は、インカム・ゲインやキャピタル・ゲインのような運用益をねらってのものであるが、投機性の強いものは避けることが原則である。運用益をねらってのほかに、たとえば外部負債への支払準備としてできるだけ流動性の高い有価証券の形で保有するという場合もある。また取引先との関係から関係筋の有価証券を保有する場合、公共的な観点から公共的な債券を保有するような場合、企業向けの貸出のかわりに企業の発行する私募債を保有する場合などもある。

[鈴木芳徳・平田英明 2020年10月16日]

その他の業務

前記の有価証券投資のほかに、普通銀行の付随業務としては、債務の保証または手形の引受け、有価証券の貸付、国債・地方債もしくは政府保証債の引受けおよび募集の取扱い(いわゆる窓口販売)、金銭債権(譲渡性預金のほか、財務省令で定める証書をもって表示されるものを含む)の取得または譲渡、地方債または社債その他の債券の募集の受託、銀行その他金融業を行う者の業務の代理、国・地方公共団体・会社などの金銭の収納その他金銭に係る事務の取扱い、有価証券・貴金属その他の物品の保護預り、両替などがあげられる。これらの付随業務は、固有業務に伴って必然的に生じる業務である。

 なお、新銀行法によって、国債、地方債、政府保証債といった公共債の証券業務が行えるようになった。さらに、1992年に成立した金融制度改革関連法に基づき、保有株式数が発行済株式の50%を超える証券子会社を通じて証券業務にも進出できることになった。現在、日本の銀行は、投資信託を売り、保険も取り扱うなど、多様な金融サービスを提供する金融機関となっている。

[鈴木芳徳・平田英明 2020年10月16日]

銀行制度の歴史

銀行の起源

銀行の起源は、バビロニアやアッシリアにまでさかのぼりうる。当時、神殿では、財貨を保管し、家畜や穀物を貸し付けていたことが知られている。ギリシア、ローマの時代になると、両替商を営む者が現れ、また公立の銀行も各地に設立されるようになった。これらの公立銀行は、公共の資金を保管してその出納業務を取り扱うほか、両替なども行った。

[鈴木芳徳]

中世の銀行

11世紀ごろになって、サラセンの支配から脱して地中海沿岸貿易がふたたび盛んになってくると、貿易の中心地となったイタリアの諸都市では両替商が栄えた。そのうちの有力なものは、預金を受け入れて振替業務を行うようになり、振替銀行へと発展した。しかし、これら民間の振替銀行は、預託された貨幣を利子をとって貸し付けるようになり、貸出の度が過ぎて、回収不能のため預金の払戻しに応ずることができず、破産するものが続出した。こうした事態に対処するため、15世紀初めから、ジェノバ、ベネチアなど主要な都市に公立の振替銀行が設立された。

 商業の中心が地中海からしだいに北へ移るに伴って、1609年にはオランダにアムステルダム銀行が設立された。同行は雑多な貨幣を預金として受け入れ、これを標準貨幣に換算して帳簿に記入し、この銀行貨幣を振り替えることによって商人間の決済が可能になるようにした。また、同行は完全準備の原則のもとに、貸出をいっさい行わないたてまえをとった。このような公立の振替銀行は、ハンブルク、ニュルンベルク、ロッテルダムなどにも次々に設立された。

 イギリスにおいては、16世紀末から17世紀の初めにかけて両替業や為替取引に進出した金匠(ゴールドスミス)が、ピューリタン革命を経て王政復古(1660)以降に銀行業者に転化した。ここに生じてくる金匠銀行家は、預金取引や為替取引によって形成した資金を貸付に用い、預金を要求払いと期限付きに区分し、また預り証として金匠手形(ゴールドスミス・ノート)を発行した。金匠手形は流通性を帯び、のちにはこれによって貸し付けることも行われるようになった。また当座勘定も開設された。こうして金匠銀行家は、初期産業資本に資金を供給するとともに、絶対王政の必要とする資金を供給した。

[鈴木芳徳]

