●長崎奉行【ながさきぶぎょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
長崎奉行
ながさきぶぎょう
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デジタル大辞泉
ながさき‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【長崎奉行】
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世界大百科事典 第2版
ながさきぶぎょう【長崎奉行】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
長崎奉行
ながさきぶぎょう
江戸幕府の職名。遠国(おんごく)奉行の一つ。豊臣(とよとみ)政権から引き続き長崎代官の地位にあった肥前唐津(からつ)城主寺沢広高を起源とする。当初は一人役、1633年(寛永10)に二人役となった。以後一人、三人、四人役の時期もあったが、一般に二人役をもって定数とした。このうち1人は長崎に在勤、1人は江戸役宅に勤務、毎年9月に長崎で交代した(1744年〈延享一〉に10月交代となる)。老中支配、役高1000石、役料4402俵1斗、諸大夫(しょだいふ)、芙蓉(ふよう)間詰。属僚に与力(よりき)10騎、同心30人があり(幕末に長崎奉行支配組頭、同支配調役など設置)、御用物役、町年寄をはじめ地役人(じやくにん)を支配し、長崎の貿易、外交、司法、海警、町方行政、計理、地役人人事など行政上の万般をつかさどった。役料のほか公認の収入に、8月朔日(ついたち)に地下(じげ)諸役人、町人、内地商人、唐商、蘭人(らんじん)から贈られる金品「八朔(はっさく)礼銀」、輸入品の元値先買特権であるいわゆる「除き物」の一つである「御調物(おしらべもの)」からあがる益銀、また諸藩からの付け届けがあった。まだこのほかにも相当の裏収入があったものと推測される。役屋敷は岩原郷立山(たてやま)の立山奉行所、外浦(ほかうら)町の西奉行所の2か所であった。目付はじめ役方・番方諸役から補任(ぶにん)されたが、離任後は享保(きょうほう)(1716~36)ころまで退役者が目だち、そののち幕末にかけては勘定(かんじょう)奉行など諸役へ昇進・転出した。
[北原章男]
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精選版 日本国語大辞典
ながさき‐ぶぎょう ‥ブギャウ【長崎奉行】
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旺文社日本史事典 三訂版
長崎奉行
ながさきぶぎょう
幕府直轄都市の長崎に置かれ,外交・貿易・司法事務や市政にあたった。1592年豊臣秀吉が寺沢広高を任じたのが最初。老中に属し旗本から選任された。定員は増減があったが,正徳年間(1711〜16)以後2人を置き,1年交替で勤務した。1808年,フェートン号事件で長崎奉行松平康英は責任をとって自刃した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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