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長井雅楽【ながいうた】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

長井雅楽
ながいうた
[生]文政2(1819).5.
[没]文久3(1863).2.6. 長門
幕末の長州藩家老。名は時長州藩の名門に生れ,早くから知弁をもって聞えた。小姓から奥番頭に進み,安政5 (1858) 年5月直目付。開国公武合体を提唱し,江戸幕府の依頼を受けて政治的対立を深めた朝幕間の和解に努めた。文久1 (61) 年5月準備工作を整え,同年 12月藩主とともに江戸へおもむいて老中久世広周と会見し,翌2年老中格となった。長井の意見は「航海遠略策」にみられるように,いったん開国し,国力を統合してのち攘夷にいたろうとするものであったが,藩論が攘夷に傾くとともに失脚。また,朝廷からも建白書中の言辞をとがめられて,帰藩後,切腹を命じられた。

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デジタル大辞泉

ながい‐うた〔ながゐ‐〕【長井雅楽】
[1819~1863]江戸末期の長州藩士。名は時庸(ときつね)。開国・公武合体を建言して藩是として採用されたが、尊攘派の台頭により失脚、切腹を命ぜられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

長井雅楽 ながい-うた
1819-1863 幕末の武士。
文政2年5月1日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。安政5年直(じき)目付,のち記録所役もかね藩政を主導する。建言した公武合体策と開国策からなる「航海遠略策」が藩の方針となったが,尊攘(そんじょう)派の反対のために失脚,藩命で文久3年2月6日自刃(じじん)した。45歳。名は時庸(ときつね)。通称は与之助,隼人,右近。
【格言など】君がため捨つる命は惜しからで只思はるる国の行くすゑ(辞世)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ながいうた【長井雅楽】
1819‐63(文政2‐文久3)
幕末の長州藩士で,公武合体派。名は時庸,通称は隼人。家禄300石の大組(馬廻格)長井家の長男(未成長相続のため半高削減)。〈知弁第一〉といわれ,直目付として長州藩政を主導した。1861年(文久1),長井が起草した〈航海遠略策〉が藩是となり,その公武合体策と開国策を内容とする方針をもって,全国政局の周旋にのりだした。長州藩が全国政局に発言した最初である。しかし藩内の尊攘派がこの方針に反対し,藩是を転換させたため長井は退けられ自刃を命ぜられた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ながいうた【長井雅楽】
1819~1863 幕末の長州藩直目付。名は時庸。公武合体と開国を内容とする「航海遠略策」を唱えて藩是とさせ、公武間に周旋。尊攘派が擡頭たいとうすると藩命により自刃した。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

長井雅楽
ながいうた
(1819―1863)
幕末長州藩の政治家。名は時庸(ときつね)、雅楽は通称。初め小姓(こしょう)役につき、1858年(安政5)直目付(じきめつけ)役の要職に抜擢(ばってき)された。国内で外交をめぐる政争が熾烈(しれつ)となった61年(文久1)公武合体と海外進出、積極的開国策のいわゆる航海遠略策を建言した。これは、長州藩の藩是として採用されるところとなり、さらに朝廷や幕府への遊説を命じられ、優れた弁舌を駆使して周旋にあたりほぼ朝幕の了解を得るに至った。翌62年正月、功により中老格に列す。しかし藩内改革派や久坂玄瑞(げんずい)ら尊攘(そんじょう)派志士の反対が激化し、また島津久光(ひさみつ)の率兵(そっぺい)上京により、その幕府に近い路線は破綻(はたん)し、藩是は撤回され、雅楽は職を免ぜられた。翌文久(ぶんきゅう)3年2月6日、萩(はぎ)の自邸にて切腹を命じられた。[井上勝生]
『中原邦平編述『長井雅楽評伝』(1979・マツノ書店)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

長井雅楽 (ながいうた)
生年月日:1819年5月1日
江戸時代末期の長州(萩)藩士
1863年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ながい‐うた【長井雅楽】
幕末の長州藩士。名は時庸。幼名与之助。通称、隼人、右近、のち雅楽。藩主毛利敬親に開国、公武合体を建白したが、木戸孝允ら藩内尊攘派の反対にあい失脚、自刃を命じられた。文政二~文久三年(一八一九‐六三

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

長井雅楽
ながいうた
1819〜63
幕末の政治家
名は時庸。通称隼人。長州藩士。1861年積極的開国論である航海遠略策(公武和合・開国進取)をもって藩論を代表し,公武間を周旋した。しかし藩論が尊王攘夷論に転換したため失脚して自刃。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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