近代的銀行制度の形成

近代的銀行制度の形成は、1694年におけるイングランド銀行の誕生に始まる。創立時の同行は出資金120万ポンドで、これは政府への貸上額であると同時に、銀行券の発行限度額でもあった。イングランド銀行は、金匠銀行家との対立のうちに生まれてきたのであって、商人や生産者は当時金匠銀行家に強く依存していたが、同時にその課す高利に反発していたのである。名誉革命を成功させたイギリスの新興ブルジョアジーの政府がイングランド銀行を創設し、これを産業資本の育成に用いた。このことにより、従来の高利貸資本による貴金属の独占は打破され、貴金属は発券取引の基礎に支払準備として沈んだ。イギリス産業資本の台頭、国内市場の展開、これによる商業手形流通の拡大、これらを基盤として銀行券は流通した。発券銀行と預金銀行の分化はここから始まることになる。とはいえ、創設当初のイングランド銀行は、公信用流動化のためのものであり、株式会社形態による発券独占が与えられるなど、重商主義国家による重商主義国家のためのものであった。この性格がぬぐい去られるのは、産業革命の時期に至ってのことである。

 産業革命期になると、18世紀の末から19世紀の初めにかけて、数百もの地方発券銀行が生まれた。商人や企業家、公証人、送金業者に起源をもつ彼らが、貨幣の収納、支払い、簿記、為替取引に習熟し、貨幣取引を専業とし、さらに利子をつけて貨幣を預かり、これを貸し付けるようになった。当初彼らは、利子付きの銀行券を預金者に渡し、これが流通し、さらに期限付き銀行券、要求払銀行券へと発展した。地方における産業革命の進行は鋳貨不足をもたらしたが、地方発券銀行がこれを克服した。そして地方銀行の振り出したロンドンあての銀行手形が手形仲買人を通じてロンドンの預金銀行に持ち込まれ、ロンドンとの金融的結び付きが強められた。

 他方ロンドンの金匠銀行家は、イングランド銀行の設立により、預金銀行の方向に転身した。また農村地域と工業地域の間の資金需給を調整していた手形仲買人はロンドンに定着し、自己の計算で割り引く専門の仲買商となり、ここに割引金融市場が形成されることになった。さらにロンドンの預金銀行がイングランド銀行に勘定をもつようになり、また手形交換所がロンドンに設立(1773)されるようになると、地方発券銀行、ロンドンの預金銀行、イングランド銀行という金融機関の3系統が、割引金融市場を媒介として機能分化する一定の組織的銀行構造を形成した。

 しかしその後における地方発券銀行の衰退は、1825年の恐慌で決定的となった。1826年に株式銀行条例が制定され、また1833年の銀行特許条例の拡大解釈により、地方にも、さらにはロンドンにも株式組織の預金銀行が生まれた。このことによって小切手の流通が普及し、イングランド銀行券は工業地域の所得流通に浸透するとともに、地方銀行の準備金となり、こうして発券集中の基礎が定着化し始めたのである。

 すなわち、当初ロンドンの銀行として設立されたイングランド銀行は、その銀行券が工業地域の所得流通に浸透するにつれ、中央銀行への道を歩み始める。イングランド銀行の地方支店が開設され、また地方銀行の発券を禁じるにつれてこの傾向は決定的となった。1833年にはイングランド銀行の銀行券は法貨となり、1844年のピール銀行条例によってイングランド銀行の中央銀行としての地位は確立されたのである。このイギリスの中央銀行制度は、その後各国の金融・貨幣制度の手本とされた。

 預金銀行の形成過程は各国によって異なった型を示した。すなわち、先進資本主義国であるイギリスでは、預金銀行は商業信用の媒介を中心機能にする商業銀行に徹したが、後発資本主義国としてのドイツ、フランスの大陸諸国およびアメリカなどでは、単に商業銀行の範囲にとどまらず、証券引受業務や設備資金金融といった広範な機能を兼ねる兼営銀行の性格を強くもった。

 第一のイギリス型商業銀行は、短期預金を受け入れて短期の商業金融に運用した。とくに1844年のピール銀行条例以後、預金銀行が商業銀行として確立され、商業銀行主義をとり、銀行経営上、高い流動資産保有比率を第一義とする健全銀行主義を貫こうとした。

