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長府藩【ちょうふはん】

防府市歴史用語集

長府藩
 江戸時代の萩藩に置かれた、毛利一門[もうりいちもん]がおさめる独立した小さな支藩[しはん])の1つです。在の下関市・豊浦町・豊北町の一部・菊川町・豊田町の一部にあたります。長府藩の一部が1653年に清末藩[きよすえはん]として独立しています。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
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デジタル大辞泉プラス

長府藩
長門国、長府(ちょうふ)(現:△山口県下関市▽)を本拠地とした外様藩。藩祖毛利元就にあたる毛利秀元長州藩領地の東部3万6200石を得て立藩。「長門府中藩」ともする。

出典:小学館
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藩名・旧国名がわかる事典

ちょうふはん【長府藩】
江戸時代長門(ながと)国豊浦(とよら)郡長府(現、山口県下関市長府)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。長州藩(萩藩)の支藩の一つ。藩校は敬業館(けいぎょうかん)。1600年(慶長(けいちょう)5)、毛利元就(もうりもとなり)の4男穂田元清(ほいだもときよ)の次男で、毛利輝元(てるもと)の養子となった秀元(ひでもと)が立藩。下関海峡に面した長州藩領東部3万6200石を輝元から分与されたもので、53年(承応(じょうおう)2)には秀元の次男元知(もととも)が1万石を分与されて清末(きよすえ)藩が成立した。本藩の長州藩に後継者がないときは筆頭支藩から養子を出す定めがあり、そのため3代綱元(つなもと)と8代匡敬(まさたか)を長州藩主として送り出した。石高は慶長検地で5万8000石、寛永検地で8万3000石余、幕末期には12万7000石に達した。秀元から数えて14代続き、1865年(慶応1)には清末藩も含めて直轄領にしようとした本藩と対立したが、のち和解してともに戊辰(ぼしん)戦争を戦った。71年(明治4)の廃藩置県により、豊浦県を経て山口県に編入された。◇豊浦藩、府中(ふちゅう)藩ともいう。

出典:講談社
(C)Kodansha 2011.
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世界大百科事典 第2版

ちょうふはん【長府藩】
長州藩(萩藩)の支藩の一で,長門国豊浦(とようら)郡の大部分厚狭(あさ)郡西部の一部を領域とする藩。府中藩ともいい,1869年(明治2)の版籍奉還時,豊浦(とよら)藩と改称した。1600年(慶長5),毛利輝元の防長2ヵ国への移封に際して,その従弟秀元(元就四男元清(もときよ)の次男)に長府(現,下関市)3万6200石を分知したのが起りとされる。藩高は4万7000余石と通称されていたが,1783年(天明3)公称5万石の城主格に列した。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

長府藩
ちょうふはん
豊浦藩」のページをご覧ください

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

長府藩
ちょうふはん

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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