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鑑真【がんじん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

鑑真
がんじん
Jian-zhen
[生]垂拱4(688).揚州,江陽
[没]天平宝字7(763).5.6. 奈良
中国,唐の僧,日本律宗の開祖。大雲寺の智満について出家し,道岸,弘景,融済らに師事して律と天台を学ぶ。のち揚州の大明寺で律を講じた。天宝1 (742) 年,入唐僧の栄叡,普照らの請いを受け,日本への渡航を企てること5回にも及んだが果さず,加えて失明し,同 12年,6度目に成功した。来朝後は東大寺にあって授戒と伝律に専念し,聖武上皇をはじめ多くの貴紳に菩薩戒を授けた。天皇から賜わった新田部親王旧宅を唐招提寺とし,戒律研鑽に力を入れた。唐招提寺の『鑑真和上坐像』は奈良時代肖像彫刻の代表作とされる。

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デジタル大辞泉

がんじん【鑑真】
[688~763]奈良時代の渡来僧。日本の律宗。中国揚州(江蘇省)の人。渡日を志して五度失敗し、その間に失明したが、天平勝宝5年(753)来日。東大寺に初めて戒壇を設け、聖武上皇らの帰依を受け、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建して戒律の根本道場とした。大僧都(だいそうず)となり、大和上(だいわじょう)の号を受けた。渡来の事情は唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)に詳しい。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

鑑真 がんじん
688-763 唐(とう)(中国)の僧。
嗣聖5年生まれ。日本律宗の開祖。「授戒の大師」と称され,揚州の大明寺で律を講じる。唐にわたった栄叡(えいえい),普照(ふしょう)の要請で5回の渡航失敗,失明をのりこえ,天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5年(753)来日。聖武上皇らに授戒し,7年東大寺に戒壇院を設立,翌年大僧正となる。天平宝字3年唐招提寺をひらいた。天平宝字7年5月6日死去。76歳。揚州江陽県(江蘇省)出身。俗姓は淳于(じゅんう)。
【格言など】是れ法のための事なり。何ぞ身命を惜しまんや。諸人去(ゆ)かざれば,我れ即ち去くのみ(日本への渡海を懇望されて)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

がんじん【鑑真】
688‐763
中国,唐代の高僧,日本律宗の開祖。中国の楊州江陽県の生れで,春秋時代の斉国の名士淳于髡(こん)の後裔と伝える。中国の南山律宗の開祖道宣の高弟道岸(654‐717)より菩薩戒を,長安の実際寺で弘景から具足戒を受け,その後,諸宗を学び江淮の地で戒律の講義や授戒を行い,あるいは古寺修理,一切経を書写するなど,諸州屈指の伝戒師として信望があつかった。中国仏教界では,登壇受戒して具足戒をうけねば僧尼と認められず,受戒は出家の出発を約する重要な正門であった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

鑑真
がんじん
(687―763)

中国唐代の僧。日本の律宗(りっしゅう)の祖。過海(かかい)大師、唐大和上(とうだいわじょう)などと尊称される。揚州(江蘇(こうそ)省)の人。俗姓は淳于(じゅんう)。揚州大雲寺の智満(ちまん)について出家、南山律(なんざんりつ)の道岸(どうがん)(654―717)によって菩薩戒(ぼさつかい)を受け、その後、長安の実際寺で恒景(こうけい)を戒和上(かいわじょう)として具足戒(ぐそくかい)を受けた。洛陽(らくよう)、長安に住すること5年、その間に三蔵(さんぞう)を学び、道宣(どうせん)の弟子融済(ゆうさい)、満意の門人大亮(たいりょう)らに律学の教えを受け、また天台も兼学した。揚州に帰ったのちは大明寺にあって律を講じ、江准(こうわい)の化主(けしゅ)と仰がれ、その名声はとどろいた。そのころ733年(天平5)に日本僧の栄叡(ようえい)(?―749)、普照(ふしょう)(生没年不詳)が授戒伝律の師を求めて入唐(にっとう)していたが、742年に二人が鑑真を訪れ、弟子のなかに日本に渡って律を伝える人がいないか、募ってもらうよう請うた。それが機縁となり、鑑真は弘法(ぐほう)のため不惜身命(ふしゃくしんみょう)の思いに燃え、自ら弟子を率いて来朝した。来朝まで5回も渡海に失敗し、あるときは同行の僧の密告や弟子の妨害によって未然に終わり、あるときは海に乗り出してから風浪にもてあそばれて難破し、あるときは遠く海南島に流される労苦を味わい、12年の歳月を要して来朝した。その間、栄叡や弟子祥彦(しょうげん)の死に会い、自らも失明するに至っており、海路、陸上の旅で世を去ったもの36人、望みを放棄して彼のもとを去ったもの200余人に及んだ。しかし渡海の失敗が重なる間も、鑑真は各地で伝道教化(きょうげ)に励んだ。鑑真の伝記には在唐中の活動が総括されており、百数十遍の各種律典を講じ、寺舎を建立し、十方(じっぽう)の衆僧を供養し、さらに、仏像をつくること無数、一切経(いっさいきょう)を書写すること30部、戒を授けること4万有余に及んだ、と伝える。