 第二のドイツ型預金銀行は、兼営銀行主義の立場にたった。すなわち、銀行は工業会社への投資を強め、商業銀行よりも工業会社への投資機関の性格を濃くした。この傾向は1870年代の銀行合同によって生まれた三大銀行(ドイツ銀行、ドレスデン銀行、コメルツ銀行)になっても同じで、有価証券保有の割合が高く、その内容も国債、準国債よりも工業社債、株式の占める比率が大きかった。さらにその後の重化学工業化の過程で、工業会社が膨大な設備資金を需要するに至ると、銀行の社債、株式引受業務はいっそう重要となり、当座貸越(交互計算方式)による信用供与とともに、ドイツ型の大銀行と大工業会社の結合癒着関係を強めることとなった。

 第三のアメリカ型預金銀行は、新しい兼営銀行主義の立場をとるものである。すなわち、20世紀に入ってから、アメリカでは大企業の自己金融力が強まっていくのに伴い、預金銀行の資金運用に占める産業金融の比重が小さくなり、銀行は経営上その収益を増大させるため、大企業から中小企業へ、さらに消費者へと貸付対象を拡大し、中小企業向けターム・ローン、不動産貸出、消費者金融などのように、その業務範囲を拡大していった。現在のアメリカの預金銀行の業務は、商業金融のほか、工業金融、消費者金融、信託業務、抵当証券の買入れ、さらには政府証券の保有等の業務と、著しく多様化するに至っている。

[鈴木芳徳]

日本における銀行制度の変遷

日本における銀行制度は、他の諸制度と同じく、明治時代になって先進資本主義国から導入されたものである。

 もちろん、それ以前にも銀行類似の業務を営んでいた金融業者はあった。江戸時代の両替商はその代表的なものである。両替商は、大坂、江戸をはじめとする主要都市で、金銀の売買、預金、貸付、為替、手形発行などを営んでいた。とくに大坂などでは、手形の過振(かぶ)りによる信用創造を行うものもあった。しかし、両替商の大半は明治維新前後に閉店、倒産してしまい、銀行にまで発展したものは少なかった。

〔1〕銀行制度の確立 明治政府はまず、殖産興業を図るための資金供給機関として、1869年(明治2)に東京、横浜など8か所に為替会社を設立した。為替会社は、預金、貸出、為替などの業務のほか、紙幣の発行権をもつもので、江戸時代に両替商を営んでいた三井組、小野組などの富商も出資していた。しかし、この為替会社は当時の経済の実情に適合せず、経営不振からまもなく解散に追い込まれた。

 この為替会社の失敗ののち、政府は、1871年に新貨条例を制定し、さらに翌1872年には国立銀行条例を制定した。これはアメリカの国法銀行法National Bank Actに倣ったもので、日本の法令で銀行という名称が使用された最初のものである。国立銀行は、財政基盤の弱かった新政府が大量に発行した不換紙幣の整理と産業金融の拡大を目的としており、一般銀行業務のほかに兌換(だかん)銀行券を発行することとなっていた。しかし、この条例によって設立をみた国立銀行は1876年までにわずか4行にすぎなかった。それは当時、世界的な銀価下落が続いていて、新貨条例に定められた金銀比価より実勢ははるかに銀価が下落していたため、金貨兌換の義務を負う国立銀行券は、発行するとただちに兌換を請求されるという事態を招き、国立銀行が極度の経営不振に陥ったからである。このため1876年には国立銀行条例の改正を行い、金貨兌換を取りやめ、また金禄(きんろく)公債証書による出資も認めることとなった。これによって国立銀行の設立は容易となり、1879年末には151行を数えるに至った。

 しかし、このような国立銀行の発展は、とりもなおさず不換紙幣の増発を意味し、1877年の西南戦争に伴う政府紙幣の発行と相まってインフレーションを促進した。このインフレーションによって、新政府の財政が危機に瀕(ひん)するとともに、近代産業の成立も阻害されたため、紙幣整理と兌換制度確立の必要が認識されるに至り、松方正義(まさよし)の建議によって1882年に日銀が設立され、唯一の発券銀行となった。また1884年には兌換銀行券条例が公布された。これに伴い、国立銀行は発券の特権を失って預金銀行に転進することとなった。

