●門跡【もんぜき】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
門跡
もんぜき
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デジタル大辞泉
もん‐ぜき【門跡】
2 平安時代以後、皇族・貴族などが出家して居住した特定の寺院。また、その住職。室町時代以後は寺院の格式を示す語となった。江戸幕府により制度化され、宮門跡・摂家門跡・清華門跡・准門跡の区別を生じたが、明治4年(1871)廃止、以後は私称となった。
3 《本願寺は準門跡であるところから》本願寺の管長の俗称。
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世界大百科事典 第2版
もんぜき【門跡】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
門跡
もんぜき
一門一派の法跡の意で、元来は、祖師から弟子へと継承されていく宗門の教えの伝統のことを、またその伝統の継承者のことをいった。しかし、899年(昌泰2)に宇多(うだ)上皇が出家して法皇となり仁和寺(にんなじ)に入ってからは、後世にこれを御門跡(ごもんぜき)と称したために、法皇や法親王(ほうしんのう)が住持したり開創した寺院、またその住持を御門跡または門主とよぶようになった。のちには皇族だけでなく貴族についても公卿(くぎょう)門跡ができ、室町時代には、門跡という語はこうした皇族・貴族のかかわる特定寺院の格式を表す語となった。室町幕府は門跡奉行(ぶぎょう)を置いて門跡寺院の政務をつかさどり、江戸幕府は門跡を宮(みや)門跡、摂家(せっけ)門跡、清華(せいが)門跡、准(じゅん)門跡に区別してこれを制度化した。
門跡寺院は、天台、真言(しんごん)、法相(ほっそう)、浄土、真宗などの各宗にわたってあるが、たとえば天台宗では九家あり、そのうちの粟田口青蓮(あわたぐちしょうれん)院、大仏妙法(みょうほう)院、大原円融(えんにゅう)院の三門跡の住持は叡山(えいざん)の座主(ざす)を兼職するので「叡山の三門跡」といい、三井円満(みいえんまん)院、聖護(しょうご)院、岩倉実相(じっそう)院の三門跡は三井寺の長主を兼ねるので「三井の三門跡」とよぶ。浄土真宗では、本願寺、東本願寺、専修(せんじゅ)寺、興正(こうしょう)寺、仏光寺の五家があるが、そのうちとくに本願寺とその管長を門跡、御門跡とよんでいる。
[藤井教公]
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精選版 日本国語大辞典
もん‐ぜき【門跡】
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旺文社日本史事典 三訂版
門跡
もんぜき
元来は門徒一跡を統領する意味から,寺院の住持をさしたが,のち皇族・貴族などの身分のある者が住持となっている寺院またはその住持をさした。江戸時代には,住持の出身により宮門跡・摂家門跡・准門跡に区別されたが,1871(明治4)年に廃止された。天台宗では妙法院・青蓮院・三千院・輪王寺,真言宗では仁和寺・大覚寺などが門跡寺院として有名。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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