 753年(天平勝宝5)薩摩(さつま)(鹿児島県)坊津(ぼうのつ)に到着、翌754年入京した。聖武(しょうむ)上皇はその労をねぎらい、詔(みことのり)して鑑真に授戒伝律の権限を委任し、自ら鑑真を戒師として東大寺大仏の前で登壇受戒した。また従来の僧も旧戒を捨てて受戒し、ここに、かつて日本で行われたことのない10人の僧による三師七証(さんししちしょう)の受戒が成立した。翌755年には戒壇院(かいだんいん)もつくられ、それまでの度牒(どちょう)にかわって戒牒(かいちょう)を授ける制度が確立された。上皇崩御(ほうぎょ)後の756年(天平勝宝8)には大僧都(だいそうず)に任じられたが、老齢のためその任を解かれ、戒律の教導に専念することとなり、大和上(だいわじょう)の称が与えられた。759年(天平宝字3)、かねて与えられていた新田部(にいたべ)親王の旧宅をもって寺とし、これを唐招提寺(とうしょうだいじ)と称し、戒律研鑽(けんさん)の道場として衆僧に開放する制をたてた。また官寺における布薩(ふさつ)のための経済的裏づけを行うことと相まって、仏教の協同体意識を養い、いわゆる教団(僧伽(そうぎゃ)、サンガ)が初めて名実ともに確立するに至った。彼が将来したもののうち、天台典籍(てんせき)はのちに最澄(さいちょう)の天台宗開創の基盤となり、王羲之(おうぎし)父子の真蹟(しんせき)は書道の興隆に多大の影響を与えた。ともに来朝した弟子に法進(はっしん)(709―778)、思託(したく)(生没年不詳)などがあり、法進は戒壇院を継ぎ、思託は鑑真の伝記『大唐伝戒師僧名記大和上鑑真伝』(略称『大和上伝』)3巻を書いた。この書は現存しないが、これを略述した真人元開(まひとげんかい)(淡海三船(おうみのみふね))の『東征伝』1巻が現存する。鑑真の墓所は唐招提寺にあり、開山堂には国宝の鑑真像を安置する。

[石田瑞麿 2017年1月19日]

『安藤更生著『鑑真』(1967/新装版・1989・吉川弘文館)』『石田瑞麿著『鑑真――その戒律思想』(1974・大蔵出版)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

がんじん【鑑真】
唐の帰化僧。揚州江陽県の人。日本律宗の祖。天平勝宝五年(七五三)、失明の身で仏像、律天台の経典を携えて来朝。東大寺にはじめて戒壇を設け、聖武天皇、孝謙天皇らに戒を授けた。のち大僧都となり、大和上の称号をうけ、天平宝字三年(七五九)唐招提寺を建立。来日の際の事情は、淡海三船(おうみのみふね)の「唐大和上東征伝」に詳しい。(六八八‐七六三

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旺文社世界史事典 三訂版

鑑真
がんじん
688〜763
唐の仏僧で,南都律宗 (りつしゆう) の開祖
揚州 (ようしゆう) (江蘇 (こうそ) 省)の人。当時の日本では授戒のための戒壇は設けられていなかったので,733年,栄叡 (えいえい) らが入唐して揚州大明寺(1765年以後,法浄寺)の鑑真を請じた。しかし渡航には障害があり,12年の歳月と5回の航海に失敗ののち,754年に来朝し,東大寺に戒壇を設けて,聖武上皇・光明皇后 (こうみようこうごう) ら400余人が受戒した。759年唐招提寺 (とうしようだいじ) を建てて移り,76歳で入滅した。なお招提とは私寺の

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旺文社日本史事典 三訂版

鑑真
がんじん
688〜763
奈良時代に来日した唐僧。律宗の祖
揚州江陽(江蘇省江都県)の人。十数年の苦難ののち,754年に来日。東大寺に日本最初の戒壇を設け聖武上皇以下に授戒した。鑑真によって日本に初めて正式に戒律が伝えられ,律宗ができた。彼の伝えた戒は小乗戒大乗戒をともに含んでいた。唐招提寺は鑑真を開山とする。

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