 一方において、明治初期に各財閥、地方企業の金融機関として出発した私立銀行も、預金を吸収してそれを運用することに業務の中心を置くようになり、預金銀行としての性格を濃くするに至った。

 こうして簇生(そうせい)してきた預金銀行を普通銀行として制度化したのが1890年制定(1893年施行)の銀行条例である。また同年には零細貯蓄を吸収するための貯蓄銀行条例の制定(1893年施行)もみられた。これら法律の整備とともに銀行の設立も進み、1893年から1901年(明治34)までに、普通銀行は545行から1867行へ、貯蓄銀行は23行から441行へと激増した。

 1900年前後には特殊銀行も次々に設立された。すでに1880年に外国貿易金融のために設立されていた横浜正金(しょうきん)銀行のほかに、日本勧業銀行、各府県農工銀行、北海道拓殖銀行、日本興業銀行などが設立され、それぞれ特定の分野に対する長期金融を担当することとなった。また、植民地銀行として、1899年に台湾銀行、1909年に韓国銀行(1911年に朝鮮銀行と改称)が設立された。

 第一次世界大戦時には、日本経済の飛躍的な発展に伴って、普通銀行も資力の強化に努めた。しかし、戦後の恐慌と、長期化した不況のなかで、中小銀行や農工銀行の経営は悪化の一途をたどった。日銀は、経営困難に陥った普通銀行に数度にわたって救済融資を行い、また日本勧業銀行は農工銀行の救済にあたり、しだいにこれを合併していった。このような過程で、三井、三菱(みつびし)、住友、第一、安田の五大銀行がその基盤を固めていった。反面、他の普通銀行は、それぞれの地方での地方銀行としての性格を強めていき、都市銀行と地方銀行との分化が顕著となってきた。

 銀行数は1901年をピークにしだいに減少傾向にあったが、1927年(昭和2)3月公布(翌1928年1月施行)の銀行法によって最低資本金が100万円と定められると、地方中小銀行の合併は一段と促進され、1926年末に1420行あった普通銀行は、1930年末には782行、1935年末には466行と、大幅に減少した。

〔2〕戦時統制 1937年7月の日中戦争勃発(ぼっぱつ)を機に、日本の経済はしだいに戦時体制に移り、金融面でも統制色が強まった。すなわち、同年9月に臨時資金調整法が、1940年10月に銀行等資金運用令が公布され、軍需産業への重点的な融資が行われることとなった。太平洋戦争に突入すると、1942年2月には日本銀行法が公布された。これはナチス・ドイツのライヒスバンクについての法律を典拠としたもので、国家主義的性格の濃厚なものであった。また、同年4月には金融統制団体令が公布され、全国金融統制会のほか、10の業態別統制会が設立された。さらに同年5月には金融事業整備令が公布された。すでに1936年の広田弘毅(こうき)内閣のときに地方銀行の一県一行主義が表明され、政府の指導が進められていたが、この法令によってその方針は強化され、政府は銀行の合同を命令することもできるようになった。1935年末に466行あった普通銀行は、1940年末には286行、1945年末には61行(うち地方銀行53行)にまで減少した。1943年3月には普通銀行の貯蓄銀行業務の兼営が可能となったため、貯蓄銀行の普通銀行への合併も進み、1940年末の71行から1945年末には4行に激減した。1944年には農工銀行もすべて日本勧業銀行に合併されて姿を消した。

 このように銀行の整理統合を推し進める一方で、軍需産業への融資の強化を図るため、1942年には戦時金融公庫、南方開発金庫、1945年には共同融資銀行、外資金庫、資金統合銀行が設立された(図A)。

〔3〕第二次世界大戦後の改革 第二次世界大戦の敗戦によって、銀行制度も全面的な改革が加えられることとなった。

 まず、1945年9月、GHQ(連合国最高司令部)の指令に基づいて戦時特別金融機関および植民地銀行が閉鎖された。1947年には横浜正金銀行も閉鎖機関に指定され、前年末に普通銀行として設立された東京銀行(1954年に外国為替専門銀行となる)に業務を継承した。さらに1948年には、GHQの指示によって、他の特殊銀行も普通銀行または債券発行銀行に改組されることとなった。日本勧業銀行(1971年第一銀行と合併、第一勧業銀行となる)と北海道拓殖銀行は普通銀行を選択した。日本興業銀行は債券発行銀行を選び、その後設立された日本長期信用銀行(1952年設立)、日本不動産銀行(1957年設立。1977年日本債券信用銀行と改称)とともに、1952年制定の長期信用銀行法に基づく長期信用銀行となった。

 第二次世界大戦後の激しいインフレーションによって金融機関は大きな影響を受けたが、とくに長期の貯蓄を取り扱う貯蓄銀行は大きな打撃を受けた。このため、戦後まで存続していた4行も、普通銀行に転換するか、普通銀行に吸収されるかして、1948年にはすべて消滅した。

 1949年には日本銀行法が改正され、日銀の自主性を高めるために最高意思決定機関として日銀政策委員会が設けられた。

 中小企業金融専門機関の基盤強化のために、1951年には相互銀行法と信用金庫法が制定され、従来の無尽会社が相互銀行に発展転身を遂げるとともに、協同組織を原則とする信用金庫が数多く設立された。

 また、民間の銀行を補完するものとして、復興金融金庫(1947年設立。1952年解散となり、日本開発銀行に債権・債務を委譲)、日本輸出銀行(1951年設立。1952年改組され日本輸出入銀行。現、株式会社国際協力銀行)、日本開発銀行(1951年設立。1999年改組され日本政策投資銀行。現、株式会社日本政策投資銀行)などの政府系金融機関も設立された。

 このように第二次世界大戦後の銀行制度は1950年代なかばまでにはほぼ整備が終わり、その後の1960年代にかけての高度成長経済の企業の資金調達に関して大きな役割を果たすこととなった。しかし、1970年代になると、アメリカを中心とする国際金融体制の動揺を背景に、日本の経済構造や金融環境にも変化が現れ、1981年6月に新銀行法が制定され、翌1982年10月から施行された。

〔4〕平成期以降 平成に入ると、バブル経済の崩壊とその後の1990年代後半の金融危機(不良債権問題)も引き金となり、銀行や銀行を含む金融機関の合併や統合等(例:銀行持株会社の設立、銀行どうしの合併、金融グループ再編)が進んだ(図B)。1980年代以降の金融の自由化や日本版金融ビッグバンとよばれる1990年代中ごろから2000年代前半にかけての金融制度改革がこれを後押しする形となった。合併や統合は、シナジー(相乗)効果を発揮させていこうとする動きであると第一義的には考えられるが、実際には救済的な目的の場合も多くみられた。一例をあげると、三菱UFJ銀行の場合、1996年に三菱銀行と海外業務に強みをもつ東京銀行がシナジーを意識した合併をして東京三菱銀行となり、2006年には経営難に陥ったUFJ銀行を実質的に救済合併して三菱東京UFJ銀行となった(2018年には三菱UFJ銀行と改称)。この間、金融グループとしては系列の信託銀行をグループの仲間として、2001年に設立された三菱東京フィナンシャル・グループから2005年に三菱UFJフィナンシャル・グループへと改称して現在に至る。また、2000年代なかばに不良債権問題がおおむね解決した後も、従来から指摘されるオーバーバンキング問題(経済規模に対して銀行が過剰な状態。ただし、過剰の数値的目安はない)等を背景とした地方金融機関の合併や統合が続いている。さらに規制緩和によって、非金融業(異業種)による銀行ビジネスへの参入も進んでいる。

 他方、それまで銀行不倒神話とよばれるような「銀行はつぶれない」という一般的な意識のあったなかで、1990年代の金融危機の時期には金融機関(銀行、信用金庫、信用組合)の破綻(はたん)が急増した。ペイオフの凍結された1996年6月~2002年3月に経営破綻したケースは164件あった(預金保険機構調べ)。たとえば、北海道拓殖銀行は1997年に経営破綻し、北洋銀行と中央信託銀行に営業を譲渡、2000年に中央信託銀行は三井信託銀行と合併し中央三井信託銀行(現、三井住友信託銀行)となった。日本長期信用銀行、日本債券信用銀行は1998年に相次いで経営が破綻、国による特別公的管理銀行となり、一時的に国有化された。それぞれ特別公的管理終了後の2000年に、日本長期信用銀行は「新生銀行」、日本債券信用銀行は「あおぞら銀行」に行名を変更し営業を再開し、現在に至る。

 政府系の金融機関については、時代が進むにつれて民業圧迫批判にさらされるケースも増えており、日本経済および民間金融機関等の発展と成熟に伴い、業務範囲を見直していく必要に迫られた。現在では、民間銀行の補完的役割に加え、経済危機や災害対応への金融面からの支援の役割も担う、と業務を規定されている。

 政府系金融機関の資金調達にも大きな変更が生じた。2001年度の財政投融資の改革(財投改革)の前までは、郵便貯金と公的年金積立金に集まった資金が、まるごと財政投融資という国の制度を通じて政府系金融機関に配分されていた。財投改革により、政府系金融機関は財投機関債および必要に応じて発行される財投債とよばれる国債を発行することで資金調達をする方式に移行している。他方、民営化された郵政事業からは郵便貯金に変わり、2007年10月にゆうちょ銀行が誕生した。ゆうちょ銀行は家計の預貯金の2割程度相当を受け入れている銀行であり、一銀行としてのサイズとしては預貯金規模では国内最大である。なお、ゆうちょ銀行は、一般的な銀行とは異なり、貸出業務ではなく大半の資金を国内外の債券で運用している。

[鈴木芳徳・平田英明 2020年10月16日]

『高木暢哉編『銀行信用論』(1948・春秋社)』『高木暢哉著『現代商学全集7 銀行通論』(1950・春秋社)』『高木暢哉編『銀行論』(1975・有斐閣)』『竹村脩一・玉野井昌夫編『金融経済論』(1978・有斐閣)』『高瀬恭介著『金融変革と金融再編成――日本型金融革命の全体像』(1988・日本評論社)』『及能正男著『日本の都市銀行の研究――その生成・発展と現況課題の解明』(1994・中央経済社)』『伊藤修著『日本型金融の歴史的構造』(1995・東京大学出版会)』『日本銀行金融研究所編『わが国の金融制度』新版(1995・日本信用調査出版部)』『日本銀行金融研究所編『新しい日本銀行――その機能と業務』(2000/改訂版・2011・有斐閣)』『鈴木芳徳著『金融・証券ビッグバン――金融・証券改革のゆくえ』(2004・御茶の水書房)』『平田英明「金融・金融政策 進化する金融システム」(浅子和美・飯塚信夫・篠原総一編『入門・日本経済』第6版所収・2020・有斐閣)』

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精選版 日本国語大辞典

ぎん‐こう ‥カウ【銀行】
〘名〙 (bank の訳語)
① (「行」は仲介業、仲買商、また商店の意) 預金の受入れ、債券の発行により、一般から資金を受入れる一方、貸出し、為替取引、有価証券投資などの業務を行なう金融機関。中央銀行、普通銀行、長期信用銀行、外国為替銀行、信託銀行などがある。
※会社弁(1871)〈福地桜痴〉小引三則「今此書暫く『バンク』の訳字として銀行の字に代用す」
② 何かの折に必要なもの、一般に不足しているものを集めて、保管・登録しておいて、希望者の利用の便をはかる組織。「血液銀行」「人材銀行」
[語誌](1)ロプシャイトの「英華字典」(一八六七‐六九)に英語 bank の訳語として見え、一九世紀中頃、中国で造語された語か。
(2)日本では幕末から明治にかけて「両替屋」「両替問屋」「為替会社」など、さまざまな訳が見られるが、明治四年に挙例の「会社弁」で「銀行」が現われ、一〇年代になってそれが定着した